暇つぶし2chat NEWS4PLUS
- 暇つぶし2ch4:南金陽郡で2男9女をもうけた小さな商店(雑貨屋)で生まれた。子供の頃、最も したいことが勉強だった。父は「女子が勉強すれば、キツネ(※「狡猾」の意味)にしかなるものはない」と 怒った。母がこっそり一升の米を売って、普通学校に入れてくれた。一週間も経たずに、父が娘を教室 から連れ出し、本を燃やしてしまった。それでも、怒りが収まらず、娘を死にもの狂いで殴って家から追い 出してしまった。本家に行っていたが、もう勉強をしないという約束をした後、家に帰ってきた。 勉強ができなかったことが恨になった状態で、9歳から家事をして、畑仕事もして、綿畑の草取り、繭紡ぎ もした。雑貨屋で売るサツマイモも蒸した。農作業をするたびに、ご飯を炊いて野に運んだ。そんな1943 年の秋のある日、村に住む日本の手先役をする50代のおじさんが、勉強も出来てお金も稼ぐことができる 場所に送ってくれるというので、ついて行った。18歳だった。その男と日本人巡査が彼女をすぐ車に乗せ釜山 に連れて行った。長い髪を切ってチマチョゴリを脱がせワンピースを着せた。そして、他の4人の女性たちと 一緒にそのまま満州に移送された。この物語を含めて、以下のすべての話は挺対協が編纂した「証言集」 に収録されている。 この女性は、毎週水曜日12時に日本大使館の前に出て、日本が自分を強制的に連行して慰安婦に したと謝罪と被害補償を要求しているのである。この慰安婦の遊びは、スパイの妻であり、挺対協の常任 代表ユン・ミヒャンが運営している。問題は、この元慰安婦女性にではなく、挺対協にある。 2)イ・サンオク:この慰安婦の父は慶尚北道達城郡達城面長だった。作男をもうけ、農業をして富農でも あった。9歳の時に学校に入ったが、兄が「小娘を学校にやって、使い物になるのか」と学校に行けないよう にして、本を焚口に入れて燃やしてしまった。それでも学校に行こうとしたところ、殺すと言って脅迫した。 隣家のお姉さんが学校に通うのがとても羨ましく見えて、その年、母にも知らせず、ソウルに逃げ出した。 叔母が学校に行かせてくれたが、兄が叔母に執拗な圧力を加えた。叔母の家を出てトンビという家に 入った。9人の娘たちがいたが、この女の人たちはみんな自身の父によって売られてきた。 15歳の彼女が 最も幼かった。この9人が行く所について行ってみると、下関だった。彼女らを引率した軍属が10人の生娘 たちを渡した所は、まさに朝鮮人夫婦が運営する軍の遊郭だった。彼らは、娘たちとは何の関係もなく、 金を取り交わした。 この元慰安婦の女性は、日本語を話すために、日本軍の病院で働いて給料も受けた。日本軍医が 彼女を可哀想に思って朝鮮に帰そうと思ったが、その日、爆撃を受けふいになった。この女性も、女性へ の家庭内暴力のために遊郭に追いやられたケースであった。 (つづく)
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