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「この空を飛べたら」
頑固おやじの父親が先月亡くなった。享年69歳 胃癌だった。
私は小さい頃から看護師になることが夢だった。可愛いナース服とか、
病気で不安な時も笑顔で話しかけてくれる優しさとか、全てが
自分の憧れだった。
高校生になっていよいよ進路をという時、とある国立大学の看護学部に
行きたいと親に話した。私の努力を誰よりも認めてくれていた親だから。
きっと応援してくれるだろうと思っていた。だが、ダメだった。
父親が反対して来た。「せっかく良い私立に入ることが出来たんだから、
看護婦になるくらいなら、医者を目指せ!」というものだった。
その時の事は今でも鮮明に覚えている。泣き叫びながら父親に殴り掛かった。
実の父親に対して、とんでもない暴言も吐いた。
結局、私は父親に一発殴られた後、母にたしなめられ、自室に戻って泣きながら寝た。
この時から、私は父親を嫌い始めるようになった。それ以来、父とは二人きりで外出する
ことはなくなった。母を交えて三人で出かける事はあっても、父とは目を合わさない生活が始まった。
父の前では意地でも笑顔を見せようとしなかった。結局、父から私への謝罪はないまま私は家を出た。
見事第一志望校に受かり、看護学を修める為に独り暮らしをすることになった。
出発の日、見送りに来てくれたのは母だけだった。あれだけ父に嫌がらせを
したくせに、この時だけは年甲斐もなくぽろっと泣いてしまった。
大学生活は本当に楽しかった。ずっと学びたかった事を教えてくれる先生。同じ志を持って高め合える友達。
看護師になった先輩の、地元では決して聞けなかっただろうリアルな話を聞くことが出来た。
そんな充実した日々だったが、私にはまだ父とのわだかまりがあった。実家に帰る時は、
その度に「今日こそはきちんと謝ろう」と決心して、いざ父の顔を見るとどうしても
素直に謝れない自分がいた。たった一言「ごめんなさい」というだけなのに・・・
そんな時、父、危篤の知らせを母から知ることになる。急いて病院に駆けつけると、
父は既に息を引き取っていた。母曰く、余命宣告は受けており、父本人もそれを知っていたが、
私には絶対に知らせないでくれと頼みこまれててたために私に最後まで連絡出来なかった
ということだった。私は父の葬儀の為に暫く実家にいたが、親が死んだという実感は中々湧かなかった。
葬儀も淡々と執り行われ、私は特に取り乱さなかった。そしていよいよ、明日、私が帰るという日、
就寝前に母が私を呼び寄せた。寝る前にリビングに呼び出されて「ここに座りなさい」なんて言う
もんだから父に代わって何か言われるのだろうかと内心びくびくして座った。
母が取り出したのは、新品のピカピカ、綺麗な桜色の高級なナースサンダルだった。
いつまでも黙っている母に「これどうしたの?もしかして、私に買ってくれたの?」と
母に聞くと、「それはお父さんからのプレゼントよ」 聞いた瞬間、大粒の涙が零れた。
嘘だ!あんなに看護師になることを反対していたじゃないか… 母は、その他にも、
次々と色んなものを出してきた。万年筆、ちょっと高級な財布、いかにも女子大生が
好みそうなデザインの可愛い腕時計… これが誕生日のプレゼント、これがお雛祭りの…
これがに入学祝い、これがクリスマスプレゼントと… 説明する母の言葉は震えていた…
母が最期に見せてくれたのは、私が看護学部に合格し、入学式、大学の門の前で母と二人で
笑顔で映っていた写真だった。その写真には父の指紋がびっしりとついていた。
母が写真を見せると、特に興味を示さない様子で「その辺に置いとくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったと言う。見たがらないものを無理強いするのも良くないと思い、ベットの傍に
置いたものだと言う。改めて見つけたその写真は父の指紋がびっしりとついていた。
その写真の裏側には、もう文字も書けない状態で一生懸命書いたのだろうか、崩れた文字で
「合格おめでとう 頑張れよ」と書かれてあった ーーーーーーーーー