15/12/29 12:00:35.96 IQ5r1zUt.net
関西連合解散当時の報道では関関同立野球部関係者の言として
①関関同立京神の旧関六に戻れれば100天満点
②とりあえず関関同立を堅持できる六大学であれば80点
③ひとまず入替戦をなくしただけの状態で当時の関六(関関同商産近)維持で60点
というのがあった。
一方で関関同側が大義名分を以て関六解散させるためには
当時の議長校の同志社を除く5校中3校以上が連盟脱退に賛成する必要があった。
しかし関関だけでは解散が数的に無理だという点に目をつけた近大はそこを衝いて取り入り、
連盟脱退に協力する代わりにバーターで近大の新連盟加盟の確約を迫ってきた。
関関同としてはこの時機を逃して関関同立の堅持はできない、背に腹はかえられないということで、
泣く泣く当初呼び戻す予定にしていた神大か京大のどちらかを断念せざるをえなかった。
結局、京大が加盟することになり新連盟結成方針は上記①と②の中間の90点となったわけだが、
90点まで来たからこそ満足できないという思いが関関同立京の中にはくすぶっていた。
しかも残りの1枠に割り込んで来た近大は、かつて観客動員による収益増を謳って諸悪の根源である入替戦を導入させた張�