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●シカゴ・デイリー・ニューズ 1937年12月15日 A・T・スティール
南京(米艦オアフ号より)十二月十五日>南京の包囲と攻略を最もふさわしい言葉で表現するならば、”地獄の四日間”ということになるだろう。
首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米艦オアフ号に乗船したところである。
南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くの城壁を背にして三〇〇人の中国人の一群を整然と処刑している光景であった。
そこにはすでに膝がうずまるほど死体が積まれていた。それはこの数日間の狂気の南京を象徴する情景であった。
南京の陥落劇は、罠にはまった中国防衛軍の筆に尽くせないパニック・混乱状態と、その後に続いた日本軍の恐怖の支配、
ということになる。後者では何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪のない市民であった。
首都放棄以前の中国軍の行為も悲惨であったが、侵入軍の狼藉に比べたらおとなしいものだった。
・同情の機会を失う
中国人のとの友好を主張しているにもかかわらず、日本軍は中国民衆の同情を獲得できるまたとないチャンスを、自らの蛮行により失おうとしている。
中国軍の士気の完全な崩壊と、それに引き続いて起こった目茶苦茶なパニックのあと、日本軍が入場してきたときにはかすかな安堵感が南京に漂った。中国防衛軍の行為ほどには悪くなり得ないだろうという気持ちがあった。が、その幻想はたちまち破れてしまった。
罠にはまった中国兵に憐憫の情をたれるだけで、日本軍は一発も発砲せずに市内を全部制圧できたはずだ。ほとんどの兵がすでに武器を捨てており、降伏したに違いない。しかしながら、日本軍は組織的撲滅の方法を選んだ。
・米公使宅襲撃さる
日本軍の略奪はすざまじく、それに先立つ中国軍の略奪は、まるで日曜学校のピクニック程度のものであった。日本兵はアメリカ大使ネルソン・T・ジョンソン邸を含む外国人宅にも侵入した。
アメリカ人運営の大学病院(鼓楼病院)では、日本軍は看護婦から金や時計を奪った。また、アメリカ人所有の車を少なくとも二台盗み、車についていた国旗を引き裂いた。日本軍は難民キャンプにも押し入り、貧しい者からなけなしの金を巻き上げた。
以上は、私自身および包囲中南京にとどまった外国人が見た事実によるものである。