【領土問題】「尖閣奪還は韓国の独島占拠に学べ」とは…台湾とともに割譲と主張する中国の論理矛盾 下條正男・拓殖大教授[5/21]at NEWS4PLUS
【領土問題】「尖閣奪還は韓国の独島占拠に学べ」とは…台湾とともに割譲と主張する中国の論理矛盾 下條正男・拓殖大教授[5/21] - 暇つぶし2ch1:ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/
16/05/21 20:22:18.55 CAP_USER.net
 この4月30日、岸田文雄外相と中国の王毅外相が北京で会談した際、王外相は岸田外相に向かって「中日関係は度々谷間に陥った」
「その原因は日本側が一番よく分かっている」とし、「歴史を直視」するよう迫った。その背景には、尖閣諸島をめぐる日中間の確執がある。
2010(平成22)年9月7日、尖閣諸島周辺で中国漁船が故意に日本の巡視船に衝突し、漁船の船長が公務執行妨害で逮捕された
事件が発端であった。
  ・一触即発の時を待っていた中国
 中国が尖閣諸島に触手を伸ばすのは、沖縄が日本に返還されることが決まった1970(昭和45)年頃にまで溯(さかのぼ)る。中国側では
それ以降、虎視眈々(たんたん)と尖閣諸島を狙ってきたのだ。
 1992(平成4)年には「領海法」を制定して尖閣諸島を中国領とし、1998(同10)年には「大陸棚法」を成立させている。さらに衝突事件の
4カ月前には、「八路軍太行紀念館」のサイトに尖閣問題関連の論稿が数多く掲載された。
 中国側は、戦略的に尖閣諸島を紛争地域化しようとしていたのであり、一触即発の時を待っていたのである。衝突事件の後、中国各地で
反日暴動が起き、日系企業が襲撃されたのは、なにも偶然ではない。
  ・「韓国に倣え」と主張した香港週刊誌
 香港の週刊誌『亜洲週刊』が2010年9月26日号で「韓国に学ぶ」と題して特集を組んだ事実も、そのことを示している。同誌は特集で
「日本から韓国が独島(竹島)を奪還した貴重な経験を学べば釣魚島(尖閣諸島)回復も夢でない」とした。
 竹島は1953(昭和28)年頃から韓国の民間人が上陸し、翌年、韓国の海洋警備隊が進駐して、今も不法占拠を続けている。同誌は韓国の
竹島占拠に倣い、中国も民間人を大挙尖閣諸島に上陸させれば、釣魚島を奪取できる、としたのである。
  ・噛(か)み合わない中韓両国と日本の争点
 これに対し、時の民主党政権は2012(平成24)年9月12日、尖閣諸島の国有化に踏み切り、国連で演説した野田佳彦首相(当時)は、
「国際法の重視」と「法の支配」を強調した。
 だが中国側の歴史認識では、尖閣諸島は日清戦争の最中(1895年1月)、日本が侵奪したことになっている。この論理は、竹島を不法占拠する
韓国側とも共通している。韓国側では「独島は6世紀以来韓国領だったが、日露戦争の最中(1905年)、日本に奪われてしまった」としているからだ。
 過去の歴史を口実とする中韓両国と、国際法を重視する日本とでは、最初から争点が噛み合っていなかったのである。
  ・台湾を「外夷伝」とした清朝の文献
 私はこうした事態を憂慮し、産経新聞に依頼して2010年11月、尖閣諸島が歴史的に中国領ではなかったことを示す文献を公表した。
それが官撰の『大清一統志』である。
 清朝時代に編纂(へんさん)された『大清一統志』では、台湾府の北限を「鶏籠(ジーロン)」(現在の基隆)としており、そこから170キロも離れた
尖閣諸島は当然、中国領ではないからだ。
 ところが、この文献について報じた同日の紙面で、中国漁船の衝突映像公開が大々的に伝えられ、『大清一統志』の方は注目されなかった。
 そこで、そのあとも『正論』などを通じ、「尖閣諸島が明代から中国領であった」とする中国側の主張の誤りをただした。明代に編纂された
『大明一統志』では、澎湖(ほうこ)諸島を琉球国の属領とし、台湾(高華嶼)を「外夷(がいい)伝」に入れているからだ。
>>2以降に続く)
産経WEST 2016.5.20 07:00
URLリンク(www.sankei.com)


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