16/11/14 15:25:10.20 CAP_USER.net
先週土曜日、「第3回ろうそく集会」に行った。午後5時、人波をかき分けてやっとの思いで到着した場所が徳寿宮(トクスグン)大漢門の前で、われわれはここからそれ以上前に進めなかった。われわれ一行はほぼ60・70代の物書き老人連中だったが、若者たちと一緒に集会に参加しようと互いに連絡を取り合ってひとり、ふたりと集まった。「朴槿恵(パク・クネ)退陣」を叫ぶあの高揚した叫び声の中で、ふと1960年4月19日のまさにこの場所が脳裏に浮かんだ。
56年前、私は高校生で、徳寿宮の塀道の曲がり角で「李承晩(イ・スンマン)下野」を叫ぶデモの群衆の中に混じっていた。広場の向い側で実弾射撃が始まり、私の隣にいた友人が倒れた。彼を抱き起こすと頭がカクンと前に落ちて血がほとばしった。私は自分の学生帽を脱いで彼の頭にかぶせてやった。級友とともに彼を担いで走り、医大生の助けを借りて救急車に乗せた。遅れて到着したソウル駅前セブランス病院裏庭には、白いシーツで覆われた死体が並び置かれ、死んだ友人はそのどこかにいた。私は病院のトイレで裸になり、友人の血をたっぷり含んだ学生服を洗った。赤い血液はしばらく水と一緒に流れていったが、私は流れる涙をとめることができなかった。
80年光州(クァンジュ)道庁前で、87年6月の市庁前広場で、ある者は血を流し、ある者は歳月を生き延びてきた。多くの同時代の人々があふれ出たこの道に立ち、私は彼らと共に複雑な思いと胸のつかえが交差する心情で「朴槿恵退陣」を叫んだ。
ベビーカーを押して出てきた母親たちとその途方もない叫び声の中でも平和そうに眠る赤ちゃん、大きなお兄ちゃんと小さなお嬢ちゃん、そして妻を前後に連れた給料取りの家長たち、長い間忘れていたがこれを機に学生時代に一緒だったサークル仲間を呼び集めた中・壮年たち、恐る恐る行列の端っこでスローガンの終わりの句を一緒に唱えている老夫婦と、朗々とした声できっぱりと叫ぶ中高生の少年少女たち、そして何よりも彼らに祭りの広場を譲るために荒々しい息遣いを整えて裏道に退いた労働者・農民・市民団体、秩序と安全のために道を案内し清掃し即席ボランティアメンバーとなった大学生たち、この偉大な市民たちを見ながら私は詩人・金洙暎(キム・スヨン)の語り口を借りてこう叫びたい。
大統領、財閥、首相、長官、検察、国会議員、そして秘線実勢(影の実力者)とか、親なんとか、真なんとか言って媚びへつらっていたすべての反逆者は犬×だ。歴史はいくら汚い歴史でも構わない。われわれにとって真鍮の茶碗よりも高らかに響く、今、この通りの思い出を持つ人間は永遠で、愛も永遠だ。
私は朴槿恵候補が大統領になった時、残念という気持ちを越えて絶望すら感じたが、父親〔=朴正煕(パク・チョンヒ)〕のカルマを解消し、成功した大統領になるよう願う文章を書いた。事実、大統領選挙を控えてある日刊紙から受けたインタビューで、記者が「万一、朴槿恵が大統領になったらどうするか」と尋ねた時、私はためらいなく「ではこの国にはいられない。いっそフランスの平和な田舎に行って家庭食の食堂でもしながら余生を静かに送りたい」と冗談半分本音半分で答え、朴槿恵を支持した人々からあらゆる非難を受けた。しかし、言葉ではそうは言ったものの、作家である私が母国語を捨てて別の場所に移り住んだりするだろうか。
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