16/01/26 23:43:12.88 U4HWHdgb.net
19世紀の半ば、アメリカは独立させてやるといってフィリピンを騙し
4年かけて スペインを追い出しフィリピンとグアムをとった。 日本を抑え込むため、対日防御網とした。
フィリピン人は怒って 15,000人のアナギルド将軍が抵抗運動。アメリカは7万の軍勢で皆殺し作戦を開始。
サマール、レイテ、でアメリカ人が 30人が殺されると アメリカは これらの島の 5万人を皆殺しにした。
抵抗すると彼らはゲリラだ、アメリカに対するテロ行為だとして
捕まえ捕虜にしても生かす必要はないとして残虐に拷問、殺戮を繰り返した。
捕虜の身分保証されなければならない、しかし彼らがゲリラであると勝手に認定するのは白人の特権。
捕虜は拷問され仲間の居場所を吐かせる。
月~金、毎日銃弾を一発づつ撃つ。
金曜日に処刑される。
フィリピン人は毎日毎日さいなまれることになる。
ウォーターキュア、水療法という拷問。
仰向け大の字に縛りつけ口が閉じないように棒を噛ませ塩水や泥水を無理やり飲ませる。
仲間はどこにいるか吐かないと腹の上に飛び乗ってベトナム人は口から6フィートの塩水を吹き上げて死んでいった、
とアメリカ上院公聴会での記録にある。180人の拷問で 160人が死んだともある。
こうして15,000人の部隊を追い詰め、その家族も皆殺ししている。
実際には合計 40万人ほどが殺されている(アメリカ軍は 20万と言っている)。 毎日が殺戮。
20万人/4年=5万人/365日=何十人/日と殺している。
そんな拷問を毎日、殺戮を毎日、見せられたフィリピン人はまいってしまう。
毎日が拷問。
フィリピン人はおかしくなりアメリカ人へは全くの無抵抗になってしまう。
しかし日本軍はアメリカ軍を追い出した。ラウレル大統領は喜んだ。
しかし日本がアメリカを追っ払っていたのは3年間。
アメリカが帰ってきた。
しかし “恐い” との思いしかないフィリピン人はアメリカ人に完璧に従順でしかなかった。
だからフィリピンの中学校歴史教科書には次のように嘘が書いていある:
米国は長い間抑圧されたフィリピンに新たな希望と文明と自由をもってやってきました。
フィリピン人は始めて知識、幸福、自由に制限のない民主的生活を享受することができました。
日本は「1942年から 3年間の僅かな間留まりましたがフィリピン人は大変苛まれました。
日本人は言うに言えない残忍な行為を働きました。
フィリピン人は憎みましたが、日本軍は一人殺されたら10人殺すと警告しました。
史実、真実は真逆だ。
しかし戦後、フィリピンはアメリカが言うがままに動いた。
たとえばキリノ大統領、彼は全て真実を知っていた。
1890年生まれのキリノ氏は 1900年のアメリカの残虐な行為を知らないわけがない、
アメリカの残虐さを知っている。
しかし戦後アメリカ軍の言うがままに日本軍は残虐な行為をした、と言っている。
そしてキリノ大統領は日本に対して 80億ドルの戦時賠償をしろ、と言い出した。
当時の1億ドルは 8000億円に相当、日本の国家予算は 7000億円、
つまり80億ドルとは日本の国家予算の80年分。 日本は当時 完全な焼け野原、支払できないと言った。
するとキリノ大統領は日本人 BC級戦犯の 70人超中 14日を1日で処刑した。
これは身代金を払え、でなければ殺す、銀行強盗と同じ