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(>>1の続き)
でも行ったことがない朝鮮半島という存在は、やはり私には遠すぎて、自分には何の関係もない場所のようでした。
自分を受け入れ、変わり始めた
民族名だとスムーズに仕事をしにくい状況が日本社会で長くあり、父は通名で仕事を請け負って、一家6人を養ってくれました。
今は、自分さえ堂々としていれば、民族名でも問題はないし、それに応えてくれる社会に日本は近づいていると思いますが、病院の待合室で「文さん」と名前を呼ばれると、振り向いてじっと見る年配の方がいたり。
満席のレストランで席を案内されるときに「(夫の姓の)李様、4名様」と呼ばれ、一瞬周りからの視線を感じたりもします。
長く通名を使ってきた私は、名乗れない状況の人の事情も痛いほど分かります。
父は、大学進学を機に、「文という姓を名乗って大学に進学すること」を強要しました。こうして「皆と同じでいることが楽」な日々は、突然終わりを告げるのです。
「えっ、なんで、急に今頃…」。私は驚き、その理不尽さに納得できませんでした。「それなら最初から民族名で育ててくれたら楽だったのに」。そう喉(のど)まで出かかっていましたが、わが家で絶対的な存在である父にとても逆らうことはできませんでした。
しかし、ここから私の人生に大きな変化が訪れるのです。
就職や留学、結婚。人生のさまざまな分岐点で、自らのアイデンティティーをいや応なく考えさせられ、その都度、自分の中に湧き出る疑問を一つずつ解き、気づきを得て、道を修正し、心の奥底に据えていったのです。
自分のアイデンティティーに対する長い葛藤は、自分と対峙(たいじ)する時間の積み重ねであり、そうやって自分を受け入れた瞬間から人生が少しずつ変わり始めました。
そして、「人と違う視点」こそが私の最大の強みだと気づくようになるのです。
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【プロフィル】文美月(ぶん・みつき) 奈良県出身。44歳。日本国籍の在日コリアン3世。同志社大卒。結婚し勤め先を退職、2児を出産後の平成13年に自宅で起業。
ヘアアクセサリーの製造・販売を手掛けるリトルムーンインターナショナル株式会社を創業した。現在、購入後に使われなくなったアクセサリーを提供してもらい、東南アジアの少女たちに寄贈する活動にも取り組む。
(おわり)