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慰安婦の実態はこんな感じ
元慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)の回想
「文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私」(梨の木舎 1996年2月初版)
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ビルマ行きの経緯
大邱でキーセン修行をしていた1942年、18歳の時、以前満州の遊郭で同僚だった友人の女性2人に
「金もうけができるよ」と誘われ、南方の軍の食堂で働くため、母にも知らせず汽車で釜山に行き、
他の満州遊郭時代の同僚の女性達とも合流して台湾行きの船に乗った。
女性達を引率したのはマツモトと名乗る顔見知りの朝鮮人と60歳過ぎの朝鮮人の男とその甥の3人。
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貯金を始めた経緯
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ラングーンでダイヤを買ったり、映画や歌舞伎を鑑賞
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帰国許可がおりて帰国
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日本軍人の殺害と無罪判決
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文玉珠の貯金
貯蓄額は、元本が25,245円、日韓条約締結の1965年4月現在の元利合計は50,108円。
当時、故郷の大邱では1000円で家が1軒買えたそうだから、
文玉珠は18歳から21歳の2年半に、家に送金した分も合わせると、
故郷で家30軒以上を買える金額を貯蓄していた。
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