◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆at MIN
◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆ - 暇つぶし2ch50:天之御名無主
11/03/23 13:59:24.84 .net
最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞がこの
青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略)
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど
口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。
左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。かういふヒステリー症状は、
ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうと
したのであらうか。
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、
もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると
宣伝してゐればよかつた。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

51:天之御名無主
11/03/23 13:59:43.11 .net
昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは
Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。
在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、
明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

52:天之御名無主
11/03/23 13:59:59.43 .net
電線の下を通るときは、西洋の魔法で頭がけがれると云つて、頭上に白扇をかざして通り、あらゆる西欧化に
反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された
西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、
敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、一つの
例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、
このやうに純思想的文化的叛乱ではない。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

53:天之御名無主
11/03/23 14:00:16.90 .net
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと
共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の近代ほど、
光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の歴史の中でも、
前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の二十年は、平和主義の下で、
あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

54:天之御名無主
11/03/23 14:04:07.05 .net
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。そして、
失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が起るのであつた。
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、
あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例で
あつた。それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、
ヴィエトナムがどこにあるかさへ知らなかつたのである。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

55:天之御名無主
11/03/23 14:04:26.83 .net
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、
そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた
のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、
最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中に
あつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。

三島由紀夫「日本文化の深淵について」より

56:天之御名無主
11/03/31 12:57:29.82 .net
日本の歴史で、と言つてわるければ、日本人の心の歴史で、最初の意想外な事件がおこつたのはいつだらうか。
古事記をひろげてみよう。(中略)
神話の世界では、背理と奇蹟は日常茶飯事だ。朝おきてなぜ「おはやう」と言ふのかと訊ねても甲斐がないやうに、
なぜ高天原から独神がうまれ男女の神があらはれ、なぜ天の沼矛で海の塩をかきまはしたら島ができたか、と
たづねても意味のないことである。現代人はそれを凡て生殖の比喩として理解する。天の沼矛とはもちろん、
バッカスの祭に必要なあるもののことだと信じて疑はない。それはそれでよい。意想外の事件でないといふことが
わかればそれでよい。だが古代人は、おそらくかういふ背理を比喩だとして合理化することはなかつたであらう。
背理は背理のままで自然だつたであらう。さうでなければ、なぜかういふ天の沼矛その他の奇蹟が語られたあとで、
その奇蹟と同じ内容である一行為を、男女の最初の交はりとして、露はに語つてゐるのかわからなくなる。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

57:天之御名無主
11/03/31 12:57:55.02 .net
それはただ強調するために伏線を引くといふ近代的手法のみなもとではあるまい。神話の最初の一節として、
ある異常な、非人間的な静けさが必要だつたのである。どんな奇蹟もそこでは意想外でないやうな、真昼の静謐が
必要だつたのである。そのためには聴き手の心にも、あらゆる奇蹟を奇蹟のまま、(比喩としてでなく)、何ら
意想外なものを感じずにうけとる能力がなければならない。逆説めくが、天の沼矛は賜物の比喩ではないのである。
現代人にはこの最初の二節を読む能力がなくなつてゐるのかもしれない。
(中略)
日本人の心の歴史で最初の意想外な事件がおこつたのはそのあとだつた。それは奇蹟ではなかつた。奇蹟なら
すでに意想外ではない。何かまちがひらしく見えるものだつた。ともすれば妖神のいたづららしく思はれるもの
だつた。しかし妖神のいたづらといふやうなものではない。それは人間から来た最初の蹉跌であつたのである。
神の力がすこしもまじつてゐない最初の事件がおこつたのである。人間がはじめてその「あやまち」によつて
神に与つたのである。これを意想外と言はなくて何と言はう。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

58:天之御名無主
11/03/31 12:58:15.02 .net
(中略)
人も知るやうに、最初の合歓からは水蛭子といふ不具がうまれた。二神は天上に一旦かへつて天つ神の命をうけ
占ひをする。すると「女が先に言つたのがよくなかつた、又降りて、やりなほせ」と神示がある。二神は再び
天の御柱をめぐりなほし、今度は男神から先に「あなにやしえをとめを」と言つたあとで夫婦の交はりがなされた
ために、次々と健やかな島々神々が生れたのであつた。
少くともこの挿話は神話的にどんな意味があるのだらう。私は学説がそれをどう説いてゐるかしらない。しかし
古事記のどこを見ても、(それをよくなかつたと神示がいふだけで)、このふとしたあやまちが神か魔神かの
しわざであつたとは書いてない。神がそれをとめることができたとも書いてない。神はただ暗に非難めいたものを
人間になげかけるだけである。「やりなほせ」と言ふだけだ。人間のこのあやまちの動機には何もふれてゐない。
まるでそれにふれることを怖れてでもゐるかのやうに。
神の間でもタブウがあつたのかもしれない。人間らしいものの奥底にそのタブウがひそむのを神は見たにちがひない。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

59:天之御名無主
11/03/31 12:58:34.32 .net
(中略)最初の言葉は上気した花嫁の古代の桃のやうな唇からさきに洩れた。「あなにやしえをとこを」と。
―何故こんなことになつたのだらう。何故こんなありうべからざることが起つたのだらう。(とにかく
「ありうべからざること」に人間性の最初のあらはれが見られたといふこの神話は甚だ象徴的で且つ皮肉である)
―天つ神たちは一方ならず動揺したにちがひない。信仰といふものがあつたとすれば、その信仰が深い地鳴りを
伴つてゆれ出すのを感じたにちがひない。しかし彼らがおぼえたのは愕きや憤りばかりではけつしてなかつた。
彼らは畏怖を感じた。人間が人間のままで神に与つたこのへんな瞬間に対する故しれぬ畏怖を。人間がこれからも
永遠にこんな妙な方法で瞬時に神に与つてしまふことをくりかへすであらうといふ畏怖を。―それは天つ神たちに
むずかゆいやうな痛みを与へたであらう。彼らはこの得体のしれぬ胸の痛みをもてあましたであらう。人間が
繁殖しつづけるかぎり神の胸からとり去られることのないこの痛みを。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

60:天之御名無主
11/03/31 13:04:18.00 .net
神はいくたびか、おそらくは数千回・数万回も、このそこはかとない痛みの復活に出会はねばならなかつた。
地上で相聞の交はされるたびごとに出会はねばならなかつた。
その最初の機会であつたところの「人間から来た最初の蹉跌」に、日本の詩歌のひめやかな源流を見ることは
不当だらうか。相聞歌の発祥を見ることはあやまりだらうか。「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」
といふ至上の呼び交はしが、偶々人間から来た最初のあやまちであつたといふこの神話ほど、相聞の世界の妙諦に
触れ、その世界の豊饒と溢美を暗示し、その世界の悲劇を隈なく物語つてゐるものがあるだらうか。数千年に
わたつて相聞歌が人々の心にもたらした不安・をののき・よろこび・悲哀・苦悩のことごとくは、この一瞬の
不吉で美しい呼び交はしから流れて来てゐはしないだらうか。
相聞歌は永久に同じモチーフのくりかへしである。鶯が鶯をよぶのである。夜の薔薇のしげみのなかで、一ト声
愛らしく、二羽の小鳥がよびかはすのである。この最初の発声が過ちであつたとは、何といふ例へやうのない
美しさだらう。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

61:天之御名無主
11/03/31 13:05:57.36 .net
いざなみの命・日本の最初の花嫁は、倫理も思想も悲哀さへも知らなかつた。彼女はただ神のまにまに自在に
行動しうる筈であつた。さういふ少女の口からほとばしつた意想外な喜びの呼び声が、天地の秩序をかへるほどの
力をもつてゐたことは想像にかたくない。神話によれば、花婿にはいくらか思想に似たものがあつたやうに
記されてゐる。事後になつて、「女人を言先だちてふさはず」と愚痴をこぼしたのは、花婿のはうであつたから
である。しかしその花婿にしてからが、「あなにやしえをとこを」といふ呼び声に接したとき、一語もさし
はさまずに、「あなにやしえをとめを」と即座に呼びかへした。この呼び交はしは一つの言葉のやうであつた。
片々でとぎれることはできなかつた。第一の言葉がをはるかをはらぬかに、谺よりもはやく、第二の言葉が
つづけられたのである。丁度西洋中世の古拙な絵画中の人物が口からその発した言葉のしるされてゐる白い帯を
放射してゐるやうに、二人はたちまち二人のあひだの空間に、左右から迫持になつた美しい言葉の穹窿を築いた。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

62:天之御名無主
11/03/31 13:07:11.20 .net
その刹那から、言葉はもはや二人だけのものではなく、世界のものとなつた。その時から二人は言葉を失つて、
ただ顔を見合はせてゐるほかはなかつたのだ。なるほど花嫁の目にうつつてゐる花婿は、ただ一人のますらを、
ただ一人の美しい男性であり、花婿が目のあたり見てゐる新妻は、この世にただ一人の美しい女性であつたであらう。
しかし無残にも、二人は人間の真率な歌ひ交はしをはじめたあとでは、もはや天上の曇りない至福の生活から
別れねばならなかつた。あたかもその証しのやうに、二人の合歓のゆくてには、人間の最初の非運、「不具の子を
生むこと」が待ちかまへてゐたのである。その後の歴史にかずしれずくりかへされた相聞歌のやりとりで、これに
似なかつたものが一つでもあつたらうか。この人間に作りうるもつともうつくしいものである魂の呼びあふ歌が、
うたはれると同時に失はれるのを人々は見なかつたらうか。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

63:天之御名無主
11/03/31 13:08:35.81 .net
人間同志、愛する者同志がこんなにはげしく呼び合つてはならないらしい。そんな風にして呼び合ふのは何か
不吉なことにちがひない。神の胸にそれほどしげしげと痛みを与へてはならなかつた。この美しい最初のあやまちに
人間は人間最初の「不具の児」を賭けさせられたが、それ以後、相聞歌のために払はれた多くの精神のいけにへは
ますます数をましますます人の肩に重くのしかかつた。人は相聞のためにおそろしい代価を払はねばならなかつた。
ある限りの不幸を予知せねばならなかつた。この単純な使ひ古されたモチーフを歌ひ交はす、唯その事のために。
相聞歌は人間が突端に立つときのもつともはげしい危機の歌となつたのである。そのあとでかならず二人は
言葉を失ひ顔見合はせ、二人の最美の刹那が二人の顔のうへにもえつき、一握の黒い灰を残して消え去るのを
見たのである。それでもなほこりずまに、男女は呼び合はねばならなかつた。

三島由紀夫「相聞歌の源流」より

64:天之御名無主
11/04/02 16:58:55.94 .net
最近、村松剛氏が浅野晃氏の「天と海」を論ずる文章を書くに当つて、私にかう問うたことがある。大東亜戦争末期に
つひに神風が吹かなかつたといふこと、情念が天を動かしえなかつたといふことは、詩にとつて大きな問題だが、
さういふ考への根源はどこにあるのだらうか、と。
私は直ちに答へて言つた。それは古今集の紀貫之の序の「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし」だ、と。
私は直ちに答へた。どうして直ちに答へることができたのか。ここに私と古今集との二十年以上の結縁がある
のだと思ふ。
二十年の歳月は、私に直ちにさう答へさせたほどに、行動の理念と詩の理念を縫合させてゐたのだつた。もし
当時を綿密にふり返つてみれば、私は決してさう答へなかつただらう。なぜなら古今集序のその一句は、少年の
私の中では、行動の世界に対する明白な対抗原理として捕へられてゐた筈であり、特攻隊の攻撃によつて神風が
吹くであらうといふ翹望と、「力をも入れずして天地を動かし」といふ宣言とは、正に反対のものを意味して
ゐた筈だからである。

三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

65:天之御名無主
11/04/02 17:00:23.23 .net
(中略)
ではなぜ、このやうな縫合が行はれ、正反対のものが一つの理念に融合し、ああして私の口から自明の即答が
出て来たのであらう。
いふまでもなく、それは、つひに神風が吹かなかつたからである。人間の至純の魂が、およそ人間として考へ
られるかぎりの至上の行動の精華を示したのにもかかはらず、神風は吹かなかつたからである。
それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか。力をつくして天地が動かせなかつたなら、
天地を動かすといふ比喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、
むしろその源泉をなしてゐるのではないか。
このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて
言葉になつたのだ。

三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

66:天之御名無主
11/04/02 17:02:43.98 .net
―私が今ふたたび、古今集を繙(ひもと)かうとする必要があるとすれば、それはいかなる必要だらうか。
私はこの二十年間、文学からいろんなものを一つ一つそぎ落して、今は、言葉だけしか信じられない境界へ
来たやうな心地がしてゐる。言葉だけしか信じられなくなつた私が、世間の目からは逆に、いよいよ政治的に
過激化したやうに見られてゐるのは面白い皮肉である。
それはそれとして、戦後の一時期は、言葉の有効性が信じられ、その文学理論に基づいた文学が栄えたが、これこそ
最も反古今集的風潮であつたといへる。「力をも入れずして天地を動かし」の、戦時中における反対概念は、
言葉なき行動の昂揚であつたが、戦後における反対概念は、言葉そのものの有効性の信仰であつた。
何故なら、古今集序の一句は、言葉の有効性には何ら関はらない別次元の志を述べてゐるからである。もし
詩の言葉が、天地を動かす代りに、人心を動かして社会変革に寄与するやうに働くならば、古今集が抱擁してゐる
詩的宇宙の秩序は崩壊するの他はない。

三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

67:天之御名無主
11/04/02 17:04:32.23 .net
「鬼神をもあはれと思はせ」る詩的感動は、古今集においては、言語による秩序形成のヴァイタルな力として
働くであらうが、それは同時に、詩的秩序をあらゆる有効性から切り離す作用である。古今集の古典主義と、
公理を定立しようとする主知的性格はすべてそこにかかつてゐる。
詩的感動と有効性とが相反するものとして提示された古今集に親しんだのち、私はすでに古今集のとりこになつて
ゐたのであらう。戦後の一時期に、私は一度も古今集を繙かなかつたが、それはすでに私の心の中で、「詩学」の
位置を占めてゐたからである。
今、私は、自分の帰つてゆくところは古今集しかないやうな気がしてゐる。その「みやび」の裡に、文学固有の
もつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉を信じるとは、ふたたび古今集を信じることであり、
「力をも入れずして天地を動かし」、以て詩的な神風の到来を信じることなのであらう。

三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」より

68:天之御名無主
11/04/03 11:12:46.84 .net
古今集の世界は、われわれがいはゆる「現実」に接触しないやうに注意ぶかく構成された世界である。プレシオジテが
つねに現実とわれわれとの間を遮断する。それは日本におけるロココ的世界であり、情念の一つ一つが絹で
包まれてゐるのである。
文化の爛熟とは、文化がこれに所属する個々人の感情に滲透し、感情を規制するにいたることなのだ。そして、
このやうな規制を成立たせる力は、優雅の見地に立つた仮借ない批評である。貫之の序が、一見のどかな文体を
採用してゐるやうに見えながら、苛酷な批評による芸術的宣言を意味してゐることからも、これは明らかである。
(中略)
古今集は「人のこころ」を三十一文字でとらへるために、言葉といふものを純然たる形式として考へ、感情といふ
ものを内容として考へた整然たる体系を夢みてゐた。これが「新古今集」との明らかな較差であつて、近代詩派が
むしろ新古今集に親しみを感じるのは、言葉自体のこの純形式的意欲がそこでは一種の象徴言語に席を譲り、
象徴において言葉と感情は融合してゐるからである。

三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

69:天之御名無主
11/04/03 11:14:35.93 .net
古今集ほど、詩の複合的な情緒(シュティムンク)を欠いた歌集はめづらしい。(中略)
古今集における四季の歌に、貫之のいふ「誠」を求めるのは至難の企てであるやうに思はれる。しかし「目に見えぬ
鬼神をもあはれと思はせ」る歌の「誠」とは、古今集では、近代人の考へるやうなあからさま誠実ではないのである。
(中略)
想像力の放恣が不正確に陥り、一定の言葉にこめられた意味内容が無限にひろがり、芸術的効果が(いかに
美しくとも)何か不確定なものに依存することになるのを、古今集の四季の歌は厳密に避けてゐた。一定の効果への
集中度によつて、混沌が整理され、整頓された自然ははじめて人間的なものになるのであり、抒景歌の「感情の
真実」はそこにしかない、と考へるときに、すでにわれわれは古今集の「詩学」の裡にゐるのである。

三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

70:天之御名無主
11/04/03 11:16:52.38 .net
実はこの秩序の観念こそ、「みやび」の本質なのであつた。草木も王土のうちにあつて帝徳に浴し、感覚の放恣に
委ねられたいかなる美的幻想的デフォルマシオンをも免かれて、一定の位置(位階)を授けられ、梅ですら官位を
賜はり、自然は隈なく擬人化されて、それ自体のきはめて静かな植物的な存在感情を持つやうになり、そのやうな
存在感情を持つにいたつた自然だけが、古今集の世界では許容されるのであれば、四季歌における「誠」はどこに
存するか明白であらう。それは草木の誠であり、草木は王土に茂り、歌に歌はれることによつて、「みやび」に
参与するのである。
古今集における「誠」とは、デモーニッシュな破壊的な力を意味しなかつた。秩序において演ずる一定の役割に
「真実」を限定することこそ、やがて詩語と詩的宇宙を形成する必須の条件であり、言葉はそこではじめて
「形式の威厳」を獲得する。

三島由紀夫「古今集と新古今集 二 古今集」より

71:天之御名無主
11/04/03 11:19:41.73 .net
今まで私は、古今集についてばかり語つてきた。(中略)
私は、新古今集の美学に謡曲の詞藻を通じてむしろ深く親しんだのであるが、新古今集自体は、美学上の究極形態で
あるとは考へることができないからである。
古今集は何といつても極端だ。論理的にも一貫してをり、古今集の「みやび」が何を意味してゐるか、私にも
わかるやうな気がする。すなはち、この世のもつとも非力で優雅で美しいものの力、といふ点にすべてが集中して
をり、その非力が精巧に体系化されてゐる点に、「みやび」の本質を見ることができるからである。又、元の話に
戻るが、そのやうな究極の無力の力といふものを護るためならば、そのやうな脆い絶対の美を護るためならば、
もののふが命を捨てる行動も当然であり、そこに私も命を賭けることができるやうな気がする。現代における私の
不平不満は、どこにもそのやうな「究極の脆い優雅」が存立しないといふことに尽きる。

三島由紀夫「古今集と新古今集 三 新古今集」より

72:天之御名無主
11/04/03 11:21:20.78 .net
(中略)
私の新古今観は、あくまで定家の新古今集であり、しかもそのマニエリスムの美学は、むしろ後代に於て、
能楽の詞章として、もつとも適した器を見出したといふ考へであり、新古今集自体は、世にも美しい歌集ながら、
畢竟、折衷主義の産物だと考へる者である。
しかし、近代の象徴詩派がしばしば嘆息したやうに、新古今集は、古今集の持たぬ恍惚と魅惑を放つてゐる。
その中心が定家の有心体であることはいふまでもあるまい。
古今集にあつては、「みやび」に統括されてゐた古典主義的な美学は、新古今集にあつては一歌人の個性に発した
わがままな理論体系になり、古今集において普遍性のために犠牲に供されたシュティムンクは、新古今集においては、
意味のニュアンスの複合、聯想作用によるイメーヂの複合、言語の論理的つながりを無視することによる情調的複合、
および本歌取による「芸術の芸術」的複合……といふ風な、さまざまな複合形式の下に活かされてゐる。

三島由紀夫「古今集と新古今集 三 新古今集」より

73:天之御名無主
11/04/16 09:41:43.58 .net
.人間の伝統など重んじてはならない。
どうでも良いことで変化廃止をすべきもの。

74:天之御名無主
11/05/04 19:48:34.27 .net
「端午の節句」

四月の始から、もう端午の節句のセット等を、デパァトは店頭に飾り出す。四月の半ばになると、電車の窓から
見えるごみごみした町にも、幾つもの鯉のぼりが立てられる。腹をふくらまし尾を上げて、緋鯉ま鯉は
心ゆくまで呼吸する。彼等は町の芥を吸ひ取り、五月の蒼空を呼んで居るかの如くである。
かうして五月が来るのだ。
私の家も例年の様に五月人形を床の間に飾つた。いかめしい甲は最上段にふんぞり返つて、金色の鍬形を
電気に反射させてゐる。よろひも今日は嬉しさうだ。今にも、あの黒いお面の後から、白い顔がのぞき側にある
太刀を取つて……然し、よろひは矢張りよろひびつの上に腰掛けてゐる。松火台の火は桃太郎のお弁当箱を
のぞいて見たり、花咲爺さんのざるの中を眺めたり、体をくねらして、大変な騒ぎである。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

75:天之御名無主
11/05/04 19:48:52.47 .net
「端午の節句」

神武天皇の御顔は、らふそくの光が深い陰影を作り非常に神々しく見える。
金太郎は去年と同じく、熊と角力を取り乍ら、函から出て来た。よく疲れないものだ。お前がこはれる迄
さうして居なければいけないのだ。
さうして、人形は飾られた。白馬は五月の雲。
そして紫の布、それは五月の微風だ。
白い素焼のへい子(し)。
その中には五月の酒が満たされてゐる。
五月が来た!
それは端午の節句が運んできたのである。

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文

76:天之御名無主
11/05/10 15:33:00.63 .net
万葉集が楽しめるなら、俺たちは大和民族さ
詩は民族の魂

77:天之御名無主
11/05/20 10:55:53.44 .net
八月四日(木)
日本文化の感受性は稀有のものである。これこそ独自の、どんな民族にも見当らぬほどに徹底したものである。
私にはふと、第二次大戦における敗戦は、日本文化の受容的特質の宿命でもあり、また、人が決して自分に
ふさはしからぬ不幸を選ばぬやうに、もつともこの特質にふさはしく、自ら選んだ運命ではないか、と思はれる
ことがある。なぜなら、敗北は受容的なものである。しかし勝利は、理念であり、統一的法則でなければならぬ。
日本文化は、このやうな勝利の、理念的責務に耐へ得たかどうか疑はしい。しかしそれと同時に日本の敗戦は、
理念が理念に敗れたのではなく、感受性そのものが典型的態度をとつて敗れたにすぎなかつた。そこへゆくと、
ナチス・ドイツの敗北は、完全に理念の敗北であつて、日本の敗戦とその意味はまるでちがつてゐる。ナチスの
敗北は、勝利の理念と法則から、敗北の感受性と無法則性への、日本では想像も及ばぬ、堕地獄的顛落であつた。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

78:天之御名無主
11/05/20 10:56:15.28 .net
さて日本文化の稀有な感受性のはたらきは、つねに、内への運動と、外への運動とを、交互に、あるひは同時に、
たゆみなくつづけて来たのである。内への運動は、その美的探究の、極度の求心性にあらはれた。この感受性は
かつて普遍的な方法論を知らず、また、必要とせず、感受性それ自らの不断の鍛錬によつて、文化の中核となるべき
一理念に匹敵する。まことに具体的な或るものに到達した。日本文化における美は、あたかも西欧文化の文化的
ヒエラルヒーの頂点に一理念が戴かれるやうに、理念に匹敵するほど極度に具体的な或るものとして存在してゐる。
そこでは、理念は不要なのである。なぜなら、抽象能力の助けを借りずに、むしろそれと反対な道を進んで、
個別から普遍へと向はず、むしろ普遍から個別へ向つて、方法論を作らずに体験的にのみ探究を重ねて、しかも
同じやうに絶対(この「絶対」といふ用語も、仮に比喩として使つたのだが)をめざして進む精神は、理念の
代りに、それの等価物たる或る具体的存在にぶつからざるをえない。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

79:天之御名無主
11/05/20 10:56:40.93 .net
私がこれを美と呼ぶのは、あくまで西欧的概念にすぎず、他に名付けやうのないものに、仮にその名称を借りたに
すぎぬ。私は、このことについては他所でもたびたび書いたのだが、日本の美は最も具体的なものである。
世阿弥がこれを「花」と呼んだとき、われわれが花を一理念の比喩と解することは妥当ではない。それはまさに
目に見えるもの、手にふれられるもの、色彩も匂ひもあるもの、つまり「花」に他ならないのである。
一方、日本文化の外への運動については、政治的措置にすぎぬ鎖国のかけで、その感受性の受容能力は、日本および
支那の古典と、現実の風俗のみに向けられて、これが今日、あやまつて「日本的」と呼びなされる、偏頗な特質、
似て非な独自性を形づくつた。もともと感受性といふものの無道徳性は、あらゆる他民族の文化の異質性をも
融解してしまふ筈のものなのだ。それはどんな放恣な娼婦よりも放恣であるべき筈なのだ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

80:天之御名無主
11/05/20 10:57:04.88 .net
江戸文化は、かうした感受性の外への運動を制約されて、日本の内部で、遠心力と求心力を働らかさざるを
えなかつた。その前者は、西鶴、後者は、芭蕉に代表される。
今や、しかし日本文化がこれほど裸かの姿で、世界のさまざまな思潮のうちに、さらされたことはなく、現代日本の
文化的混乱は、私には、感受性の遠心力の極限的なあらはれと思はれる。
ローマ人テレンティウスの有名な一句「私は人間である。人間的なるものは何一つ私にとつて疎遠ではないと
思つてゐる」をもぢつて言へば、「私は感受性である。感じられるものは、何一つ私にとつて疎遠ではない」かの
やうに、ギリシア思想も、キリスト教も、仏教も、共産主義も、プラグマティズムも、実存主義も、……また、
シェイクスピアの戯曲も、ドストエフスキーの小説も、ヴァレリイの詩も、ラシーヌ劇も、ゲーテの抒情詩も、
李白や杜甫の詩も、バルザックの小説も、また、トオマス・マンの小説も、……どれ一つとして、この稀有な、
私心なき感受性にとつて疎遠ではないのである。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

81:天之御名無主
11/05/20 11:01:29.68 .net
一見混乱としか見えぬ無道徳な享受を、未曾有の実験と私が呼ぶのは、まさにこんな極限的な坩堝の中から、
日本文化の未来性が生れ出てくる、と思はれるからだ。なぜならかうした矛盾と混乱に平然と耐へる能力が、
無感覚とではなく、その反対の、無私にして鋭敏な感受性と結びついてゐる以上、この能力は何ものかである。
世界がせばめられ、しかも思想が対立してゐる現代で、世界精神の一つの試験的なモデルが日本文化の裡に作られ
つつある、と云つても誇張ではない。指導的な精神を性急に求めなければこの多様さそのものが、一つの広汎な
精神に造型されるかもしれないのだ。古きものを保存し、新らしいものを細大洩らさず包摂し、多くの矛盾に
平然と耐へ、誇張に陥らず、いかなる宗教的絶対性にも身を委ねず、かかる文化の多神教的状態に身を置いて、
平衡を失しない限り、それがそのまま、一個の世界精神を生み出すかもしれないのだ。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

82:天之御名無主
11/05/20 11:04:01.09 .net
(中略)ここで私が、文化形式と呼ぶものは、内容を規定し、選択し、つひにはそれ自ら涸渇するところの、
死んだ形式ではなく、内容を富まし、無限に包摂するところの生きた形式である。日本文化の稀有な感受性こそは、
それだけが、多くの絶対主義を内に擁した世界精神によつて求められてゐる唯一の容器、唯一の形式であるかも
しれないのだ。なぜなら、西欧人がまさに現代の不吉な特質と考へて、その前に空しく手をつかねてゐる文化的混乱、
文化の歴史性の喪失、統一性の喪失、様式の喪失、生活との離反、等の諸現象は、日本文化にとつては、
明治維新以来、むしろ自明のものであつて、それ以前の、歴史性と統一性と様式をもち、生活と離反せぬ文化体験をも
持つ日本人は、この二つのものの歴史的断層をつなぐために、苦しい努力と同時に、楽天家の天分を駆使して
きたので、かういふ努力の果てに、なほ古い文化と新らしい文化との併存と混淆が可能であるやうな事情は、
新らしい世界精神といふものが考へられるときに、何らかの示唆を与へずには措かないからである。

三島由紀夫「小説家の休暇」より

83:天之御名無主
11/05/27 09:32:27.98 .net
Wikipediaの陰陽師の項に「声聞師とも呼ばれる」てあるんだけど、正確には、声聞師は陰陽師の配下で市井に下り興行(陰陽道的な)をした人々じゃん
後の門付け、漫才師
昔に比べてマシになったけど、相変わらずWikipediaは間違いが多い

84:天之御名無主
11/05/28 21:30:38.25 .net
竜灯祭へお招きをうけて、灯籠流しにもいろいろの趣きがあるのを知つた。今まで私がしばしば見たのは熱海の
灯籠流しであつたがこれはふつうの施餓鬼の行事で、ひろい海面の潮のまにまに灯籠が漂ふのは、淋しい彼岸へ
心を誘はれる心地がした。柳橋の竜灯祭は神事である上に、いかにもこの土地らしい華麗なものである。
川面いちめんに灯籠が流れ出す数分間はふだんはただ眺めてゐるだけの隅田川をわれとわが手で流した灯籠で、
占領してしまつたやうな快感を与へる。地上の豪奢を以て、水中の竜神の心を慰めるといふ趣きがある。それが
いかにも「竜灯祭」といふ名にふさはしいのである。
また、それから引き潮に乗つてあれほど夥しかつた灯籠が、数分間のうちにほとんど視界を没し去るのも、
いかにもいさぎよくて、江戸前の感じがする。執念が残らないで、さはやかなのである。

三島由紀夫「竜灯祭」より

85:天之御名無主
11/05/28 21:32:32.23 .net
最後まで料亭の舟着場の下などにまつはりついて離れない少数の灯籠もあるが、これも執念といふものではなくて、
そのすぐ上方の座敷のさんざめき、美妓のたたずまひなどに心を残して、無邪気にそこに居据つてしまつた感じで
可愛らしい。あたかもその十いくつの灯籠だけが、そろつて首をもたげてうすく口をあけて、地上の遊楽の
美しさを讃美してゐるやうだ。
灯籠流しといふと、人はすぐ暗い仏教的イメーヂを持つが、私の発見したのは別のものだつた。このごろの
大キャバレエの遊びよりも昔の人はもつと豪奢な遊びを知つてゐた。そして消えない電気の光りよりも、波の
まにまに夜のなかへ馳け込んでゆく灯籠の光りのはうに、はるかに、遊楽に一等大切な「時間」の要素が、
いきいきとこめられてゐるのを知つた。一度花やかな頂点に達してそれが徐々に消えてゆく、そのゆるやかな
時間の経過の与へる快さは、快楽の法則に自然に則つてゐて、いづれにしても花火よりも「快楽的」であると
思はれるのだつた。

三島由紀夫「竜灯祭」より

86:天之御名無主
11/05/29 18:01:51.34 .net
電気の世の中が蛍光電灯の世の中になつて、人間は影を失なひ、血色を失なつた。蛍光灯の下では美人も幽霊の
やうに見える。近代生活のビジネスに疲れ果てた幽霊の男女が、蛍光灯の下で、あまり美味しくもなささうな色の
料理を食べてゐるのは、文明の劇画である。
そこで、はうばうのレストランでは、臘燭が用ひられだした。磨硝子の円筒形のなかに臘燭を点したのが卓上に
置かれる。すると、白い卓布の上にアット・ホームな円光がゑがかれ、そこに顔をさし出した女は、周囲の暗い
喧騒のなかから静かに浮彫のやうに浮き出して見え、ほんの一寸した微笑、ほんの一寸した目の煌めきまでが
いきいきと見える。情緒生活の照明では、今日も臘燭に如くものはないらしい。そこで今度は古来の提灯が
かへり見られる番であらう。
子供のころ、こんな謎々があつた。
「火を紙で包んだもの、なあに」
この端的な提灯の定義は、今日でも外国人の好奇心を誘ふものであらう。
私の幼年時代はむろん電気の時代だつたが、提灯はまだ生活の一部に生きてゐた。

三島由紀夫「臘燭の灯―今月の表紙に因んで」より

87:天之御名無主
11/05/29 18:02:19.00 .net
内玄関の鴨居には、家紋をつけた大小長短の提灯が埃まみれの箱に納められてかかつてゐた。火事や変事の場合は、
それらが一家の避難所の目じるしになるのであつた。
提灯行列は軍国主義花やかなりし時代の唯一の俳句的景物であつたが、岐阜提灯のさびしさが今日では、生活の中の
季節感に残された唯一のものであらう。盆のころには、地方によつては、まだ盆灯籠が用ひられてゐるだらうが、
都会では灯籠といへば、石灯籠か回はり灯籠で、提灯との縁はうすくなつた。
「大塔宮曦鎧」といふ芝居があつて、その身替り音頭の場面には、たしか美しい抒情的な切子(きりこ)灯籠が
一役買つてゐた。切子灯籠は、歳時記を見ると、切子とも言ひ、灯籠の枠を四角の角を落とした切子形に作り、
薄い白紙で張り、灯籠の下の四辺には模様などを透し切りにした長い白紙を下げたもの、と書いてある。江戸時代の
庶民の発明した紙のシャンデリアである。
花灯籠、絵灯籠、灯籠流し、といふのはもう言葉ばかりで、正直のところ、私の都会生活で、ゆらめく臘燭の灯に
接する機会は、レストランか、さもなければ停電の夜だけになつた。

三島由紀夫「臘燭の灯―今月の表紙に因んで」より

88:天之御名無主
11/05/30 19:37:34.89 .net
この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。
別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。
宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は
芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が
家鳴震動する。
それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、
酒宴がはじまつた。
と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より

89:天之御名無主
11/05/30 19:40:16.93 .net
更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。
しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に
一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より

90:天之御名無主
11/05/30 19:43:53.56 .net
(中略)
―かうして一日たち二日たつた。
最初の一夜は、「これは大変だ」と思つたのに、馴れといふものは怖ろしいものである。
二日目にはもう隣室の話し声は気にならず、トラックやバスの響きに眠りを破られることがなくなつた。
三日目になると完全にコツをおぼえ、宿中全員が寝静まらぬうちは眠らぬことにきめ、女中を呼ぶにも大音声を
張りあげ、食事がおそいときは、
「おそいぞ!」
と怒鳴り、よその子供がバタバタ廊下をかけまはれば、
「うるさいぞ!」
と怒鳴つて、夜寝不足ならば十分昼寝をし、ほぼ快適な生活を送れるやうになつた。
―それはさておき、かりにも都会で、プライヴァシィを重んずる「近代的」生活を、生活だと思ひ込んで
ゐる人間には、人の迷惑などを考へずにのびのびと暮してゐるかういふ旧式の日本人の生活は、おどろくべき
ものであつた。
都会なら、となりのうるさいラヂオを容赦しないが、ここではラヂオはすべて音の競争であつて、隣りのラヂオが
うるさかつたら、家のラヂオの音をもつと大きくすればそれですむのである。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より

91:天之御名無主
11/05/30 19:48:13.45 .net
みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。
西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。
(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが
賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。

三島由紀夫「プライヴァシィ」より

92:天之御名無主
11/06/02 17:56:06.07 .net
このごろデパートを一トめぐりしておどろくのは、いはゆる「グッド・デザイン」の大量進出である。手術室の
メスのやうなナイフやフォーク、紙屑籠のやうな椅子や、椅子のやうな紙屑籠、マナ板まで雲形定規みたいな形を
してゐる。ガス・ストーヴ一つでも、昔風なルネサンス様式模倣の古式ゆかしい形のガス・ストーヴなんか、
東京中探したつてありはしない。(中略)日本座敷にモダンなテレビが置いてあると、何とも醜悪な感じがするが、
さりとて仏壇形のテレビなんてどこにも売つてやしない。一体何を以てグッド・デザインといふか。日本間といふ
ものが消滅せぬ以上、日本間むきの、観音びらきの扉に紫の房なんかのついたテレビ・キャビネットこそ、
グッド・デザインといふものではないか。
こんなことを言へば、進歩的デザイナー諸氏に叱られるに決つてゐるが、私自身が、近来の「機能主義にあらざれば
人にあらず」といふ風潮に逆らつて、もつとも反機能主義的な家を建て、もつとも反機能主義的な家具を誂へた
人間だから、敢て言はせてもらふ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

93:天之御名無主
11/06/02 18:07:47.59 .net
大体今のグッド・デザインといふやつは、古くさい様式だの、古くさい装飾過剰だのに反抗して生れたものである。
殊に、家具や生活器具は、様式や装飾にとらはれてゐれば、必然的に、使ひ心地のわるいものになつてゐる。
昔の人は、使ひ心地のよさや快適さよりも、様式や装飾のはうを愛してゐたから、前者を犠牲にして、お尻の痛い
椅子や、持ちにくいフォークを我慢して使つてきたわけである。
機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチしてゐる
やり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・キッチン
とやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、私に言はせれば、
そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、煩をいとはず、
全身全霊をこめて作り且つ喰べた。西洋人のはうが今でも昔流で、フランス人は昼飯も、晩飯も、ゆつくり
二時間ほどかけて喰べる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

94:天之御名無主
11/06/02 18:10:42.50 .net
グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た時代の
産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、離れがたい
なつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのもわかる。
はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

95:天之御名無主
11/06/02 19:26:55.00 .net
……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、最新のモダン・
リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態をいとなむことに他ならない。
(中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの販路拡大を、
「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを占領するのは
革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

96:天之御名無主
11/06/02 19:35:28.93 .net
西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における様式の
統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風にデザイン
しなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用なことは、
西洋人にはできない。(中略)
早い話が、日本でも、デパートで一人前数百円でメス式ナイフとフォークを買ひ込んで来て、さて、それに合はせて
グッド・デザインのディナー・セット、グッド・デザインの椅子、家具一式、ベッド、それにふさはしい家、
(中略)……と様式の統一を心がけたら、大へんな金がかかるのである。だから大部分は、様式の統一をあきらめて、
断片だけで我慢する。
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ美的で
あるといふことが、どうしてもわからないのである。

三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より

97:私の拳が血を求めている!!
11/06/03 12:54:55.98 .net
日本の領土権の強い民族
URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(www.youtube.com)

98:天之御名無主
11/06/05 14:34:39.42 .net
東北の民俗学について教えて!
エロい人!!

99:天之御名無主
11/06/07 11:45:35.11 .net
この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、
鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を
借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。このやうな叫びに
目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、人の口から出るのを
きくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、あちらには
「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと一体化することのもつとも
危険な喜びを感じずにゐられない。

三島由紀夫「実感的スポーツ論」より

100:天之御名無主
11/06/07 11:45:58.71 .net
そしてこれこそ、人々がなほ「剣道」といふ名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い
「精神主義」の風味なのだ。私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、
あくまでその反時代性を失はないことを望む。
(中略)
スポーツは行ふことにつきる。身を起し、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの
快さについて、かつてマンボ族が流行してゐたころ、
「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」
と誇らしげに言つてゐた拳闘選手の言葉を私は思ひ出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。
運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれてゐる。どんな権力を握つても、どんな放蕩を
重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知つたとはいへないであらう。

三島由紀夫「実感的スポーツ論」より

101:天之御名無主
11/06/10 11:14:58.40 .net
言ひ古されたことだが、一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。先ごろハンブルクの
港見物をしてゐたら、灰色にかすむ港口から、巨大な黒い貨物船が、船尾に日の丸の旗をひるがへして、威風堂々と
入つて来るのを見た。私は感激措くあたはず、夢中でハンカチをふりまはしたが、日本船からは別に応答もなく、
まはりのドイツ人からうろんな目でながめられるにとどまつた。
これは実に単純な感情で、とやかう分析できるものではない。もちろん貨物船が巨大であつたことも大いに私を
満足させたのであつて、それがちつぽけな貧相な船であつたとしたら、私のハンカチのふり方も、多少内輪に
なつたことであらう。また、北ヨーロッパの陰鬱な空の下では、日の丸の鮮かさは無類であつて、日本人の素朴な
明るい心情が、そこから光りを放つてゐるやうだつた。
それでは私もその「素朴な明るい」日本人の一人かといふと、はなはだ疑はしい。私はひねくれ者のヘソ曲りであるし、
私の心情は時折明るさから程遠い。それは私が好んでひねくれてゐるのであり、好んで心情を暗くしてゐるのである。

三島由紀夫「日本人の誇り」より

102:天之御名無主
11/06/10 11:18:47.60 .net
これにもいろいろ複雑な事情があるが、小説家が外部世界の鏡にならうとすれば、そんなにいつも「素朴で
明るい」人間であるわけには行かない。しかし異国の港にひるがへる日の丸の旗を見ると、
「ああ、おれもいざとなればあそこへ帰れるのだな」
といふ安心感を持つことができる。いくらインテリぶつたつて、いくら芸術家ぶつたつて、いくら世界苦
(ヴエルトシユメルツ)にさいなまれてゐるふりをしたつて、結局、いつかは、あの明るさ、単純さ、素朴さと
清明へ帰ることができるんだな、と考へる。
いざとなればそこへ帰れるといふ安心感は、私の思想から徹底性を失はせてゐるかもしれない。しかしそんなことは
どうでもよいことだ。私は巣を持たない鳥であるよりも、巣を持つた鳥であるはうがよい。第一、どうあがいた
ところで、小説家として私の使つてゐる言葉は、日本語といふ歴然たる「巣鳥の言葉」である。
「いざとなればそこへ帰れる」といふことは、同時に、帰らない自由をも意味する。ここが大切なところだ。
帰る時期は各人の自由なのであつて、「いざとなれば帰れる」といふ安心感があればこそ、一生帰らない日本人が
ゐるのもふしぎはない。

三島由紀夫「日本人の誇り」より

103:天之御名無主
11/06/10 11:20:50.70 .net
私はこの安心感を大切にするのと同じぐらゐに、帰る時期と、帰る意思の自由とを大切にする。人に言はれて
帰るのはイヤだし、まして人のマネをして帰つたり、人に気兼ねして帰るのもイヤだ。すべての「日本へ帰れ」と
いふ叫びは、余計なお節介といふべきであり、私はあらゆる文化政策的な見地を嫌悪する。日本人が「ドイツへ
帰れ」と言はれたつて、はじめから無理なのであつて、どうせ帰るところは日本しかないのである。
私は十一世紀に源氏物語のやうな小説が書かれたことを、日本人として誇りに思ふ。中世の能楽を誇りに思ふ。
それから武士道のもつとも純粋な部分を誇りに思ふ。日露戦争当時の日本軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を
誇りに思ふ。すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐひ稀な結合を誇りに思ふ。この
相反する二つのものが、かくもみごとに一つの人格に統合された民族は稀である。……
しかし、右のやうな選択は、あくまで私個人の選択であつて、日本人の誇りの内容が命令され、統一され、
押しつけられることを私は好まない。

三島由紀夫「日本人の誇り」より

104:天之御名無主
11/06/10 11:22:05.66 .net
実のところ、一国の文化の特質といふものは、最善の部分にも最悪の部分にも、同じ割合であらはれるものであつて、
犯罪その他の暗黒面においてすら、この繊細な感受性と勇敢な気性との結合が、往々にして見られるのだ。
われわれの誇りとするところのものの構成要素は、しばしば、われわれの恥とするところのものの構成要素と
同じなのである。きはめて自意識の強い国民である日本人が、恥と誇りとの間をヒステリックに往復するのは、
理由のないことではない。
だからまた、私は、日本人の感情に溺れやすい気質、熱狂的な気質を誇りに思ふ。決して自己に満足しない
たえざる焦燥と、その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思ふ。日本人がノイローゼにかかりにくいことを誇りに思ふ。
どこかになほ、ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)の面影を残してゐることを誇りに思ふ。そして、たえず
劣等感に責められるほどに鋭敏なその自意識を誇りに思ふ。
そしてこれらことごとくを日本人の恥と思ふ日本人がゐても、そんなことは一向に構はないのである。

三島由紀夫「日本人の誇り」より

105:天之御名無主
11/06/14 11:54:16.63 .net
昭和42(1967)年、イギリスの歴史家、A・J・トインビー博士が伊勢神宮を参拝されました。
清らかな五十鈴川の流れに手をひたし、本殿前で敬虔に拝礼された後に、博士は神楽殿の休憩室で、毛筆で
次のように記帳されています。
Here, in this holy place,
I feel the underlying unity of all religions.
(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一的なるものを感ずる。)

地球上には無数の宗教がありますが、その根底には、神に対する畏敬と感謝が共有されているのでしょう。
そびえ立つ杉の大木に囲まれた伊勢の神殿は、その畏敬と感謝とを最も純粋な形で表現していると、博士は
感得されたのではないでしょうか。
この「根底的な統一性」とは、ふたたび、糸に結ばれた「まがたま」を連想させます。

106:天之御名無主
11/06/14 11:54:46.38 .net
<老いを寿ぎ敬う心ー日本の心> (保田與重郎)
・お祖母様の手を引く孫娘という形は、つい近頃までは、田舎の村道などの光景で、世間で一番美しい風景だった。
なつかしく、うれしく、そのほのぼのとした風景は、ただのどかであった。
・西洋では生活に余裕のある人も親を平気で養老院にいれますし、そうでなくても親とは決して同居しないものです。
老年にとっては家族や世間とのつながりはいよいよ大切になってくるのに、西洋では「老いた親の世話は
社会保障がするもの」と老人は家族とのつながりから離され、「人生の流タクの境涯」にあり、「みな孤独に
苦しんでいる」のです。

107:天之御名無主
11/06/14 11:55:16.78 .net
<子供を慈しむ伝統ー日本の心> (保田與重郎)
・百年ほど前の英国では子供に対する虐待行為を法律で禁止しなければならないほど、それが酷かった。
西洋人は、人間観、子供観において性悪説に立っており、「仮借ない躾によって、ジャングルの野蛮人を
文明へと教育する」やり方です。
・子供を慈しむ伝統は、国語の自称詞、対称詞の中にも自然と現れています。
我々が夫婦の間でもお互いを「お父さん、お母さん」と呼び、両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶのも、
子供を中心に見ているからです。
子供に対しても上の子を「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶのも、今度は下の子を中心にしているからです。
・「銀も金も玉も、何せむに、優れる宝子にしかめやも」(山上億良)

108:天之御名無主
11/06/14 12:37:27.81 .net
【文学部】都内女子大で「くの一」講座開設。忍法"乳時雨"を学ぶ受講者たち(画像有)
スレリンク(mitemite板)


109:天之御名無主
11/06/16 11:09:24.28 .net
一旦身に受けた醜聞はなかなか払ひ落とせるものではない。たとへ醜聞が事実とちがつてゐても、醜聞といふものは、
いかにも世間がその人間について抱いてゐるイメージとよく符合するやうにできてゐる。ましてその醜聞が、
大して致命的なものではなく、人々の好奇心をそそつたり、人々に愛される原因になつたりしてゐるときには
尚更である。かくて醜聞はそのまま神話に変身する。
(中略)
アメリカにおける日本娘の名声の高さは大へんなものである。われわれスポイルされた日本男性は、風呂の中で
妻が背中を流してくれるのを当然のサーヴィスと心得てゐるが、アメリカ人の感激は大へんなものらしいのである。
しかしアメリカ婦人だつて、自分の愛犬の背中を喜んで洗つてやるではないか。とすれば、アメリカ婦人が良人の
背中を流したがらない理由は、男性を犬から区別する敬意に出てゐるのかもしれないのである。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

110:天之御名無主
11/06/16 11:10:13.85 .net
(中略)
日本のサーヴィス業といふものには、微妙な東洋的特色があるのである。西欧では、快楽といふものは、
キリスト教的伝統によつて、肉体的快楽と精神的快楽にはつきり分けられてゐるらしい。日本ではこのへんが
ひどくあいまいで、肉体から精神にいたるひろい領域を、いろんな種類の快楽が埋めてゐて、そのひとつひとつに
対応するサーヴィス業があるわけだ。だから日本人は、外人が芸者やバアの女給を娼婦と混同するやうな誤解に
ひどく気を悪くする。芸者は断じて娼婦ではない。かと云つて素人女でもないのである。いや、娼婦ですらも、
厳然たる合理的娼婦ではない。十八世紀の日本の純粋な恋愛劇は、ほとんど娼婦と客との恋を描いてゐる。
この点では、封建時代の日本人はよく割り切つてゐた。恋愛とは、金を払つた女とやるものであり、結婚と
恋愛とは何の関係もないと思つてゐたのである。今でも日本人にはこの気分が残つてゐて、恋愛といふものは、
金を払へる場所で、たとへば女のゐる酒場で、次第に精神的に成立するものだといふやうな考へがある。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

111:天之御名無主
11/06/16 11:10:47.33 .net
(中略)
日本人はほとんど英語を話さない。と云ふとアメリカ人の旅行者はおどろくだらうが、ホテル業者やガイドや
貿易商社関係や、つまり英会話の能力で利益を得る人たちが英語の巧いのは当り前である。だから、本当の日本人、
外人と附合はなくてもやつて行ける日本人は、ほとんど英語を話さない、と云つたはうが正確だらう。そして
かういふ本当の日本人は、外人風に肩をすくめたり、身ぶり手ぶりを使つたり決してしない。英語で話しかけられると、
「わからない」といふしるしに、例の有名な「不可解な微笑」をうかべるだけである。
この微笑が、西洋人には、実に気味のわるい、謎に充ちたものにみえることは定評がある。しかしわれわれに
とつては単純な問題である。悲しいから微笑する。困惑するから微笑する。腹が立つから微笑する。つまり、
「悲しみ」と「困惑」と「怒り」は本来別々の感情だが、それをXならXといふ同じ符号で表現するわけだ。
このX符号を示された相手は、すぐ次のやうに察しなければならない。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

112:天之御名無主
11/06/16 11:11:21.00 .net
「ははア、これはきつと何か、隠しておきたい感情があるんだな。そんなら触れずにそつとしておかう」
つまり微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは社会生活では
当たり前のことで、日本のやうに個人主義の発達しない社会では、微笑が個人の自由を守つてきたのである。
しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つてゐる。
ところが外国人はさうは行かない。殊にアメリカ人となると、絶対に我慢できない。一体このX符号は何だらう。
彼は頭を悩まし、分析し、判断し、質問する。そしてあげくのはてに、相手が怒つてゐるのだと知ると、茫然と
してしまふ。「そんならはじめから、微笑したりせずに、怒ればいいぢやないか」しかしそれは礼儀に外れた
方法である。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

113:天之御名無主
11/06/16 11:21:45.92 .net
(中略)
日本の伝統は大てい木と紙で出来てゐて、火をつければ燃えてしまふし、放置(はふ)つておけば腐つてしまふ。
伊勢の大神宮が二十年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の歴史を持ち、この間五十九回の遷宮が
行はれたが、これが日本人の伝統といふものの考へ方をよくあらはしてゐる。西洋ではオリジナルとコピイとの
間には決定的な差があるが、木造建築の日本では、正確なコピイはオリジナルと同価値を生じ、つまり次の
オリジナルになるのである。京都の有名な大寺院も大てい何度か火災に会つて再建されたものである。かくて
伝統とは季節の交代みたいなもので、今年の春は去年の春とおなじであり、去年の秋は今年の秋とおなじである。
だから一般的に云つて、日本人くらゐ、伝統を惜しげなく捨て去つて、さつさと始末してしまふ国民もゐない。
伝統の重圧といふものは、日常生活には少しも感じられず、東洋風な敬老思想もなくなつて、今日では、日本の
老人は、若者の御機嫌をとるのに汲々としてゐる。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

114:天之御名無主
11/06/16 11:22:09.46 .net
(中略)二十歳以下の連中は、ブルー・ジンズで街を歩きまはり、ロックン・ロールにうつつを抜かしてゐる。
外人旅行者は目をうたがふ。これが日本なのか? 旅行案内社のポスターと何たるちがひだらう!
しかしこれが日本の伝統なのである。鎖国時代の日本人でさへ、今日の若い日本人が、ジャックとかメリーとかいふ
アメリカ名前のニック・ネームを使つてゐるやうに、支那式の名前を別に持つてゐた。当時、支那は日本にとつて、
今日のヨーロッパのやうなものであつた。
二十年目毎の改築と遷宮、これは実に象徴的である。終戦後十五年あたりから、もうすつかり死に絶えたと誰もが
思つてゐた古い日本思想が、あなどりがたい力で復活して、若い世代の一部を惹きつけてゐる。一九六〇年に、
十五年ぶりでハラキリが復活した。岸内閣の政治に憤慨した或る僧侶が、官邸の前で切腹したのである。これから
又たびたびハラキリが出て来ても、おどろくには当らないのである。サムラヒもやがて復活することであらう。

三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より

115:天之御名無主
11/06/19 09:07:26.99 .net
ここのスレの人さ。

俺にはどうでもいい話だが
著作権か版権はまだ生きてるはずだぞ。
訴えられたら即罰金だがいいのか。

116:天之御名無主
11/06/20 11:50:59.04 .net
尾崎紅葉の「金色夜叉」の箕輪家の歌留多会の場面は大へん有名で、お正月といふと、近代文学の中では、まづ
この場面が思ひだされるほどです。
(中略)
三十人あまりの若い男女が、二手にわかれて、歌留多遊びに熱中してゐるありさまは、場内の温気に顔が赤くなつて
ゐるばかりでなく、白粉がうすく剥げたり、髪がほつれたり、男もシャツの腋の裂けたのも知らないでチョッキ姿に
なつてゐるのやら、羽織を脱いで帯の解けた尻をつき出してゐるのやら、さまざまですが、
「喜びて罵り喚く声」
「笑頽(わらひくづ)るゝ声」
「捩合(ねぢあ)ひ、踏破(ふみしだ)く犇(ひしめ)き」
「一斉に揚ぐる響動(どよみ)」
など、大へんなスパルタ的遊戯で、ダイヤモンドの指輪をはめた金満家のキザ男富山は、手の甲は引つかかれて
血を出す、頭は二つばかり打たれる。はふはふのていで、この「文明ならざる遊戯」から、居間のはうへ逃げ出します。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

117:天之御名無主
11/06/20 11:51:32.27 .net
―むかしの日本には、今のやうなアメリカ的な男女の交際がなかつた代りに、この歌留多会のやうな、まるで
ツイスト大会もそこのけの、若い男女が十分に精力を発散して取つ組み合ひをする機会がないわけではありませんでした。
紅葉がいみじくも「非文明的」と言つてゐるやうに、かういふ伝統は、武家の固苦しい儒教的伝統や、明治に
なつて入つてきた田舎くさい清教徒のキリスト教的影響などと別なところから、すなはち、「源氏物語」以来の
みやびの伝統、男女の恋愛感情を大つぴらに肯定する日本古来の伝統に直につながるものでありました。百人一首の
歌の詩句は、古語ですから柔らげられてゐるやうだが、どれもこれも、良家の子女にはふさはしくない、露骨な
恋愛感情を歌つたものばかりでした。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

118:天之御名無主
11/06/20 11:52:09.01 .net
お正月といふと、日ごろスラックスでとびまはつてゐるはねつかへり娘まで、急に和服を着て、おしとやかに
なるのは面白い風俗ですが、今のお嬢さんは和服を着馴れないので、たまに着ると、鎧兜を身に着けたごとく
コチンコチンになつてしまふ。必要以上におしとやかにも、猫ッかぶりにも見えてしまふわけです。
私はさういふ気の毒な姿を見ると、ちかごろの日本人は、「日本的」といふ言葉をどうやら外国人風に考へて、
何でも、日ごろやつてゐるアメリカ的風俗と反対なもの、花やかに装ひながらお人形のやうにしとやかなもの、
ととつてゐるのではないかといふ気がします。
「日本的」といふ言葉のなかには、十分、ツイスト的要素、マッシュド・ポテト的要素、ロックンロール的要素も
あるのです。たださういふ要素が今では忘れられて、いたづらに、静的で類型的なものが、「日本的」と称されて
ゐるにすぎません。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

119:天之御名無主
11/06/20 11:52:42.65 .net
実際、地球上どこでも、人間が大ぜい集まつて住んでゐるところで、やつてみたいことや、言つてみたいことに、
そんなにちがひがあるわけはなく、たまたま日本が鎖国のおかげで孤立的な文化を育て、右のやうな要素までも
すべて日本的な形に特殊化して、表現してきたのは事実ですが、今日のやうに、世界のどこへでもジェット機で
二十四時間以内に行けるほどになると、「日本的なもの」の中の、ツイスト的要素はアメリカ製で間に合はせ、
シャンソン的要素はフランス製で間に合はせ、……といふ具合に、分業ができてきて、どうにも外国製品では
間に合はない純日本的要素だけを日本製の「日本趣味」で固める、といふ風になつてくる。
それでは、一例がお正月の振袖みたいな、わづかに残されたものだけが、純にして純なる本当の「日本的なもの」で
あるか、といふと、それはちがふ。そんなに純粋化されたものは、すでに衰弱してゐるわけで、本来の
「日本的なもの」とは、もつと雑然とした、もつと逞ましいものの筈なのです。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

120:天之御名無主
11/06/20 11:58:03.50 .net
(中略)
今年はいよいよオリンピックの年ですが、今から私がおそれてゐるのは、外人に向つての「日本趣味」の押売りが、
どこまでひどくなるか、といふことです。振袖姿の美しいお嬢さんが、シャナリシャナリ、花束を抱へて飛行機へ
迎へに出ること自体は、私はあへて非難しませんが、一例が次のやうな例はどうでせうか?
日本の服飾美学の伝統はすばらしいもので、江戸の小袖の大胆なデザイン、配色など、今のわれわれから見ても、
超モダンに感じられます。日本人の色彩感覚はすばらしく、それ自体で、みごとな色の配合のセンスを完成して
ゐます。この感覚の高さは、決してフランス人にも劣るものではありません。しかし一方、先年、フランスから
コメディー・フランセエズの一行が来たとき、舞台衣裳の配色の趣味のよさ、調和のよさ、(中略)カーテン・
コールで、登場人物一同が手をつないで舞台にあらはれたときは、その美しさに息を呑むくらゐでした。しかし、
突然、日本のお嬢さん方の花束贈呈がはじまり、色彩の城はとたんに、見るもむざんなほど崩壊しました。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

121:天之御名無主
11/06/20 11:58:27.31 .net
色とりどりの振袖姿、色とりどりの花、わけても花束につけた俗悪な赤いリボンの色、……これで、今まで
保たれてゐた寒色系統の色の調和は、一瞬のうちにめちやくちやにされ、劇の感興まで消え失せてしまひました。
かういふのを「日本的」歓迎と思ひ込んでゐる無神経さ、私はこれをオリンピックに当つてもおそれます。本当に
「日本的な」心とは、フランスの衣裳美にすなほに感嘆し、この感嘆を純粋に保つために、かりにも舞台上へ
ほかの色彩などを一片でも持ち込まない心づかひを示すことなのです。そこにこそ「日本的な」すぐれた色彩感覚が
証明されるのです。右のやうな仕打は、決して「日本的」なのではありません。
「日本的なもの」についていろいろと心を向ける機会の多いお正月に、今年こそ、ぜひ、本当の「日本的なもの」を
発見していただきたいと思ひます。

三島由紀夫「『日本的な』お正月」より

122:天之御名無主
11/06/21 20:38:28.64 .net
G・W・ギルモア『ソウル風物誌』
日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。
日本女性の目には、ほとんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。
そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。
彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。
ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。
彼女らの人生は深刻で真摯だ。
したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特徴的な姿である。

カール・ツュンベリー 江戸参府随行記
日本は一夫一婦制である(庶民に関しての観察)。
また支那のように夫人を家に閉じこめておくようなことはなく、
男性と同席したり自由に外出することができるので、
路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、
私にとって難しいことではなかった。
この国の男性が娶れる婦人は一人だけで、何人も娶ることはない。(庶民の事)
夫人は自由に外出できるし、人々の仲間にはいることもできる。
隣国の朝鮮や支那のように隔離された部屋に閉じこめられていることはない。

123:天之御名無主
11/06/22 00:35:09.94 .net
シュリーマン旅行記
人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さ、工芸品の巧みさ等におどろき、
「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、
そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
と高く評価しているのである。
人々は世界中で「入浴」の最大の愛好者であり、疑いなくもっとも清いと知られているのである。
日本の大衆はどんな臭味もない。
ほとんどの男性、女性の足は美しく見える。
西洋人の男性、女性の足にしばしばみられるいたましいねじれの様子はみられない。
そのねじれはきつく尖った長靴や短靴の結果である。
日本女性のほとんどの手はいつも上品で、時には絶対的に魅力的である。


124:天之御名無主
11/06/24 10:17:52.23 .net
母方の祖父が漢学者であつたため、私はごく稚ないころから、お正月といふと、母の実家へ年始に行つて書初めを
やらされた。それも固苦しい書初めではなく、座敷いつぱいに何枚もきいろいのや白いのや長大な紙をひろげられて、
文鎮で留められ、そのまはりを大ぜいの親戚の子がわいわい言つてゐるなかで、ごく小さな子には長い白髯の祖父が、
筆を一緒に待つて運筆を教へてくれる。
「力いつぱい! さう、さう。思ひ切つて! コセコセしてはいけない。思ひきり、勢ひよく」
と男の子は特に声援される。
大きな筆にたつぷり墨を含ませて、大きな紙に思ひ切り書くのは、一種の運動の快感があつて、子供を喜ばせる。
子供は自分の体より大きな字を自分が書いたことに、何ともいへない満足を味はふのである。
それから、それは又、度胸といふもの、決心といふやうなものを教へる。力いつぱいふくらませた風船のやうに
自分がなつて、その空気を一気に紙上にぶちまける「機」ともいふべきものを、しらずしらずに教へられる。

三島由紀夫「習字の伝承」より

125:天之御名無主
11/06/28 04:12:45.03 .net

日本の最も崇高な美俗たる衆道・男色の制度を再興して、末代まで守り続けようゼッ!
それが出来ネエ徒輩は非国民でしかネエだろうナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!








126:天之御名無主
11/07/04 09:49:41.09 .net
羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である。自分について羞恥心を抱いてゐるとき、人は又、ひそかに、
あたかも罪悪感のやうなナルシシズムを抱いてゐるかもしれず、憎悪と愛とのアンビヴァレンツを隠してゐるかも
しれない。それだけ羞恥心は、自分の内部の深いものとインティメートな感情の、隠れ家であつたかもしれない。
日本人が日本の古い習俗を「蛮風」として恥ぢてゐたときには、どこかで心の一部がその蛮風に支配されて
ゐたときかもしれない。心のみならず、自分の生活感情や社会意識に、ひそかに、そんな蛮風が影を落してゐた時
かもしれない。


文明人がプリミティヴィズムを内部に蔵してゐるのは、何と素敵なことであらう。蒼ざめた都市生活者であること
よりも、noble savage であるといふことは、現代人として何と誇らしいことであらう。一国の文化の底の底を
掘り起しても、何ら原始的な生命の根に触れえないやうな「文明国民」とは、何と十九世紀的で、何と時代おくれな
ことであらう!

三島由紀夫「序(矢頭保写真集『裸祭り』)」より

127:天之御名無主
11/07/14 14:48:16.13 .net
さっきおばさんが家を訪れて家族調査してきた
昨日ご長男の方が見えたけど今は休みで?トヨタは木金休みですもんね。休みもいろいろありますもんね。あはは。うふふっ。
夫はふだんはどうしてらせるのですか?奥さんは、婦人会。大変ですわよね。あははうふふ。次男の方は…
そういう曲者の女が増えてる。見た目は普通のおばん。挙動不審なところあり。
日本は核家族化して他人様と比較ばかりしている内面的に未熟なじじばばのいかに多いことか。
自分の家の犬は飼い主に似て吠えまくるのに家の前を通ればお前の犬が家にしょんべんまるのは失礼だと因縁をつける。
引っ越してきた核家族は産土神社など絶対奉仕することない。そういう人に限って自分がなにかの順番が後になると文句を言う。
今の劣化した日本人に日本の伝統など精神から理解できることなどないだろうな。知能指数が落ちてる。ゆとりが理由ではない。もっと深い理由がある。

128:天之御名無主
11/07/31 16:44:31.37 .net
真の東洋的なもの、東洋的神秘主義の最後の一線を、近代的立憲国家の形体に於て留保したものが日本の天皇制である。
天皇制は過去の凡ゆる東洋文化の枠であり、帝王学と人生哲学の最後の結論である。これが失はれるとき
東洋文化の現代文化へのかけはし、その最後の理解の橋も失はれるのである。

三島由紀夫「偶感」より

129:天之御名無主
11/08/05 18:01:30.98 .net
誰だか知らんが言いたい事があるなら自分の言葉で語れ

130:天之御名無主
11/09/06 09:41:55.93 .net
庭はどこかで終る。庭には必ず果てがある。これは王者にとつては、たしかに不吉な予感である。
空間的支配の終末は、統治の終末に他ならないからだ。ヴェルサイユ宮の庭や、これに類似した庭を見るたびに、
私は日本の、王者の庭ですらはるかに規模の小さい圧縮された庭、例外的に壮大な修学院離宮ですら借景に
たよつてゐるやうな庭の持つ意味を、考へずにはゐられない。おそらく日本の庭の持つ秘密は、「終らない庭」
「果てしのない庭」の発明にあつて、それは時間の流れを庭に導入したことによるのではないか。
仙洞御所の庭にも、あの岬の石組ひとつですら、空間支配よりも時間の導入の味はひがあることは前に述べた。
それから何よりも、あの幾多の橋である。水と橋とは、日本の庭では、流れ来り流れ去るものの二つの要素で、
地上の径をゆく者は橋を渡らねばならず、水は又、橋の下をくぐつて流れなければならぬ。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

131:天之御名無主
11/09/06 09:42:21.53 .net
橋は、西洋式庭園でよく使はれる庭へひろびろと展開する大階段とは、いかにも対蹠的な意味を担つてゐる。
大階段は空間を命令し押しひろげるが、橋は必ず此岸から彼岸へ渡すのであり、しかも日本の庭園の橋は、
どちらが此岸でありどちらが彼岸であるとも規定しないから、庭をめぐる時間は従つて可逆性を持つことになる。
時間がとらへられると共に、時間の不可逆性が否定されるのである。すなはち、われわれはその橋を渡つて、
未来へゆくこともでき、過去へ立ち戻ることもでき、しかも橋を央にして、未来と過去とはいつでも交換可能な
ものとなるのだ。
西洋の庭にも、空間支配と空間離脱の、二つの相矛盾する傾向はあるけれど、離脱する方向は一方的であり、
憧憬は不可視のものへ向ひ、波打つバロックのリズムは、つひに到達しえないものへの憧憬を歌つて終る。
しかし日本の庭は、離脱して、又やすやすと帰つて来るのである。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

132:天之御名無主
11/09/06 09:42:57.90 .net
日本の庭をめぐつて、一つの橋にさしかかるとき、われわれはこの庭を歩みながら尋めゆくものが、何だらうかと
考へるうちに、しらぬ間に足は橋を渡つてゐて、
「ああ、自分は記憶を求めてゐるのだな」
と気がつくことがある。そのとき記憶は、橋の彼方の薮かげに、たとへば一輪の萎んだ残花のやうに、きつと
身をひそめてゐるにちがひないと感じられる。
しかし、又この喜びは裏切られる。自分はたしかに庭を奥深く進んで行つて、暗い記憶に行き当る筈であつたのに、
ひとたび橋を渡ると、そこには思ひがけない明るい展望がひらけ、自分は未来へ、未知へと踏み入つてゐることに
気づくからだ。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

133:天之御名無主
11/09/06 09:43:36.81 .net
かうして、庭は果てしのない、決して終らない庭になる。見られた庭は、見返す庭になり、観照の庭は行動の
庭になり、又、その逆転がただちにつづく。庭にひたつて、庭を一つの道行としか感じなかつた心が、いつのまにか、
ある一点で、自分はまぎれもなく外側から庭を見てゐる存在にすぎないと気がつくのである。
われわれは音楽を体験するやうに、生を体験するやうに、日本の庭を体験することができる。又、生をあざむかれる
やうに、日本の庭にあざむかれることができる。西洋の庭は決して体験できない。それはすでに個々人の体験の
余地のない隅々まで予定され解析された一体系なのである。ヴェルサイユの庭を見れば、幾何学上の定理の
美しさを知るであらう。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

134:天之御名無主
11/09/06 09:44:12.67 .net
……それにしても、仙洞御所を一時間あまり拝観して、辞去するとき、私ははなはだ畏れ多いことながら、その庭が
自分の所有に属さないことを喜んだ。いづれ又、紅葉の季節や、花の季節に、私は拝観を願ひ出て、仙洞御所を
再訪することもあるだらう。しかし、この御庭を愛すれば愛するだけ、私はそれが決して自分の所有に属さず、
訪れない間は、京都へ行けば必ずそれがそこにあるといふ、存在の確実さだけを心に保つことができるのを喜ぶ。
それといふのも、所有といふことの不幸と味気なさを、私は我身で味はつたのは貧しい例でしかないが、人の
身の上にしみじみと見て来たからである。或るフランスの大富豪の貴族のシャトオに数日滞在してゐたときのこと、
私は次々とあらはれては去る来客を、主人夫妻が、ほぼ同じ順序でもてなすのを見た。(中略)
自分のシャトオにゐる間、主人夫妻は、いはば、案内役と司会者の役割を毎日つとめて、倦きもせずに、ただ
次々と新らしい客の讃嘆の声だけを餌にして生きてゐた。これを見てゐて、私はつくづく、所有する者の不幸と
味気なさを感じたのである。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

135:天之御名無主
11/09/06 09:47:38.31 .net
庭も亦所有を前提としてゐる。他人に思ふまま蹂躙された庭は、公園であつてもはや庭ではない。しかし厳密に
言ふと、所有者にとつても、それは徐々に「庭」であることをやめるのである。なぜなら、見倦きた庭は、
庭であることから、何かただ、習慣のやうなものになつて、われわれの存在の垢とまじり合つてしまふからである。
四季の変化からなるたけ影響を受けぬやうに作られた幾何学的な庭はもちろん日本の庭の中でも竜安寺の石庭の
やうな抽象的な庭は、所有者にとつては、忘れられた厖大な蔵書の一部のやうになつてゆくにちがひない。
ある庭を完全に所有すまいとすれば、その庭のもつ時間の永遠性が、いつも喚起的であるやうに努めねばならない。
理想的な庭とは、終らない庭、果てしのない庭であると共に、何か不断に遁走してゆく庭であることが必要であらう。
われわれの所有をいつもすりぬけようとして、たえず彼方へと遁れ去つてゆく庭、蝶のやうに一瞬の影を宿して
飛び去つてゆくやうな庭、しかもそこに必ず存在することがどこかで保証されてゐるやうな庭、……さういふ
庭とは何であらうか。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

136:天之御名無主
11/09/06 09:48:18.68 .net
私はここで又、仙洞御所の庭に思ひ当る。なぜならその御庭は、私の所有でないと同時に、今はどなたの住家でも
ないからである。しかもそれは確実に所有されてをり、決して万人の公園ではない。もしわれわれが理想的な庭を
持たうとするならば、それを終らない庭、果てしのない庭、しかも不断に遁走する庭、蝶のやうに飛び去る庭に
しようとするならば、われわれにできる最上の事、もつとも賢明な方法は、所有者がある日姿を消してしまふ
ことではないだらうか。庭に飛び去る蝶の特徴を与へようとするならば、所有者がむしろ、飛び去る蝶に化身すれば
よいのではないか。生はつかのまであり、庭は永遠になる。そして又、庭はつかのまであり、生は永遠になる。……
そのとき仙洞御所の焼亡は、この御庭にとつて、何かきはめて象徴的な事件のやうに思はれるのである。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

137:天之御名無主
11/09/06 09:48:51.81 .net
生きてゐる芸術家とは、どういふ姿になることが、もつとも好ましく望ましいか。
私は或る作家の作品を決して読まない。それは、その作家がきらひだからではない。その作家の作品を軽んずる
からではない。それとは反対に、私は彼の作家としての良心を敬重してをり、作品を書く態度のきびしさを
尊敬し、作品の示す芸のこまやかさと芸格の高さにいつも感服してゐる。それなのに、私は彼の作品を読まうと
しないのである。
何故かといふのに、私が読まなくても、彼は円熟した立派な作品を書きつづけてゐることがわかりきつてゐる
からである。さういふ作品が彼を囲んで、ますます彼の芸境を高めてゐることを知つてゐるからである。
さうなつた作家は、すでに名園である。いはば仙洞御所の御庭である。行かなくても、そこへ行けば、その美に
搏たれることがわかつてをり、見なくても、そこにその疑ひやうのない美が存在してゐることがわかつてゐるからだ。
だが、私は、自分の作品の、未完成、雑駁を百も承知でゐながら、生きてゐるあひだは、決してさういふ千古の
名園のやうな作家になりたいとは望まないのである。

三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より

138:天之御名無主
11/09/15 11:45:56.88 .net
近代日本が西洋文明をとりいれた以上、アリの穴から堤防はくづれたのである。しかも、文明の継ぎ木が
奇妙な醜悪な和洋折衷をはやらせ、一例が応接間といふものを作り、西洋では引つ越しや旅行の留守にしか
使はない白麻のカバーをソファーにかける。私はさういふことがきらひだから、いすが西洋伝来のものである以上、
西洋の様式どほり、高価な西洋こつとうのいすにも、家ではカバーをかけない。
昔の日本には様式といふものがあり、西洋にも様式といふものがあつた。それは一つの文化が全生活を、
すみずみまでおほひつくす態様であり、そこでは、窓の形、食器の形、生活のどんな細かいものにも名前がついてゐた。
日本でも西洋でも窓の名称一つ一つが、その時代の文化の様式の色に染まつてゐた。さういふぐあひになつて、
はじめて文化の名に値するのであり、文化とは生活のすみずみまで潔癖に様式でおほひつくす力であるから、
すきや造りの一間にテレビがあつたりすることは許されないのである。

三島由紀夫「日本への信条」より

139:天之御名無主
11/09/15 11:47:17.82 .net
私はただ、畳にすわるよりいすにかけるはうが足が楽だからいすにかけ、さうすれば、テーブルも、じゆうたんも、
窓も、天井も、何から何まで西洋式でなければ、様式の統一感に欠けるから、今のやうな生活様式を選んだのである。
それといふのも、もし、私が純日本式生活様式を選ばうとしても、十八世紀に生きてゐれば楽にできたであらうが、
二十世紀の今では、様式の不統一のぶざまさに結局は悩まされることになるからである。
私にとつては、そのやうな、折衷主義の様式的混乱をつづける日本が日本だとはどうしても思へない。
また、一例が、能やカブキのやうなあれほどみごとな様式的美学を完成した日本人が、たんぜんでいすにかけて
テレビを見て平気でゐる日本人と、同じ人種だとはどうしても思へない。
こんなことをいふと、永井荷風流の現実逃避だと思はれようが、私の心の中では、過去のみならず、未来においても、
敏感で、潔癖で、生活の細目にいたるまで様式的統一を重んじ、ことばを精錬し、しかも新しさをしりぞけない
日本および日本人のイメージがあるのである。

三島由紀夫「日本への信条」より

140:天之御名無主
11/09/15 11:47:44.42 .net
そのためには、中途はんぱな、折衷的日本主義なんかは真つ平で、生つ粋の西洋か、生つ粋の日本を選ぶほかはないが、
生活上において、いくら生つ粋の西洋を選んでも安心な点は、肉体までは裏切れず、私はまぎれもない
日本人の顔をしてをり、まぎれもない日本語を使つてゐるのだ。つまり、私の西洋式生活は見かけであつて、
文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふこの「生つ粋の日本」にあり、
これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。
今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、
われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことに
なるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。

三島由紀夫「日本への信条」より

141:天之御名無主
11/09/15 11:48:22.08 .net
低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ
劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを
卒業してゐると考へてゐる。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。
さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。
そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を
造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。
できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。

三島由紀夫「日本への信条」より

142:天之御名無主
11/10/05 10:08:31.75 .net
左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩して
ゆくと考へてゐるのです。(中略)
ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、
帝国主義なのです。そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。もうスターリン批判
以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し
外れる処があつたんだけど、文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。
近頃は経済的には先進国になつてゐますので、その点でも、あらゆる後進国的なラディカルな革命のやり方で
やれるものかどうかといふ疑問は幼稚園ぐらゐ出てゐれば大体分るわけです。
そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

143:天之御名無主
11/10/05 10:09:01.91 .net
(中略)
それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの
本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、“われわれの窮屈に閉込められたこの自由といふ名の下に
於いて、人間が一種のフィクションに堕してしまつた社会”から何とか抜け出して、“自由な人間主義の本当に
実現される世界、しかもそこでは社会主義がその最も良いところを実現してゐるやうな社会”であります。
いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても
実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の
行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。(中略)
何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。別にそれを職業にしてゐる人間でもありません。
ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

144:天之御名無主
11/10/05 10:10:00.95 .net
(中略)
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。だから未来といふ言葉を
辞書から抹殺しなさいといふのが私の考へなのです。(中略)我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を
手探りで少し先の未来までは予測ができる。或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。しかし、人間が
予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに
対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。そして、自分をプロセスとしか感じられない人間の
することであります。(中略)
このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

145:天之御名無主
11/10/05 10:10:52.69 .net
実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた
不思議なところです。人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。
「葉隠」といふ本を御覧になつた方があるとみえて、笑つてゐる方がそこに居りますが、やはり死といふ事を
毎日毎日起り得る状況として捉へるところから人間の行動の根拠を発見して、そこにモラルを提示してゆく。
非常に極端な考へ方なのですが、あれ程生きる力を与へられた本を私は知りません。
あの思考には、未来が無いのです。我々は常識で考へて「未来がない」と言ふと、まるで破産宣告を受けた人間とか、
ガンの宣告を受けた人間のやうに考へますが、さうではなくて、私は、「青年にこそ未来がない」と、私自身の
考へから、経験から言へるのです。(中略)
青年といふのが“未来を所有してゐる”のではなくして、“未来を夢みてゐた”のであります。そして、未来を
所有してゐる人間といふのは、棺桶に片足を突つ込んだ人間のことを言ふのです。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

146:天之御名無主
11/10/05 10:11:31.08 .net
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。未来を
信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、今日の私、
現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして、長い文化と
歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支へてきた
文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。今、私が四十歳であつても、
二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、その人間のところで文化は完結してゐる。
その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であると
いふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、今日の仕事に完全な
成熟といふものを信じられないのではなからうか。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

147:天之御名無主
11/10/05 10:14:02.79 .net
或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。
自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、
それが即ち今日の行動の本になる。
「今日も行動を起す」と言つて、何も角材を持つて飛び出すのではなくて、その気持の中から、自分は果して
それに相応しいのだらうか、自分は果して本当に日本の歴史と伝統といふものを正確に且つ立派に代表して
ゐるだらうか、といふ気持がその人の倫理になります。また、成熟の本になります。
「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。けれども、
私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことが
あるのです。しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

148:天之御名無主
11/10/05 10:14:31.42 .net
自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。しかし、
そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。(中略)
ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。これは又、人間の行動の強さの
源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無(はかな)い生命であります。しかし、
明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、
人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。
大体、中南米諸国の民族は、間に合はないと何でも明日に延ばしてしまふのですが、日本人の精神といふのは、
その間に合はないといふところがない。さういふところが日本人の良いところであつて、それが日本精神で
あるとさへ私は思ひます。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

149:天之御名無主
11/10/05 10:15:07.68 .net
本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。
これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、生命を
賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと
思ふのです。ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、
若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、
その力たるや恐るべきものがあると思ひます。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

150:天之御名無主
11/10/09 17:34:10.59 .net
韓国・朝鮮に毅然と立ち向かう右翼大学の先輩方の勇姿
URLリンク(www2.ocn.ne.jp)
URLリンク(www.masuko.co.jp)
URLリンク(keiten.net)

右翼大学の大学生活
URLリンク(daiminsya.exblog.jp)

右翼のOB
URLリンク(www.youtube.com)



151:天之御名無主
11/10/10 00:37:47.92 .net
味蕾を摩擦しなさい
迄讀んだ。ぢゆるり…。

152:天之御名無主
11/10/21 16:22:44.76 .net
英国人バジル・ホール・チェンバレン

一般的に考察して、世界に冠たるこの日本人の清潔は、敬神と関係はない。日本人はきれい好きだから清潔なのである。
西洋人はわざとらしく上品ぶるが、日本人はそれにもまして清潔を尊ぶのである。
日本人が風呂に入る習慣の魅力は、この国に居住する外国人のほとんどすべてがそれを採用しているという事実によって証明される。
外国人はほとんどすべてが廻り道をして、結局は日本式に到達するのである。

153:天之御名無主
11/11/02 11:01:14.71 .net
文学史とは一体何なのか。千年前に書かれた作品でも、それが読まれてゐるあひだは、容赦なく現代の一定の
時間を占有する。
われわれは文学作品を、そもそも「見る」ことができるのであらうか。古典であらうが近代文学であらうが、
少くとも一定の長さを持つた文学作品は、どうしてもそこをくぐり抜けなければならぬ藪なのだ。自分のくぐり
抜けてゐる藪を、人は見ることができるであらうか。
それははつきりわれわれの外部にあるのか。それとも内部にあるのか。文学作品とは、体験によつてしか
つかまへられないものなのか。それとも名器の茶碗を見るやうに、外部からゆつくり鑑賞できるものなのか。
もちろん藪だつて、くぐり抜けたそのあとでは、遠眺めして客観的にその美しさを評価することができる。しかし、
時間をかけてくぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないといふのが、時間芸術の特色である。
この時間といふことが、体験の質に関はつてくる。なぜなら、われわれがそれを読んだ時間は、まぎれもない
現代の時間だからである。

三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より

154:天之御名無主
11/11/02 11:01:38.41 .net
美、あるひは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽されねばならず、その速度は
光速に等しい。それなら、長篇小説のゆつくりした生成などは、どこで美と結ぶのであらうか。きらめくやうな
細部によつてであるか。あるひは、読みをはつたのち、記憶の中に徐々にうかび上る回想の像としてであるか。
(中略)文学史は言葉である。言葉だけである。しかし、耳から聴かれた言葉もあれば、目で見られることに
効果を集中した言葉もある。
文学史は、言葉が単なる意味伝達を越えて、現在のわれわれにも、ある形、ある美、ある更新可能な体験の質、
を与へてくれないことにははじまらない。私は思想や感情が古典を読むときの唯一の媒体であるとは信じない。
たとへば永福門院の次のやうな京極派風の叙景歌はどうだらうか。
「山もとの鳥の声より明けそめて
       花もむらむら色ぞみえ行く」
ここにわれわれが感じるものは、思想でも感情でもない、論理でもない、いや、情緒ですらない、一連の日本語の
「すがた」の美しさではないだらうか。

三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より

155:天之御名無主
11/11/02 11:02:12.65 .net
(中略)
われわれは文学史を書くときに、日本語のもつとも微妙な感覚を、読者と共有してゐるといふ信念なしには、
一歩も踏み出せないことはたしかであつて、それは至難の企てのやうだが、実はわれわれ小説家が、日々の仕事を
するときに、持たざるをえずして持たされてゐる信念と全く同種のものなのである。
かくて、文学史を書くこと自体が、芸術作品を書くことと同じだといふ結論へ、私はむりやり引張つてゆかうとして
ゐるのだ。なぜなら、日本語の或る「すがた」の絶妙な美しさを、何の説明も解説もなしに直観的に把握できる人を
相手にせずに、少くともさういふ人を想定せずに、小説を書くことも文学史を書くことも徒爾だからである。

享受はそれでよろしい。
しかしいかに作者不詳の古典といへども、誰か或る人間、或る日本人が書いたことだけはたしかであり、一つの
作品を生み出すには、どんな形ででもあれ、そこに一つの文化意志が働らいたといふことは明白である。

三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より

156:天之御名無主
11/11/02 11:02:41.32 .net
(中略)
文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として
許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な
行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて
大多数の人々を支配し、つひには、規範となつて無意識裡にすら人々を規制するものになる。私が武士道文献を
文学作品としてとりあげるときに、このことは明らかになるであらう。
文化とは、文化内成員の、ものの考へ方、感じ方、生き方、審美眼のすべてを、無意識裡にすら支配し、しかも
空気や水のやうにその文化共同体の必需品になり、ふだんは空気や水の有難味を意識せずにぞんざいに用ひて
ゐるものが、それなしには死なねばならぬといふ危機の発見に及んで、強く成員の行動を規制し、その行動を
様式化するところのものである。

三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より

157:天之御名無主
11/11/02 11:03:32.31 .net
今もなほ、私は、「古事記」を晴朗な無邪気な神話として読むことはできない。何か暗いものと悲痛なもの、
極度に猥褻なものと神聖なものとの、怖ろしい混淆を予感せずに再読することができない。少くとも、戦時中の
教育を以てしても、儒教道徳を背景にした教育勅語の精神と、古事記の精神とのあひだには、のりこえがたい亀裂が
露呈されてゐた。儒教道徳の偽善とかびくささにうんざりすればするほど、私は、日本人の真のフモールと、また、
真の悲劇感情と、この二つの相反するものの源泉が、「古事記」にこそあるといふ確信を深めた。日本文学の
もつともまばゆい光りと、もつとも深い闇とが、ふたつながら。……そして天皇家はそのいづれをも伝承して
ゐたのである。
(中略)
これ(教育勅語)に比べると、「古事記」の神々や人々は、父母に孝ならず、兄弟垣にせめぎ、夫婦相和せず、
朋友相信ぜず、あるひは驕慢であり、自分本位であり、勉強ぎらひで、法を破り、大声で泣き、大声で笑つてゐた。

三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より

158:天之御名無主
11/11/02 11:11:57.74 .net
(中略)
戦時中の検閲が、「源氏物語」にはあれほど神経質に目を光らせながら、神典の故を以て、「古事記」には一指も
触れることができず、神々の放恣に委ねてゐたのは皮肉である。ともすると、さらに高い目があつて、教育勅語の
スタティックな徳目を補ふやうな、それとあらはに言ふことのできない神々のデモーニッシュな力を、国家は望み、
要請してゐたのかもしれない。古事記的な神々の力を最高度に発動させた日本は、しかし、当然その報いを受けた。
そのあとに来たものは、ふたたび古事記的な、身を引裂かれるやうな「神人分離」の悲劇の再現だつたのである。
(中略)
これ(倭建命〈やまとたけるのみこと〉の挿話)がおそらく、政治における神的なデモーニッシュなものと、
統治機能との、最初の分離であり、前者を規制し、前者に詩あるひは文化の役割を担はせようとする統治の意志の
あらはれであり、又、前者の立場からいへば、強ひられた文化意志の最初のあらはれである、と考へられる。

三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より

159:天之御名無主
11/11/05 11:52:51.50 .net
古代において、集団的感情に属さないと認められた唯一のものこそ恋であつた。しかしそれがなほ、人間を
外部から規制し、やむなく、おそろしい力で錯乱へみちびくと考へられた間は、(たとへば軽王子説話)、なほ
それは神的な力に属し、一個の集団的感情から派生したものと感じられた。このことは、外在魂(たまふり)から
内在魂(みたましづめ)へと移りゆく霊魂観の推移と関連してゐる。万葉集は、(中略)夥しい相聞歌を載せてゐる。
相聞は人間感情の交流を意味し、親子・兄弟・友人・知人・夫婦・恋人・君臣の関係を含むが、恋愛感情がその
代表をなすことはいふまでもない。
記紀歌謡以来、恋の歌は、別れの歌であり遠くにあつて偲ぶ歌であつた。(中略)
別離と隔絶に、人間精神の醇乎としたものが湧き上るのであれば、統一と集中と協同による政治(統治)からは、
無限に遠いものになり、政治的に安全なものであるか、あるひはもし政治的に危険な衝動であつても、挫折し、
流謫されたものの中にのみ、神的な力の反映が迫ると考へられた。

三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より

160:天之御名無主
11/11/05 11:53:13.82 .net
(中略)われわれは、ふしぎなことに、太古から、英雄類型として、政治的敗北者の怨念を、女性的類型として、
裏切られた女の嫉妬の怨念を、この二種の男女の怨念を、文化意志の源泉として認めてきたのであり、成功した英雄は
英雄とみとめられず、多幸な女性は文化に永い影を引くことがなかつた。政治的にも亦、天皇制は堂々たる
征服者として生きのびたのではなかつた。いかに成功した統治的天皇も、倭建命以来の「悲劇の天皇」のイメージを
背後に揺曳させることによつて、その原イメージのたえざる支持によつて、すなはち日本独特の挫折と流謫の
抒情の発生を促す文化的源泉の保持者として、成立して来たのである。
さて、相聞歌は、非政治性の文化意志の大きな開花になつた。それは、統治が集中的になればなるほど、そして、
「万葉集」のやうな文化的集大成が行はれれば行はれるほど、この求心性に対して、つねに遠心力として働らき、
拡散と距離と漂泊を代表した。

三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より

161:天之御名無主
11/11/05 11:53:49.69 .net
(中略)
万葉集は、人が漠然と信じてゐるやうな、素朴で健康な抒情詩のアンソロジーなのではない。それは古代の巨大な
不安の表現であり、そのやうなものの美的集大成が、結果的に、このはなはだ特徴的な国民精神そのものの
文化意志となつたのである。それなくしては又、(文化に拠らずしては)、古代の神的な力の源泉が保たれない、
といふ厖大な危機意識が、文化意志を強めた考へられる。のちにもくりかへされるやうに、一時代のもつとも
強烈な文化意志は、必ず危機の意識化だからである。
(中略)
芸術行為は、「強ひられたもの」からの解放と自由への欲求なのであらうか。相聞歌のふしぎは、或る拘束状態に
おける情念を、そのままの形で吐露するといふ行為が、目的意識から完全に免かれてゐることである。「解決」の
ほかにもう一つの方法があるのだ、といふことが詩の発生の大きな要素であつたと思はれる。その「もう一つの
方法」の体系化が、相聞だつたのである。

三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より

162:天之御名無主
11/11/05 11:54:40.94 .net
それにしても、この歌は美しい。沈静で、優雅で、嫉妬に包まれた女性が、その嫉妬といふ衣裳の美しさに自ら
見惚れて、鏡の前に立つてゐるやうな趣がある。自己に属する情念が醜くからうなどとは、はじめから想像も
できない、といふ点では、女性は今も昔も変りはしない。(中略)一人の悩める女の姿を描き出すことで、
磐姫皇后は、卓抜な自画像の画家であつた。しかしそれは、何ら客観視を要しない肖像画であり、皇后は、一度も
自分の情念を、客体として見てゐるわけではないのである。
情念にとらはれた人間にとつて、解決のほかにもう一つの方法がある。しかもそれは諦念ではない。……これが詩、
ひいては芸術行為の発生形態であつたとすれば、「鎮魂」に強ひて濃い宗教的意識を認め、これを近代の個性的
芸術行為と峻別しようとする民俗学の方法は可笑しいのである。表現と鎮魂が一つのものであることは、人間的
表出と神的な力の残映とが一つのものであることを暗示する。それはもともと絶対アナーキーに属する情念に属し、
言語の秩序を借りて、はじめて表出をゆるされたものである。

三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より

163:天之御名無主
11/11/05 11:55:11.98 .net
しかしこれを慰藉と呼んでは、十分でない。それは本来、言語による秩序(この世のものならぬ非現実の秩序)に
よつてしか救出されないところの無秩序の情念であるから、同時に、このやうな無秩序の情念は、現世的な
秩序による解決など望みはしないのである。相聞は、古代人が、政治的現世的秩序による解決の不可能な事象に、
はじめから目ざめてゐたことを語つてをり、その集大成は、おのづから言語の秩序(非現実の秩序)の最初の
規範になりえたのである。人はこの秩序が徐々に、現世の秩序と和解してゆく過程を「古今和歌集」に見、さらに
そのもつとも頽廃した現象形態として、ずつと後世、現世の権力を失つた公家たちが、言語の秩序を以て、現世の
政治権力に代替せしめようとする、「古今伝授」といふ奇怪な風習に触れるだらう。そして「古今和歌集」と
「古今伝授」の間には、言語的秩序の孤立と自律性にすべてを賭けようとした「新古今和歌集」の藤原定家の
おそるべき営為を見るであらう。

三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より


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