中島みゆきの名曲at MJSALOON
中島みゆきの名曲 - 暇つぶし2ch138:Track No.774
22/01/10 08:30:02.61 .net
「荒野より」
小さい頃、よく親父と一緒に街中を走っていた。生まれた町は田舎で、交通量も少なく、
自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。
親父は若い頃、箱根駅伝で走っていた。足の痙攣で、途中棄権。チームに迷惑をかけ、
完走できなかった事が悔しくて、今も走る事がやめられないと言う。普段、無口で
近寄りがたい親父も、走っている時だけは、ずっと俺に声をかけ続けていた。
中学に入った俺は、当然の如く陸上部に入部した。レースでは、結構いい成績で、
部活内でもトップレベルだった。毎回応援に来くる親父。俺が良い記録を出した日は、
酒を飲んで真っ赤な顔で上機嫌だ。正月はいつも箱根駅伝をTVで見て言う。
「俺の望みは、お前と箱根を走る事だ。ワハハハ」
高校に行っても陸上は続けた。でも、思うように記録は出ず、俺はいつもイライラしていた。
そんなある日、体調を崩した事もあってか、案の定、酷い記録だった。
家に帰って、部屋のベットで独り天井を眺めていると親父が入って来た。俺の横に座って、長い沈黙の後に
「なぁ、どうした!? 最近のお前は・・・」と親父が言いかけたところで、俺の気持ちが爆発した。
「うるせえ!出ていけよ!!親父には俺の気持ちなんか、分かんねぇだろ!!もう、嫌なんだよ!
親父の期待に応えるのが!俺にとっちゃ重荷なんだよ!!」親父は驚いた顔をして眺めていたが、
暫くすると、悲しそうな顔をして俺を思い切って殴った。お袋が止めに入るまで大喧嘩した。
それ以来、親父とは、話す事もなくなり、その後、俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。
その二か月後、親父が急に倒れ、病院に運ばれた。余命半年の末期癌だった。俺はショックを
受けたが、親父とのわだかまりがあり、お袋に何度も、誘われたが、見舞いに行けずにいた。
親父の様子は、体力は徐々に衰え、いつ死んでもおかしくないほど弱って来たとお袋が言う。
そんなある朝、学校に行く前、お袋が思い出すように話し始めた。俺が高校へ入ってからも、
陸上を続けた事を親父は凄く喜んでいたと。俺が記録が出ず、苦しんでいる時、親父も同じように
悩んでいたと。走る事を嫌って辞める事を凄く心配していたと。なのに、あの日、大喧嘩の後、
一切、俺が走る事、辞めた事を知り、その後、何も言わなくなったと。
「あの人も頑固だからねぇ」とお袋。俺は、そんな話を聞いて、学校へ行ってからも気になっていた。
休み時間、友達が「あの先生で数学が嫌いになった」と行った時、- 俺は気づいた! - そうだ!! -
俺は、あの日、親父に「親父のせいで走るのが嫌いになった」そう言った。
誰よりも走る事が好きで、俺と走る事が楽しみな親父に言ってしまった。
俺は授業そっちのけで病院に走った。道路は雪が積もり、何度も転びそうになった。
暫く走っていないせいか、心臓が破裂しそうなくらいバクバクいっていたけど、それでも俺は走った。
走っている間、あの日、俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。
病室に行くと、変わり果てた親父がいた。ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、
大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。走ってぜぇぜぇしている俺を見て、
「走って来たの?」と驚くお袋の顔、親父は、「走って.来た.か...」と消えるような声で言った。
頷く俺に、「なあ、走るのは...楽しい.だろ.お前と箱根走りたかったな...でも、後悔はしていない...
お前は...俺の誇りだ」それが親父が力を振り絞って俺に語った精一杯の言葉だった。それが最後の言葉になった。
 その後、すぐに親父の容態は急変し、間もなく息を引き取った。
- 俺は病院を出て、とにかく走った。涙があふれて止まらなかった -
小さい頃に親父と走ったあの道、コースまでとにかく走った。走りに走った。
霙交じりの雪が降っている。。。身体が震える。号泣きしながら...
  
   俺はとにかく無我夢中で走った。そしたら幼い頃、親父と一緒に走っていた記憶が蘇って来た。
    一緒に走る時は、いつも俺に声をかけ続けていた親父...たとえどんなに距離が離れても...
     -「オヤジ―― !」  - 霙混じりだった雪は...。。。
          ――― いつの間にか、吹雪になっていた。。。。。。。。。
     


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