17/07/20 20:32:19.25.net
霞が関にいるときに感じたが、外務省はその存在自体が「霞が関の治外法権」だった。
どういうことかというと、中央官庁は一般に「予算の査定を受ける財務省」と、「法律の審査をお願いする法制局」「内閣を構成する大臣」という3つの機関に服するものである。
これに対し、外務省は予算規模がかなり小さいため、財務省による締め付けがほとんどない。法律ではなく条約の運用が業務中心となるので、内閣法制局の審査を仰ぐことも、それほどない。
最高の地位が事務次官ではなく駐米大使という外向きの独自の組織体系をとっているため、大臣が組織全体を把握・コントロールすることが非常に難しい。
という具合で、外務省は霞が関から半ば遊離している。
これは外務省という組織の特性上、仕方ない面もあるが、結果として外務省職員は、半ば個人の理想主義に基づき、半ば担当している外国の意向を踏まえて、国内政治を超越した超然的なスタンスを取るようになる。
こうした外務省のスタンスが表面化したのが、近年でいえば「慰安婦外交」における外務省OBの言論ではないか。メディアに登場する主要OBが「慰安婦問題のような人権問題で、韓国と言い争うべきではない」「世界から共感を得られず白い目で見られてしまう」という意見を唱えた。
彼らの外交官としての肌感覚としては一理あったのかもしれない。だが、多くの国民の「長年にわたる日本政府の腰の引けた態度が積み重なって広がった慰安婦問題に対する国際社会の誤解を、韓国に毅然と向き合うことで解いてほしい」という素朴な願いとは乖離(かいり)していた。
外務省のよく言えば「国際調和主義」、悪く言えば「事なかれ主義」は日本に余裕があって日米安保の下で一国平和主義を貫いていればよかった時期には機能していたのかもしれない。
だが、米国が「自国第一主義」を掲げ、中国が海洋進出の野望をあらわにし、北朝鮮がICBM(大陸間弾道ミサイル)を持ち、韓国が日本へ対抗して独自外交を模索するような時代の中で、日本はもはや「八方美人」ではいられない。
そのためには、どうしても日本として「筋を通した外交戦略」を作る必要がある。外交の主導権を内閣として持つことが必要になってくる。それが2013年に設置された「国家安全保障会議」の役割なのだろう。外務省に利権があるとすれば、それは外務省自身の在り方である。
これまで外務官僚は、政府の中にあってあまりにも超然として、政府内で半ば独立した勢力として力を持ちすぎてきた。良くも悪くも今後は、内閣に服して、日本国民の生々しい意見や利害と向き合っていくことが求められる。
■宇佐美典也(うさみ・のりや) 1981年、東京都生まれ。東大経卒、経産省入省。企業立地促進政策、農商工連携政策、技術関連法制の見直しを担当後、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)で電機・IT分野の国家プロジェクトの立案やマネジメントを行う。
2012年9月に経産省を退職。現在、政策コンサルタントとして活躍する。著書に『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』(ダイヤモンド社)、『肩書き捨てたら地獄だった』(中公新書ラクレ)など。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
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ソウルの日本大使館前の慰安婦像
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外務省は国民の期待に応えられるのか