【歴史戦】「虐殺」写真に裏付けなし 同士討ちの可能性は触れず 日テレ系番組「南京事件」検証[10/19]at NEWS4PLUS
【歴史戦】「虐殺」写真に裏付けなし 同士討ちの可能性は触れず 日テレ系番組「南京事件」検証[10/19] - 暇つぶし2ch2:ねこ名無し ★@\(^o^)/
16/10/19 18:11:36.29 CAP_USER.net
>>1の続き)
 ただ、記事は被写体が中国側の記録に残されているような同士打ちや溺死、戦死した中国兵である可能性には一切触れず、「大虐殺」の写真と報道した。NNNの番組も中国側の記録に触れていない。
 旧日本軍の膨大な史料や証言を詳細に分析し、『再現 南京戦』(草思社)で実像に迫った亜細亜大教授の東中野修道は、番組を視聴した感想をこう語る。
 「南京陥落後も日本軍と中国軍は城内外で一触即発の状況が続いていたことと、捕虜(POW=戦争捕虜)をめぐる具体的状況が一切示されていない。バランスを欠く構成だった」
 ◆暴れる捕虜にやむなく発砲
 番組は昭和12年12月16、17日に南京城外の揚子江岸で、大量の捕虜が旧日本軍によって殺害されたと伝えた。この捕虜は南京郊外の幕府山を占領した歩兵第103旅団の下に同年12月14日に投降してきた大量の中国兵を指す。東中野は前掲の著書で、おおよそ当時の状況を次のように再現した。
 16日の揚子江岸での処刑対象は宿舎への計画的な放火に関与した捕虜だった。17日は第65連隊長、両角業作(もろずみ・ぎょうさく)の指示で、揚子江南岸から対岸に舟で渡して解放しようとしたところ、北岸の中国兵が発砲。これを日本軍が自分たちを殺害するための銃声だと勘違いして混乱した約2千人の捕虜が暴れ始めたため日本側もやむなく銃を用いた。
 17日には日本軍側にも犠牲者が出た。このことは捕虜殺害が計画的でなかったことを物語るが、番組はこうした具体的状況やその下での国際法の解釈には踏み込まなかった。
 一方で、番組は12月17日の揚子江岸での様子について、65連隊第2中隊伍長が後日描いたスケッチを紹介し、ナレーターに「河原に集められた捕虜を、日本兵の機関銃が半円形に囲んでいます」とスケッチの構図を語らせた。ところが、スケッチを描いた伍長自身は「捕虜を舟で揚子江対岸に渡す」と認識し、機関銃の射撃は「戦闘として行った」と別の機会で証言している。このことを番組は伝えなかった。
 立命館大名誉教授の北村稔は日中歴史共同研究(平成18~21年)で中国側がまとめた論文と番組の類似性を指摘した。
 「中国側は、30万人の市民殺害を主張するのはもはや無理なので、捕虜の殺害に焦点を絞る、という戦術に共同研究を通じて転換した。番組の全体の構造は、あのときの中国側の論文通りだとの印象を受けた」
 番組は「…といわれています」「これが南京で撮られたものならば…」といったナレーションを多用。断定は避けながらも、“捕虜銃殺”を強く印象付けた。
 北村は客観的根拠は明示せずに「ほのめかし」を駆使していることについて「中国の謀略宣伝のやり方と酷似している」と批判する。 (敬称略)
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 日本テレビ広報部「番組で紹介した資料の詳細についてはお答えしておりません」
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【用語解説】南京事件
 昭和12(1937)年12月13日、当時の中華民国の首都・南京陥落後、旧日本軍の占領下で起きたとされる事件。犠牲者数について中国側は「30万人」と主張する。日本では近年の研究で誇大との見方が定着しているほか、「事件」というほどの出来事はなかったとの意見もある。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない」との見解を示している。2015年10月には、中国の申請で「南京大虐殺文書」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶(記憶遺産)」に登録された。
●=木へんに堂の土が田
(おわり)


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