【領土問題】「尖閣奪還は韓国の独島占拠に学べ」とは…台湾とともに割譲と主張する中国の論理矛盾 下條正男・拓殖大教授[5/21]at NEWS4PLUS
【領土問題】「尖閣奪還は韓国の独島占拠に学べ」とは…台湾とともに割譲と主張する中国の論理矛盾 下條正男・拓殖大教授[5/21] - 暇つぶし2ch2:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/
16/05/21 20:22:54.78 CAP_USER.net
>>1の続き)
  ・「尖閣は中国領」と論陣を張った日本の学者 
 だがこの程度の歴史的事実は、中国側も承知していたはずである。それが表面に出なかったのには、理由がある。京都大学教授だった
故井上清氏らが「尖閣諸島は中国領だ」とする論陣を張り、国際法偏重の日本側が歴史研究に不熱心だったからである。
 しかし、台湾が清朝に編入され、福建省の一部となったのは1684年。それも、鶏籠を北限としていた。
 それに『大清一統志』には、イエズス会の宣教師らが測量した「台湾府図」が載せられている。そこには尖閣諸島はもちろんのこと、尖閣諸島と
台湾の間にある棉花島、花瓶島、彭佳島の3島も描かれていない。台湾府の疆域(きょういき)には、尖閣諸島は含まれていなかったのである。
 にもかかわらず、井上氏らは尖閣諸島を中国領だとした。その証拠とされたのが、中国から琉球国に「冊封使」として派遣された使臣たちの
記録である。そこには釣魚島や赤尾嶼など、尖閣諸島の島嶼(とうしょ)が記録されているからだ。
  ・中国側の「不都合な真実」
 だが、冊封使として琉球に渡った齋鯤(せいこん)は、著書『東瀛百詠(とうえいひゃくえい)』の中で鶏籠山を「なおこれ中華の界のごとし」とし、
「鶏籠山、中華の界を過ぎ」としている。これは、鶏籠周辺を台湾の界(さかい)とする地理的理解が一般化していたからにほかならない。
 その台湾は、清仏戦争後の1885年9月、台湾省に昇格した。その際、初代の「台湾巡撫(じゅんぶ)」となった劉銘伝(りゅうめいでん)は、
台湾省の疆域を「南北相距たること七百余里、東西近きは二百余里、遠くは或いは三・四百里」としている。
 台湾省の疆域は、『欽定大清会典図』の「台湾省全図」で確認できる。そこに描かれているのは台湾全島と、澎湖諸島だけで、尖閣諸島は
含まれていない。
 これらはいずれも中国側にとっては「不都合な事実」である。中国側はこれまで、「日清戦争の結果、台湾が日本に割譲された際に、
その付属島嶼である尖閣諸島も一緒に割譲されていた」としてきたが、台湾省には、最初から尖閣諸島は含まれていなかった。
  ・「歴史を直視」すべきなのは日中どちらか
 先月末の外相会談で、王外相は岸田外相に「歴史を直視」するよう大言壮語した。だが尖閣諸島は、歴史的に中国の領土であった
事実はない。これは、国際法上も、尖閣諸島は中国の領土ではなかったということである。
 その尖閣諸島を狙って日本を挑発し、いたずらに東緊張を高めているのは中国なのである。中国はこの「歴史を直視」することがない限り、
かつての歴代王朝がそうだったように、周辺諸国から嫌われ者にされてしまうのである。
(おしまい)


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