17/10/23 17:23:41.28 .net
ヤタガラスとは…
2:天之御名無主
17/10/23 23:44:10.23 .net
奇形のカラス
3:天之御名無主
17/10/24 22:31:09.13 .net
三本
4:天之御名無主
17/10/28 19:28:24.50 .net
>>1
一般にヤタガラスは三足の烏とされていますが、
三足の鳥(太陽に棲む神鳥=太陽神)。を王家/国旗 としたのが高句麗国と百済国。(王家の祖はいずれも朱蒙の同族。)
天皇家の伝統的な日旙(錦の御幡)には三足鳥が描かれています。(対を為す?月旙には蛙)
5:天之御名無主
17/12/05 21:18:58.24 .net
イギリスのロスチャイルド家の紋章
URLリンク(i.imgur.com)
三本足のカラスが中央の一番上に…
6:天之御名無主
18/01/29 19:06:40.10 .net
【昭和55年】熊野一族7人殺し
スレリンク(archives板)
7:天之御名無主
18/01/31 08:43:43.78 .net
神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
3X3MW
8:天之御名無主
18/07/13 01:17:51.69 .net
いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
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9:天之御名無主
19/11/19 23:30:38.44 .net
*****近 刊**** *
イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観
飯山 陽 著 河出新書 272ページ ISBN:978-4-309-63114-1 発売日:2019.11.26(予定)
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インターネットの発達がイスラム教徒を覚醒させた─誰もがコーランやハディースの知識に触れることで
原点回帰が起きたのだ。気鋭の研究者による、最新「イスラム教の真実の姿」。
日本人の知らないイスラム最前線!!
ウェブ上にアップされた『コーラン』や「ハディース」。一部の宗教エリートたちのものであった知識や解釈が、
翻訳・検索機能により誰でも容易に直接アクセスできる時代となった。このことにより、「啓示」は宗教エリート
の手をはなれ、一般信徒の原理主義化が加速する。神の啓示に服従し、イスラム教徒はイスラム法によって統治
される秩序の確立を目指し、彼らが正義だと信じるジハードを実行することが「正しいイスラム教徒」であること
に気付き、それを希求するようになったのだ。
日本人の常識、西洋的価値観は捨てよ!
ヨーロッパでは「同化しない」イスラム教徒たちが、「移住」と「多産」により各国で議席を獲得しはじめるなど、
民主的なイスラム化をすすめる「静かなるジハード」が進行し問題となっている。また、イスラム教徒が集住する
ことで生まれたノー・ゴー・ゾーン(警察管理外地域)の増加、学校のイスラム化など、これまでの西洋的価値観
では対応しきれなくなり、その失敗が白日のもとに晒されている。一方で、イスラム諸国も「イスラム教の宗教
言説」を改革しなければ、テロの問題を解決できないことを認め、正面から向いはじめている。移民問題をはじめ、
ターニングポイントに立たされている日本は、西洋の二の舞とならずに、どのように対処していけばよいのか─
「思い込み」「自分の価値観」を廃し、ただ「事実」に基づいてイスラム教を読み解く!!
▲▲▲▲▲▲
10:天之御名無主
19/12/04 08:29:22.44 .net
熊野大社と言えば八雲村の方、ぢゃないのか
11:天之御名無主
20/03/20 17:32:55.96 .net
美保(コトシロヌシ)の神事やる人は鶏肉や卵を食べちゃいけないんだって、最近NHK新日本風土記でやってた
神事を行う畳じきの間には、神人の背後に金色の剣やら金色の丸に黒い鳥(烏だよね?)のシルエット(的かな?)が8~12くらい仰々しく並んでた
神人は額と両頬に小さな赤丸3点つけてた
この回は出雲~安曇~諏訪~美保と紹介されたけど、それらは一切カラス出てこなかった
12:天之御名無主
21/08/21 15:54:39.92 .net
>>1
スレ立て趣旨を書き洩らしておるぞ。スレタイが意味不明。
ヤタガラスとは鴨族の祖先神賀茂建角身の別名だろ?
賀茂建角身と明治政府・出雲大社・熊野大社とには
何の連関もないだろ?
13:天之御名無主 (ワッチョイ 062d-InNI)
21/09/10 12:41:40.77 0.net
うむ。
14:天之御名無主
23/06/21 16:55:27.36 .net
(´□`)v-~~~~~~~
15:天之御名無主
23/10/16 19:53:37.18 .net
なんや、それは意外やな
16:天之御名無主
24/07/25 22:45:06.86 .net
明治政府と出雲大社、熊野大社、熊野社
明治維新という激動の時代において、日本の伝統文化や信仰は大きな影響を受けました。神道においても例外ではなく、特に出雲大社や熊野大社は、明治政府の神道国教化政策の中で重要な位置を占めていました。
出雲大社は、古くから大国主大神を祀り、縁結びの神様として広く信仰を集めてきました。明治政府は、出雲大社を国家神道の象徴的な存在として位置づけ、神仏分離令の実施や神社合祀など、様々な政策を推進しました。これにより、出雲大社の祭祀は国家的な儀式となり、その影響力は全国に広がっていきました。
一方、熊野大社は、素戔嗚尊を祀り、山岳信仰の聖地として知られていました。熊野大社は、出雲大社とは異なる歴史と文化を持つため、明治政府の政策の影響は出雲大社ほど大きくはありませんでした。しかし、熊野信仰は庶民の間で根強く残っており、明治時代以降も多くの参拝者が訪れました。
熊野社は、全国各地に存在する熊野大社の末社や分社を指します。これらの熊野社は、地域の信仰の中心として機能し、人々の生活に深く根付いていました。明治政府の神社合祀政策により、多くの熊野社が合祀されるという事態も起こりましたが、それでもなお、熊野信仰は人々の心に残り続けています。
明治政府の政策は、出雲大社や熊野大社の信仰に大きな変化をもたらしました。しかし、これらの神社は、長い歴史の中で培われた伝統と信仰の力を背景に、現代においても人々の心を癒し、支える存在としてその役割を果たし続けています。