【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】at MIN【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト300:天之御名無主 16/02/24 03:05:58.98 .net >>291 【佐藤守が自演してまで源田実の虚偽の中傷を流している理由】 志賀淑雄少佐の証言 (NHK-TV「NHK特集 紫電改 最後の戦闘機」) 上層部から343空に特攻を出すように命令がきた際、 志賀が「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。 ただし条件として、命令してきた(軍令部の)参謀が最初に私と来るというなら343空はやりましょう」と進言すると、 源田実司令も「全くだ」と賛同した。それ以降、上層部から特攻の話は来なくなった。 この時、特攻を命令した軍令部作戦課航空参謀が寺井義守中佐であり、この娘婿が佐藤守である。 その佐藤守は、志賀少佐の死後に参謀の部分を源田司令に改ざんして拡散しているが、志賀少佐が残した生前の証言とは大きく食い違う。 佐藤守が志賀少佐の死を幸いと死人に口無しを利用したことは言うまでもない。 志賀少佐は生前、源田実大佐を以下のように評価している。 「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」 寺井義守中佐は、軍令部参謀の前は人事局航空参謀であり、大田正一少尉を第一〇八一海軍航空隊に転勤させるなど 特攻兵器「桜花」の後ろ盾をした人物でもあり、軍令部で作戦の全てを特攻に切り替えるように主張していた議事録も残っている。 寺井中佐は、開戦時に宣戦布告文書を届けなかった駐米武官で、帰国後は終戦まで中央勤務で前線に出ることはなかった。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch