11/11/30 23:54:04.01 .net
俺は結構面白く読んでるがね。
しかし、まあ、主張が浅いよ。もっと勉強した方がいい。
道徳感は実はその社会形態、もっと突き詰めていえば
「その社会形態を構築するにいたった自然要因」に深く依存する。
つまり所変われば道徳観も変わる。
大宗教が期せずして同じ結論に達したのは、アーリアとセム系の交流から生まれた
大河文明共通の気候と産業構造による。決してシンクロニシティではなく、密接に関連があるからだな。
例えば、父系社会と母系社会でも集団の概念は変化する。
母系は、集団維持が第一義になる。トップの母親は一生涯、
そして何世代たってもトップ近辺のままで
その周り者たちの序列もトップとの血縁や利害の距離感で決まるために変化しない。
一方で男はめまぐるしく地位が変化する。
結果として母系社会では個人の地位や思想は集団意識の中に埋没して意味を失う。
しかし、父系は本来生涯を通じて変化しやすい男の地位に主体があるために
個の判断や統率力、あるいはその血統が群れ以上の価値を持つことがある。
概念として主君のために群れが全滅することもいとわない、という
個>群れのパワーバランスが理論上成り立つ。
そのため、個の育成が群れ全体の共有利益として認識される。
道徳観と宗教観はきわめて近いが、むしろ逆説的な訓戒の例がむしろ主流であることを理解した方がいい。
つまり、社会構造として個の自由が比較的許されているからこそ
逆に宗教では集団の団結の大切さを説いている場合も多いということだ。
隣人を愛すものがいないから、売女を売女と蔑む人がいなくならないから
「許して愛しなさい」と説くんだよ。