16/07/27 22:09:42.53 CAP_USER.net
神奈川・相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件。容疑者の新たな様子が入ってきた。
27日午後5時すぎ、勾留手続きのために立ち寄った横浜地裁を車で出た際の植松 聖容疑者(26)は、朝の送検時とは違って、笑顔はなく、神妙な面持ちに見える。
取り調べに対する注目の供述、そして、犯行前の植松容疑者自身の言葉から、犯行前の道筋が浮かび上がってきている。
51歳の息子が重体の母親は、「うちの子が一番重傷だった。ここ(首)を切られて、ここ(首の横)をすごく包帯、ガーゼを当てられていた」と語った。
27日、取材に応じたのは、51歳の息子が、今も意識不明の重体のままだという母親。
51歳の息子が重体の母親は、「(傷は肺まで?)到達して、穴が開いちゃって。人工呼吸でいる。意識はもちろんない」と語った。
「戦後最悪クラスの殺人事件」を起こした男の表情をとらえようと、警察署には27日朝、多くの報道陣が詰めかけた。
金髪で、ボーダー柄のTシャツを着た植松 聖容疑者。
前かがみになりながら、笑みを浮かべ、左右の報道陣を見渡した。
植松容疑者は、「重複障害者を救ってあげたかった」などと供述しているという。
19人が殺害され、26人が重軽傷を負った、神奈川・相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件。
検視の結果、全ての遺体には、首以外の部分にも傷があったことがわかった。
津久井やまゆり園の職員は、「ちょっと、(みんな)ショックを受けている感じ」と語った。
2016年2月まで、この施設の職員だった植松容疑者。
なぜ、この施設で働くことになったのか、大学時代にネット上の投稿サイトに書き込まれた内容からは、「1つの挫折」が浮かび上がってきた。
「さとしは小学校教師になるためにかなり忙しく切羽詰まってきました」という、6年前、当時大学3年生になったばかりの書き込み。
目指していたのは、小学校の教師だった。
子どもとの触れ合いや、教育実習に喜びを感じる様子の書き込み。
一方、特別支援学級での実習では、「きょうは身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ」と、障害者に対する強い偏見は、このころから見て取れる。
教育実習と障害者支援。
この2つの経験をふまえ、就職活動に突入した植松容疑者。
しかし、「教員免許採用試験の受け付けがとっくに終わっていたので、ことし教師になれる可能性は0になりました。タハー」と書き込んでいた。
教師の夢を絶たれると、その後、なぜか入れ墨の彫り師を目指すことに。
しかし、結局、大学を卒業した2012年の就職したのは、飲料関係の運送業の会社だった。
大学卒業後の就職先は、「非常によくやっていた。ムードメーカー的に。(入社約半年後)『介護関係の仕事がしたい』と辞めた」と語った。
この会社を半年ほどで辞めた植松容疑者が、次に働き始めたのが、津久井やまゆり園。
なぜ、障害者に対する強い偏見を持ちながら、この道を選んだのか。
入倉 かおる園長は、27日午後に行われた会見で、「植松容疑者本人が、業務中に、利用者の人権を侵害するような発言。具体的に言うと、『死んだ方がいい』というような発言をし始めた。本人は、『自分の考えは正しい』と何度も訴えていたので、『それならば、自分はもう辞めます』という結果になった」と明かした。
3年余り働いた後、2016年2月に退職した植松容疑者。
7月上旬に植松容疑者に会ったという知人は、ある話を持ちかけられたという。
7月上旬に植松容疑者に会った知人は、「SEALDs(学生運動グループ)にならった抗議活動をすると。『安楽死』に関しての抗議活動。(植松容疑者は)人をたくさん集めて活動しているらしく、自分が聞いたときは、『12~13人活動メンバーがいる』と。(植松容疑者が)リーダーと聞いた」などと語った。
「体の不自由な高齢者を安楽死できるように求めたい」と話したという植松容疑者。 話は、次第にエスカレート。
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