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心変わりでもあったのだろうか?それは鷹揚なことでありましょうか。好かれる機会が頂けるということでしょうか?
それが預かり知らない人であっても。初めの嫌悪を押し、気品良く振舞うための情操教育の賜物でしょうか?
天候にでも救われたのだろうか?
はなから雲行きの冷めた貌の下、火炙りで、足の先が焼けるだけで、命拾いした魔女のようなものだろうか?
王様は嫌われることないからだろうか?
これまで選り好みの自由の、そのような自らの行いの中で謳歌してきた人たちには、依然選り好みの邂逅が与えられ続けるということだろうか?
深淵を覗くものは深淵からも覗かれる。
それすらも、今では施す側の御心の裡ということなのだろうか?しかしそもそも誰がはなから受注のなかったはずの深淵などを人に覗かせたのだろうか?
嘗て存在なき者を求める人のエゴをその存在なき者が許すことがあったのだろうか?ならばなぜ未だに、その姿が人前に許さることがないのだろう?
形が許されないのは、人の好悪は見えないから。
これは互いにとっては小さな一歩だが、互いにとっては偉大な一歩である。それは見えてはいけない、見てはいけない。
だったからでは? (苦笑?