少名彦という謎の神についてat MIN少名彦という謎の神について - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト100:天之御名無主 19/11/03 10:55:18.90 iDl/y2uYR 【神武記】從其地幸行者、生尾人、自井出來、其井有光。爾問「汝誰也。」 答曰「僕者國神、名謂井氷鹿。」此者吉野首等祖也。 國神が女王卑彌呼の軍事組織・山越人民軍であり、井氷鹿が人民軍将軍の伊邪那美なのだ。吉野首がフーコン峡谷根拠地の 山越人民軍・雲南兵団。雲南東部の蜀漢領域への侵攻を繰り返した最強兵団である。生尾人は男根付き女子の意味で 伊邪那美が両性具有者であった事を示す。倭人伝「男子一人」なのだ。井有光は伊邪那美が嫡男倭載を出産した時の状況で、 苅羽井家を勘当された伊邪那美は、ハンナ山の岩窟で倭載を出産したルンペン・プロレタリアート「石押分」だったのだ。 直ぐに山ノ民に捕捉され、倭載を差し出して山ノ民に加盟し、其処から分流して愚連隊を興し、アウトローの道に邁進する。 倭載の名は、女王卑彌呼の旦那・山王イマスが継承する。井氷鹿は「猪甘」のモジリであり、伊邪那美父君・イカイ転じて 「伊賀」の名は、女王卑彌呼の義兄・難升米ダニグクが継承し「紀伊・伊賀」を名乗る。紀伊の方が女王卑彌呼実兄の名である。 難升米の生年は、倭載(イタイ)と同年の207年であることが推定される。女王卑彌呼よりも七歳年上である。 「石押分之子」イタイと女王卑彌呼とは、不発だった伊邪那岐暗殺の企画において共働し、一面識が在った程度なのであるが、 山ノ神イタイの存在は、女王卑彌呼の閨閥の要と成り、伊邪那岐暗殺と大倭奪権の大義名分を、女王卑彌呼に与えるのである。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch