12/01/08 16:25:56.41 .net
蛭子が生まれて三年経っても立てなかったというのは、
脚の障害だけでなく、インポテンスや無成長の体格の矮小さを
暗示してるかも。
川崎大師駅前の金山神社の、かなやま祭も>>427の今宮十日戎と
良く似た感じだけど、戎神社が海に関係あるのに対して、金山神社は
鍛冶屋との関係から、むしろ山との関係を想起させる。
鍛冶屋にまつわる神格は世界的に小人、脚なえ、びっこ、あるいは
インポテンツであることが多いのでは?
後は余談だが、キンマラというのは、去勢をも連想させる。去勢馬を
英語でgeldというが、語源的にgoldから来てるし、馬だけでなく、
人間も去勢によって富を得る場合が古代の近東以西では多かった。
去勢は人体の錬金術(錬金術の究極の目的は金(きん)を作ること)でも
あった訳で、近東では古代の鍛冶屋自身が去勢手術を執刀した
元祖だったかもしれない。ルネサンス時代の
散髪屋が外科手術を行っていたように。
つまり、キンマラが子孫繁栄と、去勢の両義の意味を持っていたと
すれば、それは母系社会から、男根崇拝の父系社会への移行期に
祭の起原があるということの証ではないか?
そのこととと、「夜這い」がどちらかと言えば、その伝統が西日本に
偏ってることと関係があるのではないか?
西日本の方が母系社会的な要素が濃いのでは?
東と西の違いは東日本が家父長制的なイエ社会であり、西日本では
母系的なムラ社会であることに起因するという宮本常一の
意見もあった。
さらに、エビスやヒルコの「漂着」性は島嶼文化に起原があるように
思う。一寸法師の打出の小鎚は日本流の錬金術の象徴という気も
するが、一寸法師と蛭子やエビスとの関わりの歴史もあるかも
しれない。