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1996年 国定韓国高等学校歴史教科書
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19世紀後半以後、韓民族は間島地方へ移住して、そこの荒蕪地を開拓するなど
生活の基盤を確保した。すると清は間島開墾事業を口実に韓民族の撤収を
要求し、ここに間島帰属問題が起こった。
政府では白頭山定界碑の土門江が松花江の上流なので間島がわが領土で
あることを主張し、間島に官吏を派遣し管理していた。
総督府が設置された後にも日帝は間島に統監府の派出所をおきこれを
管轄した。しかし、日帝は清と間島協約を締結し(1909年)、満州の
安奉線鉄道敷設権を得た代価として間島を清の領土と認定した。
日帝がこのようにわが国の外交権を掌握して自分勝手に協約を締結した
ことは乙巳条約に根拠をおいているのだが、乙巳条約が高宗皇帝によって
無効であると宣言された以上、この条約を根拠に結んだ間島協約も無効である。
これだけではなく、日帝は露日戦争中に、独島を自分の領土に
編入する不法行為を犯したりした。
1996年当時はこの程度の記載