16/05/03 17:06:46.29 .net
>>379
神功皇后が置いたとされる瀬戸内海沿岸の神社群はやにやら等間隔に鎮座しているよう(特に加古川(高砂、尾上)以東。御厨、海、長田、生田、敏馬(外国施設の迎賓館)/)、弓弦羽(熊野権現/住吉大社の夏至の日没方向)、廣田(西宮皇大神宮)なので、
どうも軍事的な意味合い(西から攻勢する勢力を哨戒、撃滅) を含んでいたのではないか?
長田、生田、廣田の三つの田のつく神社は兵が屯田していた故の意味合いか?
また三重の絶対防衛ラインを意味し、
その大本営(行宮)は住之江の岬の端っこ(隅っこ、、、隅の江)に西向きに鎮座する住吉大社かと思う。