15/06/02 23:41:53.66 U1TKvsdH.net
>>365
一応、おおまか適当な剣道の歴史
剣道じたいは明治初期の撃剣興行(維新で職を無くした剣術家に試合をさせて興行にし救済した。)
と西南戦争(薩摩の剣による突撃に甚大な被害が出たので、急遽剣術家を召集、抜刀隊を
作り対抗、成果をあげたので、剣術の見直しが行われた。)をへて、武術諸流派が一同に会した
武徳会の稽古用共通プラットフォームとして制定されたもの。
富国強兵政策の下、軍事教練の基礎として学校教育に取り入れられ、全国に普及する。
戦後のGHQの武道の弾圧によって競技色を強め、現在に至っている。
それ以前は剣術の竹刀稽古という真剣での闘争技術として必要ないくつかの要素を
簡便的にかつ安全に習得できる「稽古法の一つ」だった。
江戸中期に現在の防具と竹刀の原型が考案され各流派の交流が行いやすいという利点もあり、
一気に普及した。
(竹刀の原型の「袋撓い」は既に戦国時代にできている。防具の原型も各流派にある。)
が、その道具の規格とルールは各流派によって違っていた。
今でも古流の行う竹刀稽古は、各流派独自の道具規格とルールでされていることが多い。
有名なのは直心影流の竹刀稽古。
じつはここが最初に四つ割竹刀と防具を使った竹刀稽古を始めた。
幕末の講武所でも直心影流が中心になって運営されている。
現在、剣道連盟が採用している道具規格は各流派の師範が集まってエリートに指導した、
幕末の講武所に由来するし、ルールは戦後の武道禁止令時代の「撓い競技」に由来する。
体系化された剣術流派自体は、
古墳時代中期、常陸国鹿島に香取、鹿島の神官が伝えた関東七流(東国七流)
平安時代後期には、京都鞍馬山で鬼一法眼が伝えたとされる京八流
とが形成され、このなかから、
室町~戦国初期に、後の剣術流派のほぼ全てがこの四大流派のどれかを祖にもつことから
「日本四大源流」と言われる、
念流、神道流(鹿島、香取)、陰流、中条流
が形成された。
念流からは馬庭念流、奥山念流、神道流からは香取神道流、鹿島新当流、鹿島神流、新陰流、
陰流からは新陰流、中条流からは一刀流
が出て、新陰流から直心影流、疋田陰流、が。一刀流からは北辰一刀流、無刀流がでる。
そして、北辰一刀流と一刀流などの一刀流系統を中心に、剣道が編成される。
間違ってたらごめんやっしゃ