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立った歩いた
2020/08/18 17:46 
『薄暮』の作画は、演奏シーンを除けば、実にたいしたことのない日常芝居の連続だ。
しかし、これは僕が、いや僕ら京アニスタッフが長年大事にしてきたものだった。
立った、歩いた、それだけの動きだけど、それができないアニメーターのいかに多い事か。
これは今だけではない、昔からだ。
大ベテラン(というか、引退のできない老害)ほど、この立った歩いたができない。
基礎がなってないのだ。だから活躍できず、ヨレヨレになるまで働かなくてはいけない。まぁベテラン全員がそうではないが。
『薄暮』は確かに大変な演奏シーンもあったが、それ以外は何でもない芝居に徹した。
しかし、それがこの作品に一番大事なことだとも思っていた。
それに、全然思うように集まらないスタッフィングの中、どれだけ実力があるか解らないアニメーターには、指示が出しやすかった。
「実際やってみてください」と言えばいいのだ。
これは特に若手に効いた。佐智がスマホ片手にベッドに寝転がるところなど、実はああいう動き(とアングル)が実に難しいのだが、「動画に撮ってみるのもいいですよ」と言っておいたのが奏功したか、首尾良く仕上がった。
ダントツに多いカット数をこなしてくれた杉浦さんは、「ワンランクアップしたい!」と意気込み、度々僕の席まで訪ねてきてくれた。
バス停で佐智が初めて祐介と出会い、ベンチから立ち上がるカットは、持っている荷物、背負っているヴァイオリンケースの重みから彼女がどんな姿勢になるか、そして重心移動がどうなるかを、事細かに検証した。
するとようやくコツを掴んだのか、一気に内容が良くなっていった。
立った歩いたを軽んじるアニメーターはまだいる。しかし、それこそ絶対誤魔化しが利かないし、そこで作画クオリティのベースができてしまうことを、一度解った方がいい。
観る人は皆、日々当たり前のように立った歩いたをしているからだ。
だから当たり前のように嘘がバレるのだ。
師匠もかつてこう言っていた。
「歩きが一番シンプルで、一番難しいんだよ!」
これを指摘してくれた師匠や京アニの先輩たちには今も感謝してるし、そういう教育を受けないまま年老いてしまったアニメーターは実に可哀想だと思う。
#薄暮