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また、最近、防衛研究所戦史部図書館で公開された早尾乕雄陸軍中尉のレポート、「戦場心理の研究(総論)」(一九三八年五月にも、次のような記述がある。早尾は金沢医科大学の予備将校で、召集されて上海・南京戦に従事した。
余が南京へ入ったのは陥落後一週間であったから市街には頻々と放火があり見る間に市内の民家は日本兵により荒されて行った。
下関には支那兵屍体が累々と重り是を焼き棄てるために集められたのである。目を揚子江岸に転ずれば此処に山なす屍体であった。
其の中に正規兵の捕虜の処置が始まり海軍側は機関銃を以て陸軍は惨殺、銃殺を行ひ其の屍体を揚子江へ投じた。死に切れない者は下流に泣き叫びつつ泳ぎゆくを更に射撃する。是を見ても遊戯位にしか感じない。
中には是非やらしてくれと首切り役を希望する将兵もある。
(中略)揚子江に沈んだ正規兵の屍体は凡そ二万人位と言はれる。
(『現代歴史学と南京事件』 P12~P13)