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■(浅田真央は)日本人の承認欲求満たした清涼剤 香山リカさん(精神科医)
浅田さんの一途な生き方は、自分にはできないというあこがれやうらやましさも含め、日本社会の一服の清涼剤になっていました。
子ども時代から注目され、老若男女を問わず、「真央ちゃん」と親しまれてきた。彼女が国際的に高く評価されると、自分にも良いところが
あると言われた気になり、鼻が高かった人も多かったかも知れません。
自分を褒めてほしい、大切に扱ってほしいと考える人が増えていると感じます。自己承認の欲求が強まり、自己愛が肥大しています。
小泉政権のころからか、かけがえのない自分をめざそうと自己実現のハードルが上がる一方、自己責任を求められ、一度脱落したら
復活しにくい環境になっているからだと思います。
「周りの人たちは、どうして自分のことをわかってくれないんだ」とこぼす患者さんに、よく出会います。周りから注目され、特別だと
評価されないと努力が報われたと思えない、と。不満を抱えて生きている人は多いし、すごく頑張ったところで、結果を出せない人は大勢いる。
五輪では金メダルに届かなくても挑み続けた浅田さんに、心のずれを感じている自分を重ね、現実を受け止められると考えた人は少なくなかった。
浅田さんが褒められれば、自分も肯定された気になれる。腐ったり恨んだりしないで前向きに生きよう、と。
強すぎる選手だったら、自分とは無縁の世界のトップアスリートと映るけれど、浅田さんは違いました。強さやうまさや記録だけではない。
失敗をしても翌日には素晴らしい演技をして、記憶に残る。つつましさやはかなさなど、日本人女性の美徳も見ていたと思います。テレビ番組で
一緒になったとき、メンタルトレーニングについて聞いたら「何もしてないんです。音楽を聴くぐらい」と。天性のしなやかさを持っていました。
いま、日本選手や日本チームを批判しにくい風潮を感じます。スポーツには、健全なナショナリズムの代理戦争の側面がありますが、浅田さんと
金妍児(キムヨナ)さんの対決には日韓関係を重ね、遊びやしゃれの要素が入れなくなっている。外国人選手のファンも、どこか声高に応援できない
雰囲気がある。日本選手は褒めるか評価するか、一元的な方向性しか許せない空気が、社会を覆ってはいないでしょうか。
浅田さんを少しでも批判的に語ると、日本のファンは自分も批判されたと感じるのかも知れません。関心がないと語るのでさえ、非国民の扱いを
受けることがあります。もちろん、浅田さん自身に何の責任もありませんが、彼女の背景にあるナショナリズムを語るときでさえ、「私ももちろん
浅田選手は大好きなのですが」と、前置きしなければならない空気には違和感を覚えます。
(耕論)「真央ちゃん」語りたい 中森明夫さん、澤田瞳子さん、香山リカさん
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