16/10/02 09:17:53.72 sBgFMpEE.net
慶長の役の時(1598年)に明の楊鎬が南原の茶は高品質なのになぜ採取しないのかと問うの対し、
「私たちには茶を飲む風習が無い」と答えている。楊鎬は朝鮮茶の中国への輸出を推奨した。
朝鮮で使用される茶葉は北京からの輸入品が主であった。
明治9年(1876年)7月に、日本政府が日朝修好条規に基づき、条規付録や通商章程を協議決定するため宮本小一外務大丞を
京城へ派遣した際の記録で、宮中での食事、建物、一般情勢の記録には茶について「茶(緑茶)は無い。干した生姜の粉と
陳皮(蜜柑の皮を干したもの)を砕いたのを煎じたものを「茶」としている。
貴人はこれに人参(朝鮮人参)を入れて人参湯と称する。つまり、煎じ薬を飲むにも似ている」とある。
1894年から1897年にかけ、李氏朝鮮を訪れ『朝鮮紀行』を記したイザベラ・バードは、朝鮮には茶はなく、
柑橘類を溶かしたものを飲む風習があることを紹介している。
朝鮮戦争以後は、民族主義活動家で僧籍にあった崔凡述(1904-1979)が、草衣の茶礼を受け継いだと称して般若露茶礼を創始し、
これが現代韓国の茶の儀式の基礎となっている。
なお、文献では例外的なものを除いて「茶道」という言葉は使われていない。
また、朝鮮半島で抹茶(点茶法)が飲まれていた資料も無い。
746:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:20:32.28 zNO0lyOQ.net
けん玉なんかも海外で有名になった途端起源主張
けん玉なんかはフランスがルーツで日本が今の形にし海外若者の間で大流行して最近有名になったけど
kendamaという日本名で広がってる事に疑問を抱かずに起源主張してるキチガイ韓国人
747:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:24:23.10 ggCX8la1.net
わけわからん動作をしたあと自分で飲んでるからな。バカチョン
748:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:33:47.58 Vgd8Z3b7.net
いい加減、詐道を広めるのをヤメレ
749:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:41:16.58 8TRhJei8.net
こういう風に何の躊躇もなく嘘をつける鮮人を見ると、つくづく日本人に生まれて良かったと思うよ。
750:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:49:05.09 KNRW/ipU.net
どっかの公園でブルーシートの上に思い思いの格好で座って、魔法瓶のお湯で何か溶かして飲んでる画像なら見たことある。
日本に渡った韓国の『元祖・茶の湯』とかいうタイトルだったけど、
こいつらって、他人から馬鹿にされたくないっていう気持ちないのか?
751:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:53:32.26 E3y+PrjW.net
なんてそんなに都合よくポンポンポンポン生き証人が出てくるのかがわからん。
その一方で、前回の震度5以上の地震の生き証人がでてこないのが不自然極まりない。本当に地震対策する気あるのか?もしかして殺してんじゃね?
1997年にIMFの世話になったときの生き証人はどうしたんだ?
なぜ金大中に生き証人としてノーベル賞の取り方を書き残させなかったのか?
セウォル号の船長を大統領にして生き証人として各種事故の防止策を立てさせれば道路陥没、大気汚染から韓国軍の整備不良事故に至るまであらゆる事故が防げるぞ。
そして何よりも朴正煕を生き証人とすれば、漢江の奇跡をもう一度起こせるので頑張ってね。もう死んてるなら娘かなんかを生き証人にすればいいんじゃね?まぁ、日本は基本的価値観を共有してないから勝手にやっててもらうけど。
752:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:56:09.08 sTGfRBNL.net
>>665
どんだけの日本人が表・裏千家で茶道学んでると思ってんだ?
753:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:57:12.77 uA7KTKf2.net
>>727
高麗朝では茶は普及したよ。
でも滅びたw
李朝の廃仏も大きいけど、高麗後期から茶に重税をかけて収奪を激しくやったものだから
、民衆は茶ノ木を切り倒し、茶畑を放棄して逃散。
悲しい歴史があるのです。
754:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:57:26.08 sTGfRBNL.net
>>676
それにプラスして留学僧ね。
755:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:57:55.31 dA+p5Wog.net
朝鮮人は今すぐ、苦しんで死ねよ
756:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 09:59:14.14 SlPmBMkv.net
照葉樹の茶ノ木を朝鮮半島で栽培できたのかというとこからしての捏造。
茶道文化としてなら、茶の湯に限らず連関する文化(器・各種道具や職人や産地)がどこに存在したのか形跡すら見当たらないという
757:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:00:40.40 sTGfRBNL.net
>>694
朝鮮ではせいぜい湯呑だったのを、日本の茶人が茶器に転用したんだからねえ。
758:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:02:41.95 sTGfRBNL.net
>>702
それもまあ、文禄慶長の役に茶をたしなむ武士がたくさん参加してたからでね。
759:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:05:09.89 H49GHFSy.net
この時期、飲料文化を発展させなければ、と決心をしたシン院長は新世界百貨店に「モカコーヒーハウス」を設立し、
一般人には疎かったウィンナコーヒーと小豆かき氷を登場させた。
「茶一杯飲むことに私の人生を捧げたようです。茶道をする人も茶を知らないまま、この世界に入った人が多いです。
私は30年過ぎてから茶の真理を少しずつ分かりましたね。真理を悟るのに、30~40年かかりました。
中国茶、台湾茶、日本茶、韓国茶の研究をしながら、私の弟子に教えてあげるのが楽しくて80歳になっても座って教えています。」
(おわり)
だってよ (´・ω・`)
760:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:05:46.61 sTGfRBNL.net
>>724
そもそも茶は半島を通ってすらいない。
761:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:08:01.73 uA7KTKf2.net
朝鮮で茶樹が育たないというのは誤り。
質はしらんがそれなりの収量はあった。
産地は河東とか宝城とか。
朝鮮では茶樹は育たん、を根拠に論争すると、負けるよw
762:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:10:10.34 o8uhpXpf.net
こんな嘘で自分を誤魔化してないで
朝鮮伝統の嘗糞を「嘗糞道」として世界に売り出せばいいのにね
一部マニアがこぞって韓国訪問するようになるだろう
763:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:12:39.64 sTGfRBNL.net
>>761
茶の宗匠がいた記録がねえだろ?
764:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:12:59.66 1eJ5ARnF.net
単に茶を飲むのと茶の文化は別物なんだけど
765:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:17:54.48 dDVQ/9gE.net
>>761
お茶の木そのものなら、中国伝来でなくとも、
縄文時代から日本の山に生えている在来種の茶はあった。
中国から伝わったのは、抹茶の製法 普通に育てたらタンニンが強過ぎて
苦過ぎて飲めない。
約2ヶ月間も日よけして育てた新芽のみを摘み取って、
粉に引いて育てたのがおいしく飲めた。
ウーロン茶のように葉を発酵させて、苦みをとる製法も
中国の僻地、福建省にはあって、日本には四国辺りに
発酵茶の製法が伝わってはいるけど、
茶の文化といっても、茶栽培のことをいっているのか?
茶葉をおいしく飲む、茶の製法をいっているのか?
茶の湯の文化、礼法、茶碗、茶室のしつらえ、その思想をいっているのか?
で、全く違うと思うが、茶の木が朝鮮半島にあったからといって、
茶の湯の文化が半島にあったということにはならないと思う。
766:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:20:00.07 N2yvGryy.net
なんだよ玉露でも盗みにくるの?
はいはい起源起源
767:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:20:31.52 uA7KTKf2.net
>>763
うん。お茶の宗匠はおらんかったじゃろ。茶道が存在しなかったんだしw
有名な茶人ならいた。というか名前だけ残っているというべきかw
768:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:20:31.98 sTGfRBNL.net
>>765
日本の茶道はすでに戦国時代には教育体系まで整ってたわけでねえ。千利休は
武野紹鴎の弟子だ。
769:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:21:00.70 x7ItTdZb.net
>>彼女は日本茶道流派の一つである裏千家で正式な茶道を学んだ茶人である。
茶葉は中国からきましたが、その茶葉を粉末にし、お湯に溶かして茶筅で泡だてて飲むというのは日本で生まれた文化です。
韓国人は戦国時代、高麗の青磁を高額で買い求めたり、陶芸職人を招いて日本で茶碗を作らせたことから、そんなことを行っているのでしょうが、茶器で高額で取引されたのは、明やルソンからのものもあるので全くの的外れな意見です。
770:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:24:00.55 x7ItTdZb.net
韓国の歴史 第一共和国入れても67年 文化育つのか( ^∀^)ゲラゲラ
歴史
喫茶の風習は元々中国の唐代から宋代にかけて発展したものである。
8世紀頃、中国の陸羽が著した『茶経』(ちゃきょう)には茶の効能や
用法が詳しく記されているが、
これは固形茶を粉末にして鍑(現在の茶釜の祖先)で煎じる団茶法であった。
抹茶(中国喫茶史では点茶法(てんちゃほう)と呼んでいる)の発生は、
10世紀と考えられている。文献記録は宋時代に集中しており、蔡襄の
茶録』(1064)と徽宗の『大観茶論』(12世紀)などが有名であるが、
これらの文献では龍鳳団茶に代表される高級な団茶を茶碾で
粉末にしたものを用いており、団茶から抹茶が発生した経緯をよく表している。
この抹茶を入れた碗に湯瓶から湯を注ぎ、茶筅で練るのが宋時代の点茶法であり、
京都の建仁寺、鎌倉の円覚寺の四つ頭茶会はこの遺風を伝えている。
日本には平安時代初期に唐から喫茶法(おそらく団茶法)が伝えられたが、
抹茶法が伝わったのは鎌倉時代とされる。その伝来としては、
臨済宗の開祖となる栄西禅師が1191年中国から帰国の折に茶種と作法を
持ち帰り、その飲み方などが日本に広まったという説が有名である
栄西の『喫茶養生記』には茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする喫茶
の効用が説かれている。1214年(建保2年)には源実朝に「所誉茶徳之書」
を献上したというこの時代の抹茶は、
現在のような、緑色ではなく茶色であった。
771:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:25:42.48 alTSazFw.net
>>1
チョンはトウモロコシの髭茶でも飲んでろ。
772:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:28:09.69 x7ItTdZb.net
自分たちが作った文化じゃないから
「我が国起源!」を叫び続けるんだよね。
世界が誤認するために
773:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:31:52.73 jD9J6p25.net
.>>753
なるほど
それは言い換えれば一時の流行にとどまったとも言えるな
結局は伝統文化を形成できなかった
774:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:32:12.94 DxqOoTJo.net
>>1
茶そのものは伝わったとしても、文化は違うだろう。
775:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:32:22.10 BkHZmDcz.net
> シン・ウナク
『俺がガンダムだ!』
の人だっけ?
776:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:39:16.39 sTGfRBNL.net
>>775
まったく名前似てない。刹那・F・セイエイ。
777:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 10:52:21.59 8fjMX4iG.net
ここで茶を飲めば心まできれいになりそうな気がするほどだった。
こころが汚いのはデフォなのか
778:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 11:15:07.97 ML1RAa9q.net
>>753
茶の木は朝鮮半島だと、南端などのごく一部でしか生育できない。
高価な輸入品で、普及なんて出来るレベルじゃなかった。
当時の中国、明ですら貴族階級が飲んでただけだぞ。
779:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 11:39:21.51 sXJOZf+d.net
生き証人・・・
アホすぎて、可哀想だわ
780:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 11:55:15.82 uA7KTKf2.net
>>778
明朝くらいになるとさすがに富裕層なら喫茶の風があっただろ。
岩波文庫に陶庵夢憶という本があっていろいろ道楽してるのが
書いてある。皇帝への献上茶とかとはまた次元の違う話。
まは支那はいいとして、高麗の茶文化をどうとらえるか?
調べてみるといろいろ痕跡だけは感じられるのですわ、なんか
繁栄の過去があったらしいということが。
まあ滅びてしまったので、いまさらそんなことをいわてても困惑する
でしょうが。
復元できないにしても、あったらしいことはみとめてやらないと。
781:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 11:55:48.84 rwUUA939.net
zz
782:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/
16/10/02 11:56:00.66 vShEzsy0.net
抹茶、海外の人に人気だから起源を主張しだしたのかな
茶礼?とかも日本にいた韓国人が日本人が海外の人を茶道でもてなしてるのを見て数十年前に真似たのが始まり