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☆民俗・信仰★瀬織津姫スレッド2★学術・霊性★ - 暇つぶし2ch614:天之御名無主
15/12/15 09:03:13.75 .net
>>588
八坂神社は明治元年の神仏分離令以前まで、祇園神社という名前で牛頭天王を祀っていた
その八坂のソースは神仏分離令の後、明治3年に書かれた「八坂社舊記集録」のもの
これは祭神がスサノオであることに正統性を齎すために書かれたもの
日本書紀編纂時に、既に日本国内でスサノオと牛頭天王が習合していたから
牛頭天王が降臨したとされる新羅の牛頭山に、スサノオが降臨した話を日本書紀の一書に加えている
八坂は神仏分離令で仏教の牛頭天王ではなく神道のスサノオを選んだから、日本書紀に則る形を示すために「八坂社舊記集録」を書いて、八坂神社と名前を変えてスサノオを祀った
そもそも牛頭天王はインドの神であるインドラの化身で、インド~日本に降臨伝説は多数ある
日本国内で神仏習合したから神道のスサノオと仏教の牛頭天王が同一視されてるわけであって、八坂がスサノオを新羅から持ってきたわけではない
日本でスサノオと習合していた牛頭天王を、新羅で牛頭天王を信仰していた渡来人の八坂が日本で盛大に祀ったことは間違いない
スサノオは大和が出来るよりも前からあった、出雲を建国した大国主の先祖神で縄文の大昔から続く日本の神である
新羅系の八坂神社だけじゃなく、百済系の百済王神社でも同様である
現在の百済王神社の祭神は百済国王とスサノオになっているが、このスサノオも神仏分離令以前まで牛頭天王であってスサノオでは無い
八坂神社と同じく、神仏分離令で仏教の牛頭天王ではなく神道のスサノオを選んだ結果である
これらが示しているのは、インド神話におけるディヤウスの子インドラから日本神話におけるイザナギの子スサノオへの変更であり、
大陸の有力な神の王子から日本のものへの変更、日本への帰順と信仰の土着化を図ったものである


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