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「匂いガラス~安寿子の靴」
半年ほど前、爺ちゃんが入院した。それまでに何回か入退院を繰り返していたが、
今回はやや長くなると言うのでお見舞いに行った。病室は6人部屋の一般病棟。
そこにまだ小学校にも上がっていないくらいのお人形さんのような可愛いらしい女の子が
テディベアのぬいぐるみを抱えていた。爺ちゃんと他愛もない話を30分ほどしてからコーヒーを
買いに席を外した。自動販売機の傍にあったベンチでコーヒーを飲んでいた。
ふと近くにあった部屋を覗き込んだ。そこはTVがあり、おもちゃや絵本が置いてある部屋で子供の遊び場だった。
そこにさっき爺ちゃんの病室に居た女の子が座っていた。そこに入って、女の子に声をかけた「こんにちは、
さっき病室に居た子だよね。名前なんて言うの?」女の子は小さな声で「ユカ」と答えた。
どうやら折り紙を一生懸命折っているようだった。
「ユカちゃんか、僕はタケルだよ。よろしくね」ユカちゃんは折り紙をやめて僕の方を見て、小さい声で
「よろしくね」って答えて、また折り紙を始めた。その部屋を後にして、病室に戻りその日はそのまま家に帰った。
爺ちゃんの入院は長くなると言うので家族が一週間おきに輪番でお見舞いをする事になった。
4人家族だからおよそ1か月に一度のお見舞いになる。そして僕の当番の日。着替えなどを持って
病院に行き、爺ちゃんと話をしてから、いつものようにコーヒーを買いに行った。
子供の遊び場を覗くと、そこにはユカちゃんが独りで遊んでいた。僕は部屋のドアを開け声をかけた。
「ユカちゃん、こんにちは。僕のこと覚えている?」「うん」そう言ったユカちゃんは立ち上がり、
僕の傍に近づいてきた。そして「これあげる」と僕にあるものをそれは小さな折り紙だった。
僕はそのままその部屋に入り、ユカちゃんと色んな話をした。
病気で幼稚園に行けなくなった事、ピアノのお稽古が嫌いな事、来年から小学校に上る事。折り紙は看護師さんが
教えてくれたらしい。僕は夏にとある国家試験を控えていたので、ユカちゃんに「ユカちゃん折り紙が得意だったら、
お兄ちゃんに、いっぱい鶴折ってよ。夏に大事な試験があるんだ」ってお願いした。多分、ユカちゃんは試験の意味も
分かっていなかったと思う。でも、最高の笑顔で「うん」って答えてくれた。「約束だよ。指切りしようね」と
ユカちゃんと指切りをして部屋を後にした。 ー それがユカちゃんを見た最後だった ー
次の当番の日、お見舞い道具一式を持って爺ちゃんの病室に行った。その時、ユカちゃんとの約束の事など
すっかり忘れていた。爺ちゃんに着替えを届けて話をして帰ろうと思った時、一人の女性が声をかけて来た。
「〇〇〇さんのお孫さんですか?」見たこともない人に声をかけられた僕は少し驚いたが、
「ええ、そうですが、あなたは?」と答えた。
するとその女性はこう答えた。「ユカの母親です」話を聞くとユカちゃんは僕が帰ってから二週間後に
亡くなったそうだ。ユカちゃんのお母さんは一通り話を終えると持っていた紙袋からあるものを取り出した。
それは透明なビニール袋いっぱいに入った折り鶴と手紙らしきものだった。
「あなたとの約束をユカから聞いた日から、妙に張り切って折り紙を折って作っていたんです。
あなたのお爺さんに字を教えてほしいって頼んで、お爺さんが理由を聞いたら「おてがみかくの」と
言ったらしいんです」 その言葉を聞いた僕は袋を開けて中の手紙を取り出した。
開いた手紙には ー 「し けん が ん ばって く だ さい ゆか より」 ー
たどたどしい文字で大きく書かれてあった。
ー その紙いっぱいにに描かれた一生懸命書いたであろう不揃いな文字が躍っていた...
…これはユカちゃん、君が生きた証だ ー
―― ユカちゃん ありがとう 君の思いは しっかり受け取ったよ ――