19/11/03 10:55:18.90 iDl/y2uYR
【神武記】從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」
答曰「僕者國神、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。
國神が女王卑彌呼の軍事組織・山越人民軍であり、井氷鹿が人民軍将軍の伊邪那美なのだ。吉野首がフーコン峡谷根拠地の
山越人民軍・雲南兵団。雲南東部の蜀漢領域への侵攻を繰り返した最強兵団である。生尾人は男根付き女子の意味で
伊邪那美が両性具有者であった事を示す。倭人伝「男子一人」なのだ。井有光は伊邪那美が嫡男倭載を出産した時の状況で、
苅羽井家を勘当された伊邪那美は、ハンナ山の岩窟で倭載を出産したルンペン・プロレタリアート「石押分」だったのだ。
直ぐに山ノ民に捕捉され、倭載を差し出して山ノ民に加盟し、其処から分流して愚連隊を興し、アウトローの道に邁進する。
倭載の名は、女王卑彌呼の旦那・山王イマスが継承する。井氷鹿は「猪甘」のモジリであり、伊邪那美父君・イカイ転じて
「伊賀」の名は、女王卑彌呼の義兄・難升米ダニグクが継承し「紀伊・伊賀」を名乗る。紀伊の方が女王卑彌呼実兄の名である。
難升米の生年は、倭載(イタイ)と同年の207年であることが推定される。女王卑彌呼よりも七歳年上である。
「石押分之子」イタイと女王卑彌呼とは、不発だった伊邪那岐暗殺の企画において共働し、一面識が在った程度なのであるが、
山ノ神イタイの存在は、女王卑彌呼の閨閥の要と成り、伊邪那岐暗殺と大倭奪権の大義名分を、女王卑彌呼に与えるのである。
101:天之御名無主
19/11/03 21:28:15.78 iDl/y2uYR
【神武記】即入其山之、亦遇生尾人、此人押分巖而出來。爾問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂石押分之子。
今聞天神御子幸行、故參向耳。」此者吉野國巣之祖。自其地蹈穿越幸宇陀、故曰宇陀之穿也。
「生尾人」が巨根の表現。「大物主神」こと倭建の登場である。「押分巖」はハンナ山岩窟。「石押分之子」は伊邪那美嫡男。
「國神」は女王卑彌呼の山越人民軍に先行した、人民武装組織「山ノ民」首領を示す。女王卑彌呼の旦那・山王イマスは、
倭建の次男である。伊邪那美は大倭財務大臣の地位を悪用して、倭建の山ノ民を財政支援し、降誘工作と称していたのだ。
別途に長江曾都毘古も、山ノ民を国際的軍事支援していたのである。山ノ民と伊邪那岐天皇との抗争がエスカレーションして、
伊邪那美追放、長江曾都毘古絶縁の措置が取られる事になる。長江機関内武闘派であった女王卑彌呼が指導権を握る契機と成る。
倭建の本命が倭載(イタイ)。「今聞天神御子幸行、故參向耳」は多島天皇の即位誓約文言「聞天神御子天降坐、故追參降來」
の倒錯であり、天皇に対する敵対宣言である。多島六代目伊邪那岐天皇の即位神事は三輪山斜面のスガヒコの竪穴式住居にて
行われ、其処が「纒向之日代宮」なのだ。倭載と山ノ民が敵対的に攻囲する中で儀式は遂行され、家の外で見張りしていたのが、
伊邪那岐天皇の若衆末席に加わった伊邪那美である。倭載は母たる伊邪那美に襲撃認可を求める信号を発信するが、伊邪那美は
許可しなかった。伊邪那岐天皇が山ノ民の既得権益を保障する約束をしたからである。伊邪那美と伊邪那岐が挙行した大倭建国
戦争にも倭載は参戦し大活躍している。結果的に伊邪那岐天皇は約束を破って、倭載を殺し、山ノ民を潰す事をする。
「吉野國巣」は「國」が陰核、「國巣」が女の國で、「吉野」が蕭河最上流部のヤオ族の村。つまり「吉野國巣」は
女王卑彌呼の山越人民軍から飛躍発展した邪馬壹國そのものである。「宇陀」が「吉野」と女王卑彌呼生家を含む五嶺山脈一帯。
「宇陀之穿」は、女王卑彌呼が山越人民軍を結成した、五嶺山脈西端のミャオ山である。
102:天之御名無主
19/11/04 15:16:09.74 AE4ByBpEV
【孝元記】次葛城長江曾都毘古者、玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也。又若子宿禰、江野財臣之祖。
「若子」は双子でチグリス・ユーフラテス川。若子宿禰は裏天皇イサクである。「江野財臣」はイサクが死後にバビロン王に
昇格した、と云う意味。「曾都毘古」は、すべての謀略は此の男から始まった、と云う意味。「生江臣」の「生」と、
玉手臣の「玉」を合わせて「生玉」で、諸葛氏一族の結束の強さを示すシンボル。「葛城」冠詞と合わせて考えると、
長江曾都毘古の漢姓が「諸葛」で在ったと推定できる。玉手臣は嫡男イザノと、女王卑彌呼嫡女ワチツの家。
的臣は「圓野比賣」を名乗った女王壹與。生江臣は嫡妻・倭比賣イセカの子、崇神天皇。阿藝那臣は、崇神天皇とワチツの子、
ホムツワケである。荊州諸葛一門出身の長江曾都毘古は、同郷同族の名士・諸葛亮とも面識があったはずである。
諸葛亮は倭建記にて「科野之坂神」として登場する。関中盆地西方に隣接する天水高原一帯を軍事管制していた人物の意味で、
女王卑彌呼の神武軍の北上を積極的に妨害しなかったのだ。女王卑彌呼も積極的に攻撃せせず、六盤山にて、司馬懿軍との
合流を果たしている。諸葛亮が北伐をやり出すのは、女王卑彌呼が蜀漢領を通過した直後からで、司馬懿の方も女王卑彌呼を、
諸葛亮との戦争に投入せず、内蒙古に送出し、公孫氏に立ち向かわせている。これらを綜合して考えると、諸葛亮も亦、
女王卑彌呼や司馬懿・司馬昭と同じく「水蛭子」組織に加盟していた可能性が高いのである。
諸葛亮の雲南討伐は、インパール女王卑彌呼と申し合わせた上での、茶番劇だったのだ。
103:天之御名無主
19/11/11 07:16:05.69 JoVEm9eQ6
【神代記】爾語其大神、備如其兄罸失鉤之状。是以海神、悉召集海之大小魚、問曰「若有取此鉤魚乎。」
故諸魚白之「頃者、赤海鯛魚、於喉鉤、物不得食、愁言。故必是取。」於是、探赤海鯛魚之喉者、有鉤。
「其大神」が難升米ダニグク。「海神」が都市牛利タギシ・グエン・イザサ。赤海鯛魚の「赤海」が
「青海」のモジリで、青海の「水蛭子」組織中国総本部と蜀朝との情報連絡員をやっていた陳寿である。
三国志を書いた「赤海鯛魚」陳寿は、「水蛭子」組織の末端工作員でしか無く、倭人伝に登場する
難升米や都市牛利は、雲の上の人々だったのである。265時点では、蜀朝滅亡直後であり、浪人陳寿は、
洛陽に来て、裏天皇イサクの大執事・塩土老翁に、文書管理スタッフとして使われていたのだ。
火須勢理命・司馬炎と、豐玉毘賣命・女王壹與とが仕込んだ国際謀略が発動され、佐比持神・張政に手引きされた
一尋和邇・ホムヤワケが刺客団を率いて洛陽に来て、火遠理命・裏天皇イサクを殺し、その場に居合わせた
火照命・司馬昭も合わせて殺してしまうのだ。「赤海鯛魚」陳寿も、喉を突かれ重傷を負ったのである。
裏天皇イサクの末裔・太安萬侶は、中国正史の歴史記録者・陳寿との格を違いを示す為に、此の段を書いている。
104:天之御名無主
19/11/17 23:24:33.01 MWODAhTDh
【開化記】若倭根子日子大毘毘命、坐春日之伊邪河宮、治天下也。
此天皇、娶旦波之大縣主・名由碁理之女・竹野比賣、生御子、比古由牟須美命。一柱。
若倭根子日子大毘毘命が山王イマスで倭人伝の倭王。由碁理が苅羽井家家祖メヒ。竹野比賣が天照カニメ。
比古由牟須美命が建御雷之男神で、天照の末男。済州島を占領した女王卑彌呼が詰めた、山王内戦終結条件の要が、
帯方郡属将として山王軍に敵対した比古由牟須美の降誘。比古由牟須美が応じ、山王イマスの義長子と成る。
比古由牟須美の父は初代倭建イタイなので、山王イマスにとっては異母弟である。「伊邪河宮」はインダス河。
「春日」は、其の中流域の北部パキスタン。「春日之伊邪河宮」でマルダーンを示す。つまり、山王イマスが、
アレクサンダー大王に擬装されているのである。「春日」は別途に、済州島西尾根の峠の地をも示し、其処に
人民墓域が在って、メヒやスガヒコ、イカイ達が眠るのだ。大倭建国後は、苅羽井家家祖の墓の守衛も兼ねて、
女軍屯所と成り、奥津から済州島に敵前上陸した女王卑彌呼と山王イマスが春日に本営を構え、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」
こと多島天皇ニギハヤヒと、其の正后「萬幡豐秋津師比賣命」ことハエイロドと、彼等の子である「天津日高日子番能邇邇藝命」
こと大毘毘を屈服させたのである。云わば神武東征終結の地点なのである。この地点が、アレクサンダー大王東征終結地点に、
擬装されているのだ。この霊的習合手法は、開化記以前の「治天下也」宮の所在記事においても、使われているのだ。
其処では驚くべき事に、エホバ、アラーフ、釈尊、大日如来、シバ大神、サタン、達が登場するのである。
105:天之御名無主
19/11/23 09:24:28.34 1MDhyqzYi
【孝霊記】大倭根子日子賦斗邇命、坐黑田廬戸宮、治天下也。此天皇、娶十市縣主之祖、大目之女・名細比賣命、
生御子、大倭根子日子國玖琉命。一柱。
大倭根子日子賦斗邇命が、ナカツスメラギ・ヒコ・フト二を名乗った、初代天皇・伊邪那岐。ナカツスメラギこと、
イザホワケスメラミコトの御伴人の将の意義の名である。大目が苅羽井家家祖のスガヒコで、目の大きな鬼相の巨人だった男。
渡りの傭兵として活躍した後、現役引退して済州島の高所貧地で豚飼をやりだした人物。傭兵時代の通称が「ツンガ」である。
スガヒコと云うのは「ツンガ」の雅称化。細比賣命がスガヒコ嫡女のカニメ。「細」はバレーボール女子の体型。
背が高く筋骨隆々とした贅肉の無い労働者女子だったのだ。伊邪那岐よりも四歳年上の年上女房である。大倭根子日子國玖琉命が、
カニメと其の兄・イカイとの嫡男ウズヒコ。初代天皇の日嗣御子と成り、投馬國を開基し、大倭海軍を建軍した人物。
男子名に「國」が付く場合は、単ゲバでは女並に弱かった事を示す。「國」の原義は、クリトリスなのだ。「黑田廬戸」は
「黑」をひっくり返して「六」、「田」が「テン」で「天」、「廬戸」は「ルード」と読んでルドラ神。つまり初代天皇伊邪那岐
が第六魔天・ルドラ神たるシバ大神に擬装されているのだ。「黑田廬戸宮」は南印度の架空の地点である。
106:天之御名無主
19/11/24 02:28:42.78 JU5/FgkLB
【懿徳記】大倭日子鋤友命、坐輕之境岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖賦登麻和訶比賣命・亦名飯日比賣命、
生御子、御眞津日子訶惠志泥命。次多藝志比古命。二柱。
師木縣主は、十市縣主と同じく苅羽井家。天照カニメ系と伊邪那美系との相違がある程度で本質的には同じ。
賦登麻和訶比賣命・飯日比賣命が天照カニメの嫡女で、元祖ヒミカ共立女王。大倭日子鋤友命が初代倭建・山ノ神イタイ。
「鋤友」は人民解放の意味である。苅羽井家家督を相続した伊邪那美は、嫡男イタイを元祖ヒミカの下で働く奴婢として投入。
三輪山一帯を地上げして私有地とし、武器と軍資の集積を始める。元祖ヒミカの半年下の「妹」がハエイロドで、元祖ヒミカに
苛められていたので、手元に引取り、女ヤクザとして育てている。御眞津日子訶惠志泥命が山ノ神イタイの次男、山王イマス。
女王卑彌呼の旦那と成り、倭王に押上げられる男である。山ノ神イタイが元祖ヒミカに産ましめた嫡男がミマキで、三輪山伝説
に登場する「神子」である。綏靖記、安寧記、懿徳記、孝安記、孝昭記、は太安萬侶流「五帝記」なので、山王イマスの開化天皇
即位に際し、日嗣御子に建てられたミマキは、此処では捨象される。「五帝記」では日嗣御子を書かない規約なのだ。
多藝志比古命は元祖ヒミカの次男、タギシミミ。其の弟が女王卑彌呼男弟キスミミである。輕之境岡宮は「輕」がカルカッタ。
「境岡」はガンジス河を遡ったバンジャブ地方。「輕之境岡宮」でイラン系アーリア人・戦車部族の神であるインドラを示す。
インドラこと帝釈天は、シバ大神と長期に抗争した神であり、初代天皇伊邪那岐と抗争した、山ノ神イタイが習合させられている。
107:天之御名無主
19/11/24 04:43:56.61 JU5/FgkLB
【孝元記】大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖内色許男命妹・内色許賣命、
生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。
大倭根子日子國玖琉命が初代天皇日嗣御子ヒコクニクルの名跡を継承した、大倭第二代天皇二ギハヤヒ。
神代記では、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命。多島流では第七代天皇である。「穗積臣」は山越軍機動部隊の神武軍。
内色許男命は男子一人・伊邪那美。内色許賣命が女王卑彌呼。女王卑彌呼が北朝鮮江界の戦闘で殺した、二ギハヤヒの息子が
大毘古命。日本の伊勢で暗殺したスッピン皇族が、少名日子建猪心命。台湾で神事殺人した、もう一人の二ギハヤヒの息子が
若倭根子日子大毘毘命である。「輕」がカルカッタ。「堺原宮」はブッダガヤ。「輕之堺原宮」で釈尊を示す。
白山垂迹曼荼羅では、二ギハヤヒは僧泰澄に擬せられる。実際に大男スキンヘッドで、肩に派手な入墨をしていたのだ。
第三段中央の大柄な尼僧が、伊邪那美である。こちらも実際は全身に蛇紋を入墨していたのだ。両者は大倭建国直後に結婚し、
夫婦となっている。伊邪那岐が、自分の跡目筆頭の二ギハヤヒと、自分と同格の建国者・伊邪那美の夫婦を、政治的に警戒し、
監視役として、秘密皇族として取立てたのが、少名日子なのだ。伊邪那岐は、女王卑彌呼の手で海南島にて暗殺され、
跡目を取った二ギハヤヒも、女王卑彌呼に幽閉され、謀殺される事になる。
108:天之御名無主
19/11/24 09:56:43.43 JU5/FgkLB
【孝昭記】御眞津日子訶惠志泥命、坐葛城掖上宮、治天下也。此天皇、娶尾張連之祖奥津余曾之妹・名余曾多本毘賣命、
生御子、天押帶日子命、次大倭帶日子國押人命。二柱。
「尾張連」が華南・雲南・北越を支配した山越軍。奥津余曾が、女王卑彌呼によってインパール皇帝に取立てられた難升米。
余曾多本毘賣命が女王卑彌呼で、難升米ことナカツスメラギ・キイ・イガは、女王卑彌呼の実兄・宇沙都比古・キイの名跡。
濃姫と明智光秀の関係と同じで、義妹である女王卑彌呼の方が実権者である。御眞津日子訶惠志泥命が倭王イマス。
天押帶日子命が嫡男の活目毘古。呉軍と戦闘して闘死した山越首領・黄乱である。大倭帶日子國押人命が三女チチツで、
二代目息長帶比賣。宇沙都比古の剣筋である直刀二刀流を再現した女武蔵である。チチツは、息長眞若中比賣こと嫡女ワチツと
女王卑彌呼後継者を巡って争い、重傷を負って戦傷死している。ニシキトベの異名を持つ野戦将軍ワチツの方が強かったのだ。
チチツの御伴人一個大隊が怒ってワチツに突っ掛かるが、悉く殺されたのだ。倭人伝に特筆された千人斬りである。
此処での「葛城」はヒマラヤ山系。「掖上」は、ブラマ・プトラ河、ガンジス河、インダス河、共通の水源。
「葛城掖上宮」でカイラス山を示す。チベット密教の須弥山であり、大日如来が坐す聖山である。女王卑彌呼の旦那である
倭王イマスの巨根が、「神ノ男根」リンガの山である、カイラス山に習合させられているのだ。
109:天之御名無主
19/11/24 15:47:03.17 JU5/FgkLB
【安寧記】師木津日子玉手見命、坐片鹽浮穴宮、治天下也。此天皇、娶河俣毘賣之兄、縣主波延之女・阿久斗比賣、
生御子、常根津日子伊呂泥命、次大倭日子鋤友命、次師木津日子命。
師木津日子玉手見命が大倭第二代天皇二ギハヤヒ。二ギハヤヒは「精液異常噴出男子」の意義にて、
「玉手見命」は巨大睾丸男子。生理学的に、意味する処は同一。河俣毘賣が天照カニメ。縣主波延が伊邪那美を愛した変態パパ。
波延は虫のハエの意味で、伊邪那美に常時付き纏った溺愛オヤジ。阿久斗比賣が「悪党女子」伊邪那美。
スガヒコが伊邪那美を勘当した時「お前は悪党女子だ!」と認定したのだ。常根津日子伊呂泥命が初代建内宿禰のトヨ。
伊邪那美はトヨを男子認定した上で義子とし神事殺人したのだ。師木津日子命が崇神イセカで、伊邪那美とは親子関係は無く、
擬似血縁の関係も無いが、倭比賣イセカが伊邪那美の身代りとして死んだので、必然的に親子と成る。
大倭日子鋤友命が実子の山ノ神イタイ。
片鹽は紅海で、片側のバベル・マンデブ海峡のみが印度洋に開放されている地勢に由来する命名。
「浮穴」は引っ繰り返すと「穴浮」で「アナーフ」。アラーフのモジリである。
「片鹽浮穴宮」でメッカを示す。二ギハヤヒが唯一神アラーフに擬装されているのである。
110:天之御名無主
19/12/07 22:17:43.00 KF6NP+tlb
【綏靖記】神沼河耳命、坐葛城高岡宮、治天下也。此天皇、娶師木縣主之祖河俣毘賣、生御子、師木津日子玉手見命。一柱
天皇御年、肆拾伍歳。御陵在衝田岡也。
神沼河耳命が大倭初代天皇の伊邪那岐。師木縣主が苅羽井家・天照カニメ系。巨人戦士だったツンガことスガヒコの血を
強く引き巨体の家系。河俣毘賣が天照カニメで、「河俣」が徐福の家。師木津日子玉手見命が大倭第二代天皇二ギハヤヒ。
「天皇御年肆拾伍歳」は伊邪那岐の享年33歳+殺害者である女王卑彌呼が当時12歳。「衝田岡」が死地の海南島・五指山の
山頂周辺。「葛城」が「諸」(ジュー)を隠しており、ユダヤを示す。葛城高岡宮でエルサレム神殿を示す。伊邪那岐が
エホバ神に擬装されているのだ。「高岡」は「高」が「鷹」、「岡」が反転して「顔」で、「鷹顔」を意味する。
伊邪那岐は顔に鷹の入墨をしていたのだ。亦の名が「高倉下」(タカクラゲ)なのだ。鍵語たる「諸葛城」(ジューゲ・チェン)が
長江曾都毘古の漢名。「曾都」は小乗仏教の聖地アンコールワットで、メコン河を遡ったラオス北部山岳地帯出身のチワン族。
孫策の御伴人の将だった陳武(チェンウー)が、合肥(ホーフェイ)の戦いで重傷を負い、孫家軍閥を致仕した後、諸葛城を名乗り
済州島に渡って、河俣家軍事顧問と成る。河俣家副王たるスクナビコの親衛隊長も兼任していた諸葛城は、スクナビコを誘導
して、軍事クーデターを決断させる。諸葛城が部外協力者として取立てた女ヤクザが伊邪那美で、軍事クーデター実行責任者。
伊邪那美が部隊長が務まる屈強の男達を捜していた処に、済州島に偶然密航して来たのが、伊邪那岐達、多島一家七人衆である。
伊邪那美は伊邪那岐と家を合わせ、伊邪那岐が総司令、伊邪那岐正后のカニメが囮の総大将と成り軍事クーデターが敢行された。
111:天之御名無主
19/12/07 23:24:03.78 KF6NP+tlb
【孝安記】大倭帶日子國押人命、坐葛城室之秋津嶋宮、治天下也。此天皇、娶姪忍鹿比賣命、生御子、大吉備諸進命、
次大倭根子日子賦斗邇命。二柱。故、大倭根子日子賦斗邇命者、治天下也。天皇御年、壹佰貳拾參歳、御陵在玉手岡上也。
大倭帶日子國押人命が女王卑彌呼三女チチツ。「國」が女子名に付く場合は強い女戦士を示す。姪忍鹿比賣命が女王壹與。
「忍」は女王卑彌呼の手元で忍者修行をしたからで「鹿」は鹿足で美脚を示す。玉手岡は済州島・済州市南面の丘陵。
チチツが、ニシキトベこと女王卑彌呼嫡女ワチツと戦闘して死んだ地点である。チチツと女王壹與アザミツと性行為をした
経歴があり、夫婦の形式が成立。しかし女同士では子が生まれず、子無リセットが作動して、大倭建国赤色軍事クーデターの
直前に時点がジャンプする。大吉備諸進命が伊邪那岐。大倭根子日子賦斗邇命が多島一家五代目・日子八井耳天皇の日嗣御子。
賦斗邇が渡世名。日嗣御子としての神名が「神沼河耳」なのだ。伊邪那岐が先代天皇の特殊嫡男の神名を継承し、
多島一家六代目・神沼河耳天皇と成る。五帝記の末尾を成す孝安記において、初めて日嗣御子が登場する。「室」はツロ。
秋津嶋がアフリカ大陸。ツロの王ヒラムが地中海と紅海を制海し、エジプトを除く、アフリカ大陸の支配者だったのだ。
女王卑彌呼三女チチツが、ツロの王ヒラムこと、サタンに擬装されているのだ。必然的に、女王卑彌呼がサタンの生母・大黒天。
共立女王ヒミカが、大黒天が仕えた弁財天として、ヒンズー的神世界へと、古事記の神世界が習合させられて行くのだ。
112:天之御名無主
19/12/31 09:36:23.99 9EZd0yNpg
【垂仁記】伊久米伊理毘古伊佐知命、坐師木玉垣宮、治天下也。
此天皇、娶沙本毘古命之妹・佐波遲比賣命、生御子、品牟都和氣命。一柱。
又娶旦波比古多多須美知宇斯王之女・氷羽州比賣命、生御子、印色之入日子命、
次大帶日子淤斯呂和氣命、次大中津日子命、次倭比賣命、次若木入日子命。五柱。
伊久米伊理毘古伊佐知命が狗奴國男王卑彌弓呼。沙本毘古命が元祖「掖邪狗」たる伊玖米入日子伊沙知で女王卑彌呼嫡男。
山越王・黄乱である。佐波遲比賣命が女王卑彌呼嫡女で通称ニシキトベ。沿海州で邪馬壹國に降伏した卑彌弓呼を、
ニシキトベが夫にして保護下に入れたのである。品牟都和氣命が崇神天皇の子で、垂仁天皇日嗣御子。
旦波比古多多須美知宇斯王も卑彌弓呼と同体。氷羽州比賣命もニシキトベ。両者の子は無く、子無リセットが作動。
印色之入日子命が神沼河耳天皇日嗣ヒコクニクルで投馬國開基王。「印色」は血ノ池で、正規の殉死自決を成遂げた事を示す。
大帶日子淤斯呂和氣命が狗奴國開基王イサセリビコ。大中津日子命がサメマ。倭比賣命がチチハヤこと伊邪那美で男子一人。
若木入日子が狗古智卑狗たる大久米。大倭建国世代の早々たる面々が列挙される。
「師木玉垣」はベタな読みでは「シキ玉欠」で「ニシキトベ旦那のインポ男」の意味。
別途に「紀氏」玉垣とも読めて、「紀氏」たる女王卑彌呼の径百歩円墳を示す。半円玉形状のドーム型円墳だったのだ。
垂仁天皇の墓として、女王卑彌呼の墓が再利用され、女王卑彌呼の方は、御諸山に改葬されたのである。
「坐御諸山上神」を祀る讃岐の金刀比羅宮は、金印と五尺刀二口で認証された女王卑彌呼を祀っているのだ。
讃岐自体が「沙々」の隠語であり、女王卑彌呼の体制内女子王族名である。
113:天之御名無主
20/01/04 10:53:25.09 OXGLDSuL8
【崇神記】御眞木入日子印惠命、坐師木水垣宮、治天下也。
此天皇、娶木國造・名荒河刀辨之女、遠津年魚目目微比賣、生御子、豐木入日子命、次豐鋤入日賣命。二柱。
又娶尾張連之祖、意富阿麻比賣、生御子、大入杵命、次八坂之入日子命、次沼名木之入日賣命、次十市之入日賣命。四柱。
荒河刀辨が天照カニメ。遠津年魚目目微比賣が元祖ヒミカ共立女王で、「年魚目目微」は悪相デスマスクの表現。
元祖ヒミカは黄龍二年戦役で戦焼死しているのだ。豐木入日子命が初代建内宿禰トヨで、黄龍二年戦役にて神事殺人された女子。
豐鋤入日賣命がイススキヨリヒメことイロで「鋤」は人民労働者の標識。黄龍二年戦役後、女王卑彌呼が養育拒否した為、
狭井河上の人民収容所に送出されたのだ。トヨとイロの父君は日嗣ミマキの方であり、ミマキ天皇こと崇神天皇とは別体。
意富阿麻比賣が女王卑彌呼で「尾張」は北ベトナム、雲南、貴州、華南、台湾の中国南部領域の総称。女王卑彌呼率いる山越軍が
実効支配していた領域である。イロは狗奴國に攫われ、ハムフンにて高佐士野女王に建てられ、卑彌呼宗女イロを名乗る。
女王卑彌呼を偽ヒミカとして貶める狗奴國の策略である。女王卑彌呼と崇神天皇とは共謀し、イロ奪回の高佐士野戦役を発動し
殲滅戦となる。戦死したのが、大入杵命こと男弟キスミミ、八坂之入日子命こと神将軍オホタタネコ、沼名木之入日賣命こと
高佐士野女王イロ、十市之入日賣命こと男子一人伊邪那美なのだ。「生」が「生死に責任を持つ」と云う基底的意味にて使用。
「師木」は「紀氏」ではなく「吉氏」であり、女王卑彌呼のライバルだった先輩女子工作員の倭比賣イセカを示す。
イセカは崇神天皇の生母である。「師木水垣宮」は倭比賣イセカが衰弱死させられた、琅邪湾内の小島で、琅邪機関本拠地。
元は女王卑彌呼が暗殺したスクナヒコ別荘地。司馬昭等が立会い、邪馬壹國軍事トップとして、崇神天皇は即位神事を挙行。
114:天之御名無主
20/01/18 08:02:12 .net
すくね
115:天之御名無主
20/01/26 12:24:33.77 Sn0PdPttz
【成務記】若帶日子天皇、坐近淡海之志賀高穴穗宮、治天下也。
此天皇、娶穗積臣等之祖、建忍山垂根之女・名弟財郎女、生御子、和訶奴氣王。一柱。
故、建内宿禰爲大臣、定賜大國小國之國造、・・・乙卯年三月十五日崩也。御陵在沙紀之多他那美也。
若帶日子天皇は垂仁天皇と同体で狗奴國男王卑彌弓呼。「穗積臣」が神武軍を示し、其の指導者が「建忍山垂根」こと
女王卑彌呼である。「建忍山」は忍者道家元の意味。弟財郎女が女王卑彌呼財産を継承した嫡女のワチツ・サハヂ。
亦の名が氷羽州比賣。和訶奴氣王がホムツワケで、其の父君は崇神天皇である。建内宿禰爲大臣が狗古智卑狗・大久米で、
崇神天皇と名義交換した上で自刃し、崇神天皇崩御を完成させている。狗古智卑狗と成った崇神天皇が狗奴國王位を継承して
神王と成り、若帶日子が大倭天皇に建てられ、垂仁天皇と成る。日嗣御子に建てられたのが、其の時点でワチツの胎の中に
居たホムツワケである。自分を疎外して挙行された御井津講和の違法神事を嘆いた女王卑彌呼の辞世歌が「美麻紀伊理毘古波夜」
の歌である。沙紀は「紀氏沙々」で、女王卑彌呼墳墓を示す。径百歩円墳から女王卑彌呼が出され、御諸山戦士墓に改葬され、
垂仁天皇が代わりに其の墓に入ったのだ。乙卯年は235年で、垂仁天皇生年を示す。母堂がイススキヨリヒメ・イロである。
父君が狗奴國に逃亡していた神武天皇こと山王イマス。女王卑彌呼の旦那である。高穴穗は主イエスのエルサレム進軍の歌
「ホサアナ!栄光あれ!主の御名によって来られる方に!いと高き所に!」のモジリ。「近淡海之志賀高穴穗宮」でガリラヤ湖
に近いナザレを示す。成務天皇がイエス・キリストに擬せられているのだ。そして、イススキヨリヒメが聖母マリヤなのだ。
116:天之御名無主
20/01/26 17:05:12.72 .net
>>6
ほほー、随分と詳しいね。
それらの記事は、何という文書に記録されているの?
出雲の神門臣王家・富王家の子孫が所蔵する文書に記載なの?
そうなら『東日流外三郡誌』を公表された‎和田喜八郎氏に倣い
是非公表をお願いしたいね。
まさか>>6氏の脳内保管とかじゃないよね?
117:天之御名無主
20/01/26 18:24:19.39 .net
>>1
少名彦?浅学粗忽クンなのか?
この民俗・神話学板は、学問板なんだから
スレタイ表記ぐらいは正しく書いてもらいたい。
代表的古典での表記は、以下だよ。
『古事記』----ーー少名毘古那
『日本書紀』----ー少彦名命
『出雲国風土記』ーーー須久奈比古命
118:天之御名無主
20/02/07 01:10:21 .net
>>11
>別天津神は別の宇宙にいる神、別の宇宙の宇宙人
>スクナヒコナは別天津神の子・・・・・・・・・・・・・・・
ほほう、スクナヒコナは別天津神(ことあまつかみ)の子?
別天津神は5柱の神々の総称なんだが、5柱のどの神の子だと
おっしゃるのか?
因みに『記』では神産巣日の子、『紀』では高皇産霊の子と
されているんだがねえ。貴方の説の出典は、何なの?
ところで別天津神は、「神」なの?宇宙「人」なの?
119:天之御名無主
20/02/07 05:33:01.49 KQSisY+Nj
【開化記】又娶葛城之垂見宿禰之女鷲比賣、生御子、建豐波豆羅和氣。一柱。・・・
上所謂建豐波豆羅和氣王者、道守臣、忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古等之祖也。
葛城之垂見宿禰が初代女王天照カニメ。鷲比賣が元祖ヒミカ共立女王で、歴史的大名跡。だから「鷲」。
建豐波豆羅和氣ことトヨが、イススキヨリヒメ・イロの双子の妹で最初の「建内宿禰」。父君は日嗣ミマキ。母子婚の子である。
黄龍二年戦役にて、神事殺人された二歳児である。其の因となった、呉軍の出撃拠点に、トヨが霊的封土されている。
道守臣は一大率で一大国があった舟山群島。一大率の各国における代理人が倭人伝「卑奴母離」。其のモジリが「道守」。
忍海部造の「忍」は、臥薪嘗胆の意義にて、呉越相克の海である杭州湾。御名部造は夏禹崩御の聖地である会稽山。
稻羽忍海部が江蘇省北部一帯で、春申君の故地。丹波之竹野別が、呉軍が最初に攻撃した台湾島北部一帯。
狙われたのは女王卑彌呼の旦那・山王イマスで、イマスは地遁術を使いサバイバルしている。依網之阿毘古が顔を布で縛って
自刃した呉王夫差で、其の本拠地である蘇州を示す。トヨの霊的霊的封土領域が、其の全体において倭人伝「会稽東治」に該当。
霊的封土表記は「水蛭子」組織工作重点対象を示すが、此段は軍事的関連性が特別に強く在り、黄龍二年戦役の真相を示す。
230年2月11日に台湾にて旦那イマスを神武天皇即位させた女王卑彌呼は、大倭海軍主力を舟山に派遣して杭州湾を封鎖させたのだ。
孫権が危険視し、陸遜が深く憎んだ女王卑彌呼は、戦争を創出し、誘引する「迦具土神」だったのだ。
120:天之御名無主
20/02/08 05:22:02.72 mmOI91Mvq
【神代記】於是天照大御神詔之「亦遣曷神者吉。」爾思金神及諸神白之「坐天安河河上之天石屋、名伊都之尾羽張神、是可遣。
若亦非此神者、其神之子、建御雷之男神、此應遣。且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水而、塞道居故、他神不得行。
故、別遣天迦久神可問。」故爾使天迦久神、問天尾羽張神之時、答白「恐之。仕奉。然於此道者、僕子、建御雷神可遣。」
乃貢進。爾天鳥船神、副建御雷神而遣。
思金神こと女王卑彌呼が朝鮮半島を計略。「伊都」がニギハヤヒの御名で、伊都之尾羽張がニギハヤヒ元妻の伊邪那美。
建御雷之男神が比古由牟須美で、黄龍二年戦役において女王卑彌呼の盾と成り、御諸山で戦死した武将。女王卑彌呼は、
径百歩円墳から御諸山に改葬されているので、死後配偶者である。天安河が中朝国境のヤールー河で、天尾羽張神が公孫淵。
伊邪那美の宿敵だったのだ。天迦久神が狗古智卑狗こと大久米で、公孫淵イナルの義兄弟。建御雷神が遼東太守・公孫晃。
天鳥船神が比古由牟須美の義子・意富多多泥古で、女王卑彌呼の夫として、高佐士野ハムフンで戦死した海将。此段の後、
八重事代主神(意富多多泥古の実父・第八代狗奴國王サメマ)、建御名方神(意富多多泥古の実母、トビハヤヒメ)が登場して、
最終的に、女王卑彌呼が大國主神こと伊邪那岐から葦原中國の統治権を認証されることになる。要は、吉備兒嶋・海南島での
伊邪那岐暗殺に始まり、日向インパールから神武東征、筑紫・大連での公孫晃暗殺、山王内戦、公孫淵討伐に到って、
女王卑彌呼が景初二年親魏倭王卑彌呼と成るプロセスの遡行型冥界物語なのだ。彼女が犠牲にした人々が登場人物なのである。
121:天之御名無主
20/02/09 20:57:28 .net
>>1
スクナヒコナとオオナムチの関係推論が以下に有
「知ってびっくり!古代日本史と縄文語の謎に迫る」大山元 きこ書房 2001.7
「古代史料に見る縄文伝承 縄文とアイヌの関係を学際的見地から分析」大山元 きこ書房 2002.6
122:天之御名無主
20/02/10 02:30:51.84 feG9/t9vF
【神代記】爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流。故、切其中尾時、御刀之刄毀、
爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀、故取此大刀、思異物而・・・是者草那藝之大刀也。是以、其速須佐之男命、
宮可造作之地、求出雲國・・・於是喚其足名椎神、告言「汝者、任我宮之首。」且負名號稻田宮主須賀之八耳神。
速須佐之男命が難升米で「大神」号を持つ。足名椎神が女王卑彌呼三女チチツで、「足」は美脚。「名」は千那荏名津を示し、
千那荏名津こと伊邪那美の建国者財産権を継承した事を示す。「椎」はシイと読み「シイ逆」の意味。チチツは長姉ワチツに
挑戦して「長幼の序を守らぬ輩」として、足を斬られて死んでいる。手名椎は女王壹與アザミツであり、山邊之大劑に
スンダ海峡周辺で捕捉され、手を斬られて拷問死したのだ。アザミツが尊族殺人を繰り返した結果の仕打ちである。
アザミツも亦、伊邪那美の建国者財産権継承者である。出雲國・須賀宮が女王卑彌呼が建国したインパール帝国の王宮。
櫛名田比賣が伊邪那美本人で、童女なのは、難升米が伊邪那美父君ハエこと伊賀の名跡を継承したからである。
都牟刈之大刀は海南島で暗殺された伊邪那岐の佩刀。草那藝之大刀はトンキン湾で入水自殺したハエイロドの佩刀。
インパール皇帝・難升米がベトナム方面も支配下に置いていた事を示す。「須賀」は苅羽井家家祖「都牟刈」ことスガヒコを
意味し、冥界的には難升米が苅羽井家の家長なのだ。八俣遠呂智が雲南西部の八大河近接峡谷地帯で苅羽井家血脈を象徴。
其一本イラワジ河が肥河で難升米の神王流。此段が示すのは難升米の出雲國離脱で、チチツの稻田宮主須賀之八耳神指名は
冥界事象であり、史実の難升米は都市牛利を連れて女王卑彌呼が居る済州島へ上國する。景初二年親魏倭王卑彌呼への段取り。
123:天之御名無主
20/02/11 05:43:05.62 SIiSCUPnK
【開化記】又娶近淡海之御上祝以伊都玖天之御影神之女・息長水依比賣、生子、丹波比古多多須美知能宇斯王
次水之穗眞若王、次神大根王・亦名八瓜入日子王、次水穗五百依比賣、次御井津比賣。五柱・・・
此美知能宇斯王之弟、水穗眞若王者、近淡海之安直之祖。次神大根王者、三野國之本巣國造、長幡部連之祖
天之御影神が女王卑彌呼。近淡海が洞庭湖。「御上」が湖北西部の大神農架で、其の南面でのイーリン戦に参戦した事を示す。
息長水依比賣がイススキヨリヒメ・イロ。済州島「狹井河之上」に在った人民収容所から狗奴國へ誘拐されたイロは、
「卑彌呼宗女壹與」と云う女王卑彌呼を中傷する政治スローガンと共に、高佐士野ハムフンに狗奴國女王として建てられる。
女王卑彌呼はイロ奪回の戦争を発動し、遺骸として回収したイロを、日本海に水葬したのだ。だから「水依比賣」。
御井津比賣がワチツ。水穗五百依比賣がチチツで、神大根王がチチツの子・稻依別天皇。水之穗眞若王が日嗣御子ホムダワケ。
丹波比古多多須美知能宇斯王が狗奴國男王卑彌弓呼。水穗眞若王が其の異父兄のイホキ。山越王・陳秘である。
三野國が蜀朝支配領域。本巣國が其の辺境の雲南西部。「長幡部連」はナーガランドでインパール北面の高原地帯。
イーリン戦後に白帝城で劉備を暗殺した女王卑彌呼は、雲南西部を占拠して蜀朝に抗戦する構えを見せるが、無視され、
西進してナーガランドを占領し、インパールに國を建てるのである。此段は権道の人・女王卑彌呼の確立過程のトレースである。
「近淡海之安直」が陳秘戦死の地であると共に、女王卑彌呼自身の御代であり「安」こと「野椎(ヤシイ)」がチワン族本命。
124:天之御名無主
20/02/15 01:50:42.48 4A8/SKCKh
【神代記】故爾各中置天安河而、宇氣布時、天照大御神、先乞度建速須佐之男命所佩十拳劒、打折三段而、
奴那登母母由良邇、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、
多紀理毘賣命、亦御名、奧津嶋比賣命。次市寸嶋上比賣命、亦御名、謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命。三柱。
山王内戦が第二建国と位置付けられ、其の終結は天照大御神と女王卑彌呼との直談判で行われる。場所が「天石屋戸」で
済州島ハンナ山の岩窟である。天照が籠るシェルターに、忍術を駆使して侵入した女王卑彌呼は天照の御伴人を皆殺し、
内戦講和条件を詰めたのだ。元々友好的面識があり、健忘症の天照と、ヤリ手女子の女王卑彌呼とは、良い相性なのだ。
天照は天皇ニギハヤヒと離婚、女王卑彌呼は倭王イマスと離婚、天照は女王卑彌呼義兄の難升米ダニグクと再婚。
女王卑彌呼は天照の三人の孫であるミマキ、タギシミミ、キスミミと再婚。倭王イマスは戦死した天照次男大毘古を名乗り、
ハエイロドと再婚、天皇ニギハヤヒは伊邪那美と復縁。天照末女トビハヤヒメは女王卑彌呼次男・都市牛利グエン・イザサ
と婚約。ハエイロドの子、日嗣大毘毘は女王卑彌呼次女アタツと婚約。と云う条件にて、天照の苅羽井家と女王卑彌呼の
紀伊家とが合流する事に決まる。最重要条件が天照の女王位からの引退と、嫡女ヒミカの女王就位で、共立女王が確立。
神世界では、苅羽井家長老天照と、紀伊家家長難升米こと速須佐之男との、國生みと成る。多紀理毘賣命が伊邪那美。
市寸嶋上比賣が共立女王・元祖ヒミカ。狹依毘賣命が女王卑彌呼三女チチツ。多岐都比賣命が嫡女アタツ。両家女子が習合。
真の國生み主体は、海南島で決闘した、女王卑彌呼と伊邪那岐とであり、決闘日時が226年2月11日。他ならぬ建国記念日である。
125:天之御名無主
20/02/16 09:13:28.94 8VZsJ3iOt
【崇神記】故、大毘古命者、隨先命而、罷行高志國。爾自東方所遣建沼河別與其父大毘古共、往遇于相津、故其地謂相津也。
大毘古が山王内戦期の倭王イマス。阿部氏家祖・建沼河別が開化記の比古由牟須美命。この時点でイマスは大毘古ではないが、
古事記の命名規則は時間軸の双方向に作用する。大毘古のイ音王族名がイナル。倭王の名が、イタイ・イマス・イナル。
戦死したイナルの名を、主君の公孫淵と養父の大久目が継承。三社稲荷神。高志國が北朝鮮。「相津」が大同江河口部。
帯方郡中心地に攻め込んだ山王軍が、帯方郡武将の建沼河別に逆襲され、イマスは重傷を負う。嫁の伊理泥こと女王卑彌呼は、
イマスを背負って釜山方面に逃げ、ミマキと合流。更に投馬國へ赴き、タギシミミ、キスミミを味方に付け、屋久島から
共立女王元祖ヒミカを引出し、大倭本國の済州島へ敵前上陸し、天照と談合して、半島での戦争の為の後背地を得る。
「沼河」はアマゾン河の意味で、ギリシャ神話にポートインすれば、最強女子の意義と成る。今時の「ツヨカワ」とは類義。
帯方郡最強武将の建沼河別こと比古由牟須美が御諸山上神の片割れで、女王卑彌呼の冥界での夫。「沼河比賣」が元祖ヒミカ
の子、イススキヨリヒメ・イロで狗奴國最強女子。邪馬壹國でも女王卑彌呼の次に強いと準最強女子認定されたのだ。
神沼河耳天皇が女王卑彌呼の好敵手・伊邪那岐。綏靖記の「天皇御年肆拾伍歳」は、海南島での決闘時、伊邪那岐33歳、
女王卑彌呼12歳で、それらの合計値である。ヒミカが二人。イナルが三人。沼河も三人。息長(イキナガ)は10人いる。
海軍系では、タギシが二人。男弟キスミミの入杵が二人。狗奴國王イワイ・イナル・サメマが宇迦之御魂神で、息長認定。
126:天之御名無主
20/02/23 08:48:25.98 4yVIRFjX7
【神代記】又其神之嫡后、須勢理毘賣命、甚爲嫉妬、故其日子遲神、和備弖、
自出雲將上坐倭國而、束裝立時、片御手者、繋御馬之鞍、片御足、蹈入其御鐙而、歌曰、・・・
其神之嫡后須勢理毘賣命が、女王卑彌呼・御眞津比賣。別途に登場する「其妻須世理毘賣」は女王卑彌呼次女アタツで別体。
其日子遲神が旦那の山王イマス。片御手者、片御足、云々はイマスが相当に負傷していた事を示す。黄龍二年戦役にて
「八十神」こと呉軍に真っ先にやられた開化天皇イマスは、奴婢となって台湾島を脱出。マニラあたりで「大神」こと難升米の
印度洋海軍に保護される。既に後継の崇神天皇が即位した後だったので、女王卑彌呼は難升米の本拠地インパール「出雲」に
隔離措置を取る。「出雲將上坐倭國」はイマスが再び、倭國こと邪馬壹國領域に上國したことを示す。景行記にて二代目倭建イマス
と結縁する「科野之坂神」が諸葛亮なので、難升米が諸葛亮に預け、諸葛亮は表面上連携していた公孫淵に預け、公孫淵が
狗古智卑狗・大久米に預けて、イマスは狗奴國女王イススキヨリヒメ・イロの夫に収まるのである。人民解放軍長征ルートを含む
神武東征ルートを、神武天皇たるイマスは再び通ったのである。この時点での狗奴國王がイワイ・イナル・サメマ。
狗古智卑狗・大久米がイナル・イモチ・ホヒ。神武記の「生尾土雲八十建・伊那流」が遼東太守に成り上がった公孫淵。
イマスがイロに産ませた子が、イナル・イナセで、神王たる成務天皇である。イマスの倭王名が、イタイ・イマス・イナル。
イナルが狗奴國筋に集結し、習合神「稲荷神」が結成されるのである。「沼河」に対峙する狗奴國最強戦士名跡が「伊那流」。
元祖イナルは、天照カニメの次男・大毘古伊那流で、女王卑彌呼と北朝鮮江界で対戦し、闘死した戦士で、元祖ヒミカ弟である。
127:天之御名無主
20/02/23 10:50:14.79 4yVIRFjX7
【神代記】於是八十神見、且欺率入山而、切伏大樹、茹矢打立其木、令入其中、即打離其氷目矢而、拷殺也。
爾亦其御祖命、哭乍求者、得見、即折其木而取出活、告其子言「汝有此間者、遂爲八十神所滅。」
乃違遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神、覓追臻而、矢刺乞時、自木俣漏逃而云
「可參向、須佐能男命所坐之根堅州國、必其大神議也。」
八十神呉軍の追撃が厳しく、イマス受難の有様を示す。其御祖命がイマス生母サルオケツで、イマスの身代りに戦死。
他にも、影武者や御伴人が悉く戦死したのだ。木國之大屋毘古神がイマス父君の山ノ神イタイで、初代倭建。伊邪那美嫡男。
須佐能男命が「スガ家(苅羽井家)の嫡男」と云うベタな意味で、イマス祖父のイカイ。仇名がハエ。伊邪那美父君である。
大神が難升米で、紀伊家家長であるが、女王卑彌呼の裁量で、天照と結婚し、苅羽井家家長・建速須佐之男命と成る。
木國之大屋毘古神イタイも難升米を指し示しており、山越軍結成期には難升米ダニグクは伊邪那美の義子として結縁したようだ。
難升米はイカイこと伊賀の名も継承しており、ナカツスメラギ・キイ・イガ・イザホと云うのが、表音表記された難升米である。
イザホが邪馬壹國唯一神・天之御中主命の神命。キイがチワン族女子・女王卑彌呼ヤシイ実兄の名。亦の名が、宇沙都比古。
「男命」は倭人伝・男子一人たる伊邪那美と密結合する人物を示し、葦原色許男命がニギハヤヒで、大倭建國直後に伊邪那美と
結婚している。「命」無の葦原色許男が、大倭第二代天皇ニギハヤヒと倭王正系を争った山王イマスで、伊邪那美の孫。
内色許男命が伊邪那美本人。伊迦賀色許男命が山ノ神イタイで、山王イマス父君、伊邪那美唯一子である。
128:天之御名無主
20/02/24 11:29:35.73 O/1yREtXp
【垂仁記】又問其后曰「汝所堅之美豆能小佩者、誰解。」答白「旦波比古多多須美智宇斯王之女、名兄比賣、弟比賣、茲二女王、
淨公民、故宜使也。」然、遂殺其沙本比古王、其伊呂妹亦從也。
垂仁天皇は、身体障害者であり手指が動かせなかったのだ。旦波比古多多須美智宇斯王が垂仁天皇の前身・狗奴國男王卑彌弓呼
で成務天皇。兄比賣が佐波遲ワチツの嫡女ヒキで守勢女子。弟比賣が次女アスで攻勢女子。いずれもゴッドマザー伊邪那美が
付けた軍事命である。三女アキこと拮抗女子は、垂仁天皇崩御時に未だ存命していたので、此段には登場しない。つまり此段は、
垂仁天皇と佐波遲ワチツとの冥界問答なのだ。沙本比古王が三女子の父君イザノ。大倭第六世代三女子が大倭第四世代三男子に
掛けられており「淨公民」即ち「淨公明」が女王卑彌呼男弟三人衆で215年生の、キスミミ、大毘古、大毘毘の本命。
キスミミこと比古布都押之信が淨(JING)、大毘古が公(GONG)、大毘毘が明(MING)。大毘古、大毘毘は済州島生だが、彼等が二歳位
の頃、山ノ民と伊邪那岐との抗争が激化した為、鹿児島に避難して元祖ヒミカの下で豚飼をする。「淨公明」名付親が元祖ヒミカ。
キスミミが元祖ヒミカ実子で三男。大毘古が元祖ヒミカ実弟。大毘毘が元祖ヒミカ実妹の嫡男である。しごかれて体力を身に着け、
三男子は獰猛な大倭戦士に成長する。キスミミが海軍陸戦隊将軍、大毘古は大久米養嗣子、大毘毘はイサセリビコ養嗣子。
「公」は狗奴國男王の「弓」と同音であり、卑彌弓呼は「卑彌呼男弟GONG」即ち大毘古イナルの表音表記。公孫淵がイナルなのは
単純に「公」字を含むから。「淵」が和音「ブチ」で「布都」と逆向き表音表記。布都が公孫淵属国である狗奴國の首都ハムフン。
129:天之御名無主
20/02/29 03:59:27.76 IOdjNAklV
故、此大國主神、娶坐胸形奧津宮神・多紀理毘賣命、生子、阿遲鋤高日子根神、次妹高比賣命、亦名・下光比賣命、
此之阿遲鋤高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。
大國主神が伊邪那岐こと神沼河耳天皇。多島一家六代目天皇である。多紀理毘賣命が「多斬」こと大量破壊兵器女子で、伊邪那美。
阿遲鋤高日子根神が「イカイの子、イザナミの子、イザナギの子、イタイ」と云う山王家開基文言にて、初代倭建イタイである。
伊邪那岐を首領とする多島一家。伊邪那美を首領とする苅羽田刀辨愚連隊。山ノ神・倭建イタイが率いる山ノ民。
と云う三個の暴力団が大倭建国軍事クーデターの実働主体である。ダミーの総大将を務めたのが、荒河刀辨・天照カニメで、
荒河陣でオメコ印の赤旗を振り、敵を引寄せたのだ。オメコ印は太陽紋でもあり「天照」の神命が確立されたのだ。
黒幕が長江曾都毘古・諸葛城で、主君のスクナヒコを炊きつけて河俣家当主への謀反を興させ、スクナヒコ先鋒集団として
稼動したのが、伊邪那岐・伊邪那美・倭建の革命軍。琅邪で大軍を集めて逆上陸する主役格のスクナヒコがイモを引き、
海峡封鎖により逆上陸を阻止されて、人民革命が成就する。下光比賣命が、人民革命の二年後に生誕することになる、女王卑彌呼。
妹高比賣が名跡継承元の元祖ヒミカ。倭建イタイが豚飼奴婢イイタを名乗って仕えた女主人が元祖ヒミカなのだ。元祖ヒミカの
自称はガオ(GAO)で低脳児。だから「高(GAO)」字で表現。元祖ヒミカの胎中で参戦した、イタイの子がミマキで、元祖公(GONG)。
公(GONG)・明(MING)・淨(JING)は元祖ヒミカお気に入りの雄豚三匹の名跡である。二代目倭建・山王イマスは黄龍二年戦役にて
戦死したものと認定され、嫁の女王卑彌呼が男弟・三代目倭建に取立てた男がキスミミ淨(JING)で、同名の阿遲鋤高日子根神こと
下鴨祭神「迦毛大御神」。キスミミ兄のタギシミミ明(MING)は黄龍二年戦役にて杭州湾で戦死しており上鴨祭神の鴨建角身。
130:天之御名無主
20/02/29 12:24:41 .net
保守
131:天之御名無主
20/03/12 10:53:11 .net
ここって保守しなくても、落ちないらしいです。
132:天之御名無主
20/03/12 12:10:49 .net
保守