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この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、
鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を
借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。このやうな叫びに
目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、人の口から出るのを
きくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、あちらには
「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと一体化することのもつとも
危険な喜びを感じずにゐられない。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より