21/08/31 00:06:44.35 +BiDNGEf0.net
ガレージロック (Garage Rock) は、1960年代半ば以降に台頭したロックの1ジャンル。後にガレージパンクとも呼ばれた。1970年代前半に一時忘れられたが、パンク・ニューウェイブ隆盛の1977年以降に再評価された。
ロンドン・パンクが、1970年代後半に流行した。産業ロックなどの商業主義的に肥大化したロックに反抗した当時のパンク・ムーヴメントの中で、ロックの初期衝動に忠実ともいえる性急さを特徴とした60年代以前のガレージ・ロックの再評価がなされた。
wikipedia
2:名無しのエリー
21/08/31 00:11:26.11 QGwj3QEm0.net
モッズ (Mod、Mods、Modernism or sometimes Modism) は、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す。ロンドン近辺で発祥した。wikipedia
3:名無しのエリー
21/08/31 00:17:06.43 QGwj3QEm0.net
新宿ロフト
ロフト(Loft)は、平野悠(ひらの ゆう)が代表を務める株式会社ロフトプロジェクトが運営する日本のライブハウス。
旧セゾングループの雑貨店「ロフト」とは全く関係ない。
ロフトプロジェクト代表の平野悠は、1944年東京生まれ。大学時代に新左翼運動にはまり、大学中退後に郵政省に入省、新左翼系労働運動に従事し逮捕歴3回。1970年に郵政省を辞める。1971年にジャズ喫茶「烏山ロフト」を開店。その後、ロック・フォーク系のライブハウスとして、西荻窪ロフト、荻窪ロフト、下北沢ロフト、新宿ロフトをオープン。1980年にはロック居酒屋「自由ヶ丘ロフト」も開業したほか、レコードレーベルなども立ち上げたが、1982年に新宿ロフトのみの経営となる。
新宿ロフト
沿革
1976年10月1日、西新宿で平野悠によってオープン。
1992年、ビルのオーナーから立ち退きを命じられ「新宿LOFT立ち退き裁判」になる。
1998年12月15日、ビルのオーナーと和解成立。
1999年3月17日、退去。4月1日、歌舞伎町新宿コマ劇場横に移転。
2006年には30周年を迎え、イベント「SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY -ROCK OF AGES 2006-」が開催された。
施設概要
所在地 東京都新宿区歌舞伎町1-12-9 タテハナビル B2F
最寄り駅 JR新宿駅、東京メトロ新宿駅、西武鉄道西武新宿駅
スタンディング(約500人)
新宿ロフトプラスワン
1995年7月6日、ロフトプロジェクトにより新宿区富久町にオープン。1998年6月、歌舞伎町に移転した。トークライブハウスとして音楽・映画・文学・漫画・アニメ・スポーツ・お笑い・エロ・科学技術・政治・経済等々、ありとあらゆるテーマでのトークライブが連日行われており、サブカルチャーの殿堂として高い地位を築いている。
施設
収容人数:約150人
所在地:東京都新宿区歌舞伎町1-14-7 林ビルB2
最寄り駅:JR東日本・東京メトロほか各線新宿駅、西武新宿線西武新宿駅
wikipedia
4:名無しのエリー
21/08/31 00:29:25.85 QGwj3QEm0.net
新宿JAM
かつて新宿にあった老舗ライブハウス
東京モッズシーンの聖地
1980年10月に東新宿の地でスタートした東京・新宿の老舗ライブハウス「新宿JAM」
スピッツ、エレファントカシマシ、筋肉少女帯、氣志團など数多くのアーティストを輩出し、永く親しまれるイベントMARCH OF THE MODSもこの新宿JAM発祥の地でした。
近年は丸8日間およそ192時間にわたってライブアクトを続けるイベント「JAM FES」など、個性的な企画も多数行っており、この場所から様々な音楽シーンが生まれました。
↓
西永福JAM営業中
2018年6月、「新宿JAM」は場所を移し「西永福JAM」として、沢山の音楽と仲間で新たな地で様々な音楽シーンを生み出していきます!!
URLリンク(www.muevo.jp)
2017年12月31日<新宿JAM>閉店。
東京の新宿。とは言え中心地からはかなり外れた歌舞伎町よりも外側、2000年に開通した都営地下鉄大江戸線で新設された「東新宿」という駅が最寄りになったお世辞にも奇麗とは言えないライブハウスが明治通り沿いにあった。
それが1980年10月から始まった37年の歴史に2017年大晦日をもって幕を下ろした<新宿JAM>だ。
建物の老朽化を理由に昨年7月18日に発表された閉店のニュースは音楽業界を駆け巡り、ベテランミュージシャンからアンダーグラウンドで活動を続ける若手バンドにまで衝撃と一時代の終焉という寂しさを与える事となった。
<新宿JAM>は開店当初、“STUDIO JAM”という名前で営業をしており1980年代から活動しているミュージシャンには“ジャムスタ”の愛称で親しまれていた。
文字通りレコーディングも可能なスタジオとして数々の名盤を産み落としたのと同時に日本のロック黎明期にハードコアパンク、ガレージパンク、モッズ…。あらゆるジャンルの企画ライブ、シリーズGIGが行われ、東京のアンダーグラウンド音楽シーンを形成する礎を築いた場所でもあった。
また、一方で活動し始めたばかりのバンドにとってもそれほど敷居が高いライブハウスではなく、人生初めてのライブを新宿JAMで経験したというミュージシャンも数多く存在する。それゆえにそこから巣立ちメジャーシーンへと駆け上がった者達にとっては過去の通過点としての場所となり、その後の接点が失われるライブハウスでもあった。
URLリンク(cinefil.tokyo)
5:名無しのエリー
21/08/31 01:07:38.34 +BiDNGEf0.net
Teengenerate
URLリンク(youtu.be)
ドキュメンタリー映画『GET ACTION!!』
Teengenerate(ティーンジェネレート)
ガレージ・パンク好きを自認する人たちにとって伝説
FIRESTARTERのFifiと、RAYDIOS のFinkの杉山兄弟が、American Soul Spidersを経て結成した伝説の(ガレージ)PUNKバンド「ティーンジェネレート」
バンドが結成されたのは1993年。
メンバー
Fifi(guitar &Vocal)
Fink(Vocal & guitar)
Sammy(Base)
Shoe(Drums)
95年の解散まで怒涛のようなシングルリリース
結成からわずか3年のあいだに年間海外ツアーおよそ80本、総制作楽曲73曲、世界10か国から音源発売。
6:名無しのエリー
21/08/31 02:04:48.45 QGwj3QEm0.net
LAUGHIN' NOSE BROKEN GENERATION
URLリンク(youtu.be)
BROKEN GENERATION(1985年11月21日)(c/w MISTAKE NIGHT)
LAUGHIN' NOSE(ラフィン・ノーズ、初期の読みは:ラフィーノーズ)は日本のパンク・ロックバンド。
日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していた。メジャーデビュー前である1980年代前半から、THE WILLARD、有頂天と並び、「インディーズ御三家」といわれる程の人気を博した。この「インディーズ御三家」という名称こそが、現在日本語として「インディーズ」という単語が浸透するきっかけとなっている。
1981年12月、大阪で結成。
1983年12月、自らのレーベルであるAA RECORDSより、1st.シングル『GET THE GLORY』をリリース。
1984年11月、1st.アルバム『PUSSY FOR SALE』をリリース。
1985年4月28日、新宿スタジオアルタ前にて自分たちの作品が収められたソノシート「聖者が街にやってくる」を無料配布する告知をしたところ、ファンおよそ1300人(報道発表)が集まり、現地の交通が混乱したため配布中止。
wikipedia
今も日本のパンクロック史に語り継がれている大きな出来事に、ラフィンノーズの「新宿アルタ前事件」というのがある。今から33年も前の1985年4月。
URLリンク(www.diskgarage.com)
7:名無しのエリー
21/08/31 02:31:25.37 3zvbXBnp0.net
LAUGHIN' NOSE GET THE GLORY
URLリンク(youtu.be)
GET THE GLORY(1983年12月)
LAUGHIN' NOSE LAUGHIN'ROLL
URLリンク(youtu.be)
LAUGHIN' ROLL(1986年10月21日)(c/w BRIGHT'N'SHADOW)
LAUGHIN' NOSE NO MORE HIROES '91新宿LOFT
URLリンク(youtu.be)
LAUGHIN' NOSE
2011年には結成30周年を迎えた。
現在も新曲の発売、ライブツアー、イベント参加、グッズ販売等、ライブハウスを中心に活動を続けている。
wikipedia