24/10/11 21:02:06.75 cRaSAM+j.net
『大切な仲間と、大切なラグビーをずっと。』 FL 田中 真一
BlackRamsTokyo
2024年9月27日 17:30
父親の仕事の関係で、小さい頃から引っ越しを繰り返したが、環境が変わってもずっとラグビーを続けてきた。
父親がいわゆる転勤族で、親元にいる間引っ越しを繰り返した。生まれは東京。幼稚園に入る前まで東京に暮らし、幼稚園から小3ぐらいまでは兵庫。それから東京に戻り、その後都内でも3回引越した。
兵庫に住んでいた時、ラグビーをやっている幼稚園の友達から、『週末におしるこ大会があるからいっしょに行こう』と、その子の通っていた西宮高等ラグビースクールに誘われて、ついて行ったのがラグビーを始めたきっかけとなった。
「うちの両親はラグビーに一切縁が無かったので、それまでラグビーがどんなスポーツかというのもわかっていませんでした。スクールで友達もできたし、練習もみんなで遊ぶのも楽しいので、兵庫にいる間スクールに通い続けていました」
その後小3で東京の世田谷に引っ越して、1年間だけ世田谷区ラグビースクールに通う。小4で今度は日野に引っ越して、中学卒業まで西東京ラグビースクールに通った。
高校は、スポーツ推薦で國學院久我山高校に入学。その頃実家が日野から三鷹にまた引っ越す予定があり、三鷹から学校が近いことも含めて決めた。
「一応久我山でキャプテンやってましたし、3年生の時も高校日本代表に選んでもらって海外遠征に行ったりしていたので、何校かの大学から声を掛けてもらえました。
明治は、家が近いってのもまた出てきちゃうんですけど(笑)。でもやっぱりジャージがかっこいいし、伝統校でもあるし、大学としてもやっぱりいい大学ですので、なんかこう、両親に多少は安心させられるかみたいなところもありました。敏也さんが青学に行っていたので猛アピールをもらっていて、最後は青学と明治で迷いましたが、最終的に明治に決めました」