16/09/08 13:44:39.21 dIQZHMtO.net
>>561
乙秘第二五〇号 一月二十九日
菊地忠三郎ノ行動
日韓電報通信社長菊地忠三郎は内田良平が退韓後同人に代り一進会操縦の任に当り居りたるが今回李容九の内●を銜み
杦山茂丸、内田良平と会し善後策を講ぜんが為め帰朝せるものにして着京後は日々杦山及内田と会し協議を重ねつゝあり。始め
日韓合邦論の起るや一時韓国の政界を賑はしたるも事予期と齟齬し今や頗る窮状に陥ろ殊に近く合邦の成功を期するの見込なく
今や一進会は土崩瓦解の悲境に瀕し此侭推移せば一進会は遂に暴徒に変ずるの虞なきにあらず。・・・
アジア歴史資料センターURLリンク(www.jacar.go.jp)
レファレンスコードB03050610500
伊藤公爵薨去後ニ於ケル韓国政局並ニ総理大臣李完用遭難一件
標題:3 隆煕4年〔明治43年〕1月7日から〔明治43年〕2月18日
>今や頗る窮状に陥ろ殊に近く合邦の成功を期するの見込なく今や一進会は土崩瓦解の悲境に瀕し