17/10/21 08:43:08.94 CAP_USER.net
(>>1の続き)
2017年3月に琉球放送で放映されたドラマ「尚巴志」では、尚巴志の三山に分かれていた王国統一の様子が描かれていた。尚巴志はクニンダチュから武器を調達し、王国統一を行ったとしていた。
このドラマは史実に沿っているかどうか分からないが、王国統一後の尚巴志はクニンダチュの影響力を何とか排除していた。クニンダチュは第一尚氏時代から王家に影響力を行使しようとしていたことがうかがえた。
かつてクニンダチュが起こした沖縄独立琉球復古運動
クニンダチュが、途中で薩摩の影響力が強くなろうとも琉球王国を舞台に長きにわたり君臨し、この世の春を謳歌してきたことが窺い知れる。そして、前述したが、尚円から410年後に起きたのが廃藩置県(1879年)である。これにより琉球王国は消滅。クニンダチュも権力の座から転げ落ちた。
沖縄県設置後も王国時代の支配構造はしばらく温存されたようだが、清との冊封体制は崩壊し、クニンダチュはその活躍の場を失った。その際に一部のクニンダチュが非合法のうちに清国政府に逃れ、清国からの武力介入により王国復興を目指す琉球復古運動を展開した。
この一部のクニンダチュを脱清人と言う。彼らはそこから日清戦争に至るまで、琉球王国の復活を模索してきた。日清戦争でも脱清人は清の勝利を願っていた。日本に帰化していながら清の勝利を願っていたのだ。
清の敗戦を持って琉球復古運動は挫折し、その後クニンダチュは沖縄社会と完全に同化し、ひっそりと影を潜めてきたようだ。この話はどこかで聞いたことがないだろうか?
そう、現代沖縄の状況とそっくりではないか? クニンダチュの末裔が先祖代々、この話を聞かされていたらどうだろうか? 今こそ、好機到来と思わないだろうか?
ほとんどのクニンダチュのアイデンティティは沖縄にあり、華人(漢民族)と違うので一緒にされるのはいやだと思っているという論文を目にしたことがある。だから、彼らが華人と手を結ぶとは考えにくかった。先の大戦においても多くのクニンダチュが日本兵として参戦している。
だから、クニンダチュを十羽ひとから揚げで……失礼、十把ひとからげで論じるつもりがないことは何度も断っておく。
僕は大陸にアイデンティティを持つ一部のクニンダチュの話をしているのだ。彼らは過去に琉球王国再興のために、当事の大陸の覇権国家であった清(満州人)と結び、清の武力外圧により琉球を独立させようともくろんでいた。
そうであれば、彼ら一部のクニンダチュが、沖縄2紙をコントロールし、中国の華人と結び、中国の武力外圧による琉球復興運動、沖縄独立をもくろんでいると考えても不思議ではない。
ジャーナリスト恵隆之介氏の著書(PHP研究所・恵隆之介著『いま沖縄で起きている大変なこと』)によると、彼らは約10億円の共有預金と会館を有し、今なお団結は強い。(2014年9月8日現在)
沖縄独立による琉球王国復古運動 現代沖縄で起きている沖縄独立運動を紡ぐ糸
現知事の翁長雄志氏は元沖縄県知事の稲嶺恵一氏と門中である。門中とは始祖を同じくする父系の血族集団。つまり、稲嶺家と翁長家は始祖が同じだということになる。仲井真前知事もそうであったが、稲嶺元知事も久米三十六姓の末裔であると前出のジャーナリスト恵隆之介氏は言及している。
そうすると必然的に稲嶺元知事と始祖が同じ翁長氏も同郷の出身の末裔ということになる。そう、翁長氏もクニンダチュの末裔なのだ。かつて尚円王朝を実現したクニンダチュが、現代日本の沖縄県においても稲嶺氏、仲井眞氏、翁長氏と三代に渡り県知事を輩出している。
クニンダチュのキングメーカーとしての力量を侮ることはできないのである。
翁長氏の親中的な行動原則は彼のルーツを知ることで説明できるであろう。親中の沖縄2紙と翁長知事による反米、反基地運動。この横のラインを紡ぐ糸がクニンダチュだとしたら、妙に合点がいくのである。彼らは豊富な資金と強い団結力により経済界でも大きな影響力をもっている。
翁長氏は那覇市長時代、クニンダチュの私的な宗教施設である孔子廟の移設に25億円もの公金を拠出している。しかも移設先の土地は那覇市が無償提供しているそうで、私的な民間宗教施設に那覇市が便宜を図っているとして、地元民から提訴をされている。
そして、3億円を投じて作ったのが、有名になった波の上に鎮座する巨大な龍柱である。4本爪の龍は母国に対する忠誠を表しているらしい。
(続く)