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120 名前: ぢぢ 投稿日: 2000/06/04(日) 21:39
朝鮮で戦争が始まったときには、共産党は非合法での、講和条約が成って、
日本が独立を回復した頃に、共産党があれこれと暴動をおこしたのぢゃ。
(朝鮮戦争昭和25-28年、サンフランシスコ講和条約発効27年)
(26年民戦(在日本朝鮮統一民主戦線)結成、日本革命をめざし反米闘争を行う)
大きなもので、血のメーデー、吹田事件、大須事件などというのがあっての、
どれも鮮人が先頭になって暴れたものぢゃ。
(いずれも昭和27年)
今では、鮮人が暴れおったことは、内緒の話になっておるようぢやがな。
なになに、そのころの新聞をみれば一目でわかることぢゃよ。
この時に捕まった鮮人を南鮮に送り返す、強制送還するぞと、日本の警察が
鮮人の団体、今の朝鮮総連をおどしての、強制送還をせんかわりに、
二度と鮮人は日本の政治に口を出さんことで手打ちになったのぢゃ。
なんせ、日本でなら懲役の3月の1年ので済むことが、当時の南鮮に
送り返されれば、そのまま銃殺ぢゃて、鮮人の主だったものも、驚いたろうて。
そのあと、鮮人の共産党員は日本の共産党を抜けての、北鮮の共産党、労働党かの、
ま、同じことぢゃが、そこに入ることになったのぢゃ。
(昭和30年、日本共産党下の民戦を解散し朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)を結成)
これが、終戦から昭和の30年から少し前までの話ぢゃ。
ちと、話がまわりくどくなったが、これを話しておかんと、この後の帰国船さわぎの
わけがわからんでの。 <