21/07/08 13:22:54.13 .net
考古学の研究によってわかっているのはこんな感じ
①北海道の「原住民」は縄文人である 広く北海道に分布していた
②本州で弥生時代に入り、北海道にもその文化が入るが、稲作は
気候に合わず、行われなかった この時期の人々を続縄文人と呼ぶ
③7世紀頃、大陸からオホーツク人が渡来 オホーツク海沿岸部に
定着して、続縄文人を内陸部に追いやった(オホーツク文化)
③同時期、続縄文文化が擦文文化に移行
④オホーツク文化が擦文文化の影響を受け、トビニタイ文化となる
⑤13世紀ごろ、擦文文化やトビニタイ文化がアイヌ文化に取って
代わられる この経緯はよくわかっていない
アイヌ文化の登場がかなり唐突だという印象を受けるのは事実だが、
その時期に大陸などからの流入があったという痕跡も認められない
常識的には、オホーツク文化後継のトビニタイ文化の担い手が
内陸部に進出し、新たな文化様式を持つに至ったということに
なるのではないかと思うが、よくわかっていないようだ