25/01/11 02:23:25.79 .net
鉢屋衆
URLリンク(ja.wikipedia.org)
鉢屋衆(はちやしゅう)は祭礼や正月に芸を演ずる芸能集団であり、兵役も務めた。鉢屋党とも。元は平将門の乱で反乱軍に加勢した飯母呂一族で、平将門の死後、全国に散った。この時飯母呂一族の多くは山陰へ逃れ鉢屋衆となった。筑波山へ逃れた一部の飯母呂一族は風魔衆になったと言われている。
文明18年(1486年)には、京極氏に月山富田城を追放された尼子経久の富田城奪還に従事した。月山山麓に住む鉢屋賀麻党は毎年元日に富田城で祝いの舞を演じることになっていた。経久はこれに目をつけ賀麻党の党首・鉢屋弥之三郎を味方につけた。
文明18年元日、午前3時ごろ、賀麻党七十余人は笛、太鼓でにぎやかに城の大手門をくぐった。みな烏帽子の中に兜をかむり、素襖の下に具足をつけ武器を隠し持っていた。城の中では武士も子供も舞の見物に集まった。その時にかねてより忍び込んでいた経久の一党は太鼓の合図に経ち城内各所で火を放ち乱入した。それにあわせ賀麻党も烏帽子を捨て見物に集まった人々に襲い掛かった。城主・塩冶掃部介は自刃して果て、こうして経久は富田城主に返り咲いた。
この功で弥之三郎は本丸の北にある鉢屋平に長屋を与えられて住み「やぐら下組」と呼ばれるようになった。以降、鉢屋衆は奇襲やだまし討ちで功を立てる。
416:天之御名無主
25/01/11 02:24:22.55 .net
鉢屋弥之三郎
URLリンク(ja.wikipedia.org)
鉢屋 弥之三郎(はちや やのさぶろう・生没年不詳)は、戦国時代の忍者。鉢屋衆の一人。尼子氏の家臣。
1484年(文明16年)出雲国の守護代・尼子経久が、主君の京極政経により追放された。経久は浪人生活の後、弥之三郎と出会う。居城月山富田城の奪回の協力を頼まれ、策を練った。その策とは、富田城の毎年恒例の万歳である。これを新しい守護代・塩冶掃部介の前で披露し、兵の気が緩んでいる隙を突いて、奇襲をかけるというものだった。
1486年(文明18年)元日、計画通り弥之三郎率いる鉢屋衆は、城内に入り、万歳を披露した。そして奇襲をしかけ、あっという間に城を獲った。これは鉢屋衆の活躍によるところが大きい。その後弥之三郎は、尼子の忍者となり多くの戦で、奇襲をするなどの活躍をした。末代まで尼子の為に戦ったのである。
417:天之御名無主
25/01/11 03:22:09.95 .net
「鉢屋」(メモ)
URLリンク(sumita-m.hatenadiary.com)
沖浦和光『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』からのメモ。
鳥取藩の歴史を調べてみると、他の藩と同じく身分制の底辺に「穢多」「非人」がおかれているが、とくに注目されるのは「鉢屋」の存在である。彼らは、時宗の流れを引き、京都の極楽院空也堂を本山とする「空也念仏聖」の一派とされる集団だった。西国を中心に全国に空也念仏聖は分布しているが、とくに山陰地方に多かった。そこに居住する念仏聖は鉢屋と呼ばれたのだ。
彼らは、「百姓町人と対等の交渉なく、町村の端々に群居し、竹細工を業とす。根帳・五人組・宗門改など穢多に同じかりき」と『藩史』に出ている。
彼らは、鉢を叩きながら念仏を唱えて門付けして歩いたので、「鉢叩き」「鉢ひらき」とも呼ばれた。鉢とは、僧尼が持参する食器のことである。そこから、「鉢を開く」とは托鉢して回ることを意味した。
瓢箪を叩くこともあったのであろうか。京都の空也堂には、古い瓢箪がたくさんおいてあった。正月になると、念仏を唱えながら、竹細工でつくった茶筅を藁の苞にさして売り歩いたので、「茶筅」とも呼ばれた。
彼らは、空也上人(九〇三~九七二)に由来する漂泊の「念仏聖」の系譜を引くことを誇りにしていた。念仏踊りを特技としたから、中世の時代から芸能にゆかりのある賤民とみなされてきたのである。事実、彼らの中からいろんな芸能民が出たのである。(pp.165-166)
また、出雲・石見については次のように述べられている;
(前略)中世の末期の頃、出雲・石見の地方には、「鉢屋」と呼ばれた賤民層があった。
もともとは空也僧の流れを引く、踊り念仏衆の末裔であった。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら、貴賤・男女を問わず、すべての人は極楽往生できると説いて各地を托鉢して歩いた。「鉢屋」と呼ばれた小集落を形成して、実際には大和の声聞師と同じような役割を果たしていた。
戦国時代に入ると、尼子勢は彼ら「鉢屋」勢を組織して十阿弥を名乗らせた。尼子晴久の時代には権阿弥、松阿弥などが合戦に活躍したと記録に残っている。近世に入ってからは、竹細工・川魚捕り・渡守・神祭の警固・遊芸・下級警吏などの仕事にたずさわっていた。(p.240)
418:天之御名無主
25/01/11 18:57:39.69 GlgqCmslY
被団協のテロリストっふ゜りが露骨で惡質で救いようか゛なくなってきたな、テロ構成員に莫大な温室効果ガス撒き散らさせて気候変動させて
土砂崩れに洪水にと災害連発させて世界中の人々の生命と財産を強奪するためのテロ資金を誰か出せだの平然とほざいていやがるクス゛っぷりに
呆れ返るだろ毎月800立方メ―├ルものプロパンガスをただひたすら燃やし続けてる広島の地球破壊公園とか象徴的だが気候変動は世界中で
紛爭まで引き起こして人が殺されまくってるのが現実こいつらみたいな白々しい詐欺で儲けてる外道が最も世界平和を破壊してるわけよ
ノーモア気候変動ノーモアクソ航空機ノーモア被団協こそか゛平和への道だと自覚させるへ゛く
JALだのANAた゛のクソヘリだの被団協だのテ口リストから住民の命を守る会を結成して世界平和を実現しないとな
経済がふ゛っ壊れて闇ハ゛イト流行ってるのも騒音と気候変動が原因、年収の壁だの的外れなことやってないで資本家階級党自民公明と賄賂癒着
して共有財産である地球を独占破壊して富を吸収し続ける悪質寄生虫大企業を壊滅させずに格差その他何ひとつ解決しないことに気づこう!
(ref.] URLリンク(www.call4.jp)Ρ?tyрe=iTems&id=I0000062
ΤTPs://haneda-projeСt.jimdofree.com/ , URLリンク(flight-rou)Te.com/
ttps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/
419:天之御名無主
25/01/11 20:11:39.58 .net
権力者とかと近づいて社会の一部に取り込まれると組織だって行動するようになって記録にも残りやすくなるし
組織だって行動できるようになると自分達を賎民扱いしてくる人達に対抗するため組織のルーツを尊貴なものに求めたくなるのかな
サンカと呼ばれた人の大部分が明治期にその存在に気付かれて高度経済成長あたりでひっそりと姿を消したのは
全国的な大きな繋がりや組織制がなくて各地域の農村周辺で小さな集団が個々に存在していたからなのかも
こないだ沖浦先生と同世代の渡邊恒雄も亡くなったけど
そういう世代の研究者やジャーナリストが居なくなると
高度経済成長に消失していった漂泊民や
戦後の混乱期とかを利用して成り上がった権力者なんかに
直接会って研究したり取材した世代もいずれ消えて
書物の中にかつてこう人たちが居たと残されるだけになるんだろうか
420:天之御名無主
25/01/11 21:52:58.50 .net
なんか人権板で秀吉はハチと呼ばれる被差別民だったって書き込み見たことがある
421:天之御名無主
25/01/12 00:27:55.18 .net
>>420
歴史小説になってる
鉢屋秀吉 第一部 陰の一族
URLリンク(sakuhinsha.com)
【内容】
「八の者」とは「鉢(蜂)の者」であり、「鉢屋」とも言われる。百済渡来の亡命道士を遠祖とするこの一族は、医薬師、鉱山師、鍛冶・鋳物師、土木、番匠、楽人などの技術者を多く含んでいた。やがて彼らは修験者や行者として生計を立てるようになる。 しかし大和朝廷による全国統一が進むにつれ、諸国遊行の自由人である彼らの存在は邪魔となった。藤原不比等による役小角の流刑とともに彼らも大和を追われ、各地へ散っていった。この時八ヶ岳に入った一族がサンカとなる。 長い流浪の歴史のなかで夜盗・野伏も生業とした彼らは、諜報・武術にも長け、政情不安ななか各地の守護や豪族に雇われるようになった。それでも鉢屋が賤民であることは変わらず、乱破、透破、突破と呼ばれて賤視されてきた。またその他にも、身につけた伝来の技術で糊口を凌ぐ者も大勢いた。
彼らは次第に遠祖、空也上人の流れを酌む、一遍の時宗へと移り、その多くが自らに阿弥号をつけるようになる。この者たちによって、連歌や能、花道、茶道、築庭などの文化も開花した。また大規模な商いによって巨万の富を得る豪商なども現れた。 「八の者」出身の秀吉は、千利休その他同族の支援を受けて成功するが、やがて私欲のために同族を裏切り、出自の秘密を知る利休を死に追いやる。空也、一遍の教えを継ぎ、弥勒下生の世の実現のため同族の与望を担って登場した秀吉も、同族を裏切ることで見放され、天下の覇権がやはり同族の世良田の次郎三郎(家康)に引き移されるまでが描かれる壮大な歴史ロマン。
鉢屋秀吉 第二部 筋者の道
URLリンク(sakuhinsha.com)
【内容】
安国寺恵瓊の予言どおり信長は倒れ、秀吉が天下を取る。陰に蠢く鉢の者の闇の力。 光秀の謀叛、秀吉の大返し、利休切腹、秀頼出生の秘密、北政所の家康支援、小早川秀秋裏切りの背景、天海僧正の正体、春日の局の権力の由来など、徳川幕府誕生までの謎が一挙に解かれる。 黒須史観による瞠目の真説『太閤記』
422:天之御名無主
25/01/12 12:23:16.93 .net
徳川は念仏聖というか時宗の遊行僧の末裔って自分達で認めてるけど
秀吉サンカ説ってどっから来てるんだろうな
ある程度確かなのは秀吉が十代後半くらいに遠州の松下家に仕えたころからで
少年時代に預けられた寺から逃げ出して針の行商してたとか矢作川の辺りで蜂須賀小六に出会ったとかは講談や物語の世界の話だろうし
423:天之御名無主
25/01/14 11:27:13.74 .net
スッパって今もやってそうだよね
頼むからナニコレ珍百景とかでやらないで欲しい
424:天之御名無主
25/01/31 10:25:24.07 .net
ポツンと一軒家みたいのを探しまくったら
リアルサンカが暮らしてるかもしれない
中には突撃してるサンカオタクもいると思うんだけど
425:天之御名無主
25/01/31 10:47:40.86 .net
民家への不法侵入で捕まるのか
426:天之御名無主
25/02/01 02:15:37.18 .net
サンカが消えたというのは
非定住型の民芸品製作という生活様式が成り立たなくなった
と理解した方がいいんじゃないの
ポツンと一軒家で山の暮らしをしたとしてそこが定住地になってしまっていたら
季節によって生活地を変えるようなな巡回型の移動生活を送るサンカとは似て非なるものなのでは
427:天之御名無主
25/02/05 18:18:59.65 .net
でも無戸籍のまま
反明治維新のスタンスを貫いて
生き延びているんじゃないかと思うんだ
もう蓑や竹細工は作らずトケコミせず
山奥とかにいそう
八王子の山奥なんかも警察権力が介入できない部落があって
政治犯とか匿ってるらしい
428:天之御名無主
25/02/11 08:59:55.80 .net
絶対ポツンと一軒家系の人の中に
サンカの末裔はいるだろうね
429:天之御名無主
25/02/11 18:59:18.48 .net
満州引揚者に行政が山の土地を提供するパターンが多い
430:天之御名無主
25/02/11 21:16:01.69 .net
もう米が高騰して高嶺の花になるから
サンカは体に良くないと米を食べなかったそうだから
自分もこの機会に米やめようかと思ってる
431:天之御名無主
25/02/20 03:29:57.25 .net
故越路吹雪の父方がサンカだというのは本当なのかな
山梨出身だけど
まあ山梨には存在があやふやなサンカよりある意味リアルに異文化かも?な早川町があるけど(独自の奈良田方言があった)
432:天之御名無主
25/02/20 22:39:48.97 .net
サンカってアンダーニンジャみたいになってそう
実際シノビを生業としてたみたいだし
433:天之御名無主
25/02/21 01:05:50.54 .net
山梨といえば説教強盗の妻木松吉
434:天之御名無主
25/02/22 08:17:57.02 .net
キムタクのママンがしょっちゅう名前変えるから
戸籍がないんじゃないのかって言われてる
そんなことからかキムタクはサンカの家系って噂もある
435:天之御名無主
25/02/23 14:39:32.43 .net
>>431
Wikiに本人がそう言ってたと書いてある