【国際】大虐殺を消し去る中国 無から有を創り出す中国のプロパガンダ戦略[1/17]at NEWS4PLUS
【国際】大虐殺を消し去る中国 無から有を創り出す中国のプロパガンダ戦略[1/17] - 暇つぶし2ch6:ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/
17/01/17 20:12:01.65 CAP_USER.net
>>5
■ 大虐殺を消し去る中国
1937年7月に起きた通州の虐殺はたった1日の出来事である。日本人居留民385人のうち225人、それに警備隊の32人、合わせて257人が虐殺され、生き残った日本人は160人であった。
しかし、現場の状況は当時の各紙(東京日日、東京朝日、読売など)が翌日から連日のように、朝夕刊ばかりでなく号外まで発刊して克明に伝えている。
関係者からの聞き取り記録なども多数存在する。刑場に連行されながら九死に一生のチャンスを捉えて通州城を脱出した同盟通信記者の安藤利男特派員もいた。
また、妊娠で身重の状態にあって重傷を負いながらも助かった浜口茂子さんや安田正子さんもいた。同室の片方では男たち8人が荒々しく斬殺されており、生きながら仏の慈悲を感じていたに違いない。
雑誌『主婦之友』は、ほぼ1か月後、作家の吉屋信子をカメラマンと共に取材に行かせた。破壊された建物、著しい弾痕などを見ながら、涙なくしては読み進めない惨状を書き残している。
中国人に嫁ぎ、事件が起きた時は通州で生活していた佐々木テンさんは、事件の一部始終を目撃していた。同胞が惨殺されるのを見るに堪えず、何度も飛び出して助けようともがくが夫に止められ、決して日本語をしゃべってはいけないと制止される。
状況が余りにも鮮烈かつ残酷で誰にも打ち明けられずにいたが、縁あって浄土真宗本願寺派洗心山因通寺の住職と知り合い50年後に告白したという(藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』)。
日本人の話だけでは信用できないという人もいるであろう。そこで、先述のタウンゼントとウイリアムズにも登場してもらおう。
タウンゼントは、「日本人が最も怒りを覚えたのは、7月29日、北京郊外の町、『通州』で女子どもを含む日本人約二百名が虐殺されたニュースであった。これは戦争になる大事件であったが、アメリカの新聞は全く報じなかったり、報じた新聞も全く読者の目を引かないような記事であった」と、戦争を引き起こすほど大きな事件であったにもかかわらず、米国は目立たない報道しかしなかったことを批判したのだ。
事件ではなく「虐殺」と確言するタウンゼントは、その理由や状況につて「日本が総崩れになり中国から撤退するという報告に狂喜した中国兵士が起こしたことは明白であった。通州は戦場にはなっておらず、日本人家族は何の警告もなく虐殺されたのである。日本本土で怒りが爆発し、それ以後、中国との全面戦争は避けられないものとなったのである」と述べる。
ウイリアムズは、「私が住んでいた北支の百五十マイル以内のところに、二百名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。二十名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした」と、惨たらしい情景描写をしている。
そのうえで「日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう」と、過去に例のない凄惨な虐殺であったことを述べている。
このように、中国が一方的に戦争をしたがっていた明確な証拠、そして虐殺の事実が示されている。しかし、2016年に通州を尋ねた加藤康男氏によると、通州は北京の市域に包含され、近代都市に衣替えするために虐殺を示す現場の痕跡は一掃されているそうである(『慟哭の通州』)。
つつく


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