15/10/16 07:47:32.42 D0DWBevm.net
>>270
黄河決壊事件(花園口決堤事件)
黄河が決壊したのは1938年6月7日だった。
河南省の花園堤防が切れて満々たる水が黄河から溢れだし、河南省ばかりか安徽省から江蘇省の平原まで冠水した。
水死者だけで60万人とも百万人とも言われる。
これは蒋介石が命じて堤防を爆破したからで、被災は以後水没地域に干ばつ、飢餓などをもたらし、
1943年には大飢饉に繋がる。ところが、蒋介石の副官だった何応鈞は『八年抗戦之経過』(1938年)の
なかで「日本軍が飛行機で爆撃した」と書いた。『中華年鏡』(1948年)のなかにも「日本軍の砲撃で破壊
された」と嘘が書かれたが真実はちがう。
日本軍に追われた蒋介石は水攻めの奇策を思いついた。
黄河花園堤防爆破が国民党の自作自演であったことは、1976年になってからやっと関係者が暴露した。
しかも爆破直後に「これを日本軍の仕業として宣伝する」ことまで事前に決められていた。
6月7日爆破。6月11日からラジオなどを使って『日本軍の暴挙をわめき続けた。
これに疑問をもった外国人記者がいた。
パリの「共和報」という新聞が自作自演説を伝え、真実が明るみに出る。
以徳報恩などと欺瞞的な放言が得意だった蒋介石神話を信じていた人にとって、真実とは驚くほどのことであった