21/01/05 01:43:03.49 uqaYnKOr0.net
1985年当時の日本ではハイエナジー、ユーロビート、イタロディスコなどのジャンルが区別されず、
同時期のヨーロッパのダンス音楽が全て「ユーロビート」の名称で受け入れられた。
日本国外におけるユーロビートの人気が無くなった1990年代以降も、日本ではユーロビートが長く人気を保った。
この時期の「ユーロビート」は、日本のメーカーが直接ユーロビートのアーティストと契約を行い日本のみでリリースされるユーロビートのほか、
ユーロビートのアーティストがプロデュースした日本人の楽曲、または日本人が制作したユーロビート調の楽曲などがほとんどとなり、
いずれにせよ、ヨーロッパと言うより日本市場の嗜好に完全に特化した曲調となった(これらの音楽は海外では「Japanese Eurobeat」「J-Euro」等と呼ばれるか、
あるいは単に「J-POP」の一種とみなされている)。日本人好みの「泣き」のメロディーが多い。他のジャンルと比較して、
4つ打ち主体のユーロビートはリズム感に乏しい日本人でもリズムが簡単に取れる点も、長年の人気の理由の1つである。wikipediaより