16/04/29 02:41:48.38 aNep5awt.net
>>889下
そういう立場なら、「死」に意味はあるとも言える。
哲学的な話になるが、それならば、意味が存在する領域は、デカルト的コキド(自己や他者の主観)でなく、二者以上の関係を前提としたカタチになるから。
言うなれば、会話の空間上に、意味が浮き上がる状態。
その場合は、言語のキャッチボールで、意味が生成されていくって流れを認めることになる。
意味が固定されず、流動的に変化していくことを受け入れないと、その流れは不可能。
だから、生者が言語で意味を生み出していくことも、認められる。