15/06/12 13:36:36.99 .net
■戦地へ行く前の過酷な適応訓練、兵隊の精神はボロボロに
「当時、韓国の国家再建最高会議議長だった朴正熙氏(故人、1963年に大統領就任)は、
『経済発展には米国によるバックアップが不可欠』と判断し、米国の派兵要請に応じた。
自国に、朝鮮戦争で経験を積んだ兵士たちがいることが、彼の背中を押したことも大きい」
韓国のベトナム戦争への参戦理由をこう解説した柳氏は、「当時は、米軍が劣勢にある
地域に、韓国軍が投入されることは容易に理解できた」と語る。
「危険地帯に送り込まれる以上、銃弾を浴びて死ぬかもしれないと覚悟した。多分、ほか
の兵士たちも同じ心境だったと思う。その覚悟は『何とか生きて韓国に戻り、家族と一緒
に暮らしたい』という思いと裏腹だった」
1964年の医療部隊の派遣を皮切りに、「猛虎」「白馬」「青竜」とネーミングがされた韓国
陸軍の強豪部隊が、次々にベトナムの戦地に送り込まれていった。柳氏は、そのうちの
白馬部隊に属した。大学院を休学しての入隊で、戦場では主に暗号解読を担当した。
「兵士たちは全員、ベトナムに送られる直前に、朝鮮半島の北緯38度線の近くで適応
訓練を受けるのだが、その内容は極めて過酷で、訓練中に命を落とす者もいた。
『訓練の段階で、こんなに残酷であるならば、自分が現地で死んでも、死亡通知�