15/10/26 08:13:29.98 cGr4pHsg.net
>>61
>>明治日本は、当時、欧米列強が次々とアジアを植民地化して行く中で、
>>中国清朝政府以下、いかなるアジア諸国も太刀打ちできないのを見て、
>>自国をいち早く近代化させ、その勢いで、アジアを欧米諸国の蹂躙下から開放するために立ち上がったってことだ。
ちょっと違うな。
支那を含めた東亜を糾合して西欧列強に対抗しようというアジア主義者はまだ支那に期待をしていた。
日清戦争後,清帝国の改革,朝鮮の改革にも援助したし,それらが失敗した後は辛亥革命にも援助した.
中華民国即ち中国となった後ももろもろの援助をした.
それは政府だけじゃなく,民間も含めてだ.1920年代ぐらいまでだな.
しかし,中国はどうにもならないことが判ってくると,アジア主義者でさえ東亜糾合は日本のもとで
という考えになっていったわけだ.最終的にやっていることは脱亜入欧主義者と同じなったわけだ.
戦後,やたらと中国,北朝鮮,韓国におもねる連中がいるが,一部はこのアジア主義者の末裔でもある.
未だに東亜に幻想を抱いている阿保だ.