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出雲大社
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祭神:大国主大神
祭神の変化[編集]出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では
「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺と関係が深まり、鰐淵寺は杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねた。
鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国作りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世のある時期から17世紀まで祭神が素戔嗚尊であった。
14世紀「当社大明神は天照大御神之弟、素戔嗚尊也。八又の大蛇を割き、凶徒を射ち国域の太平を築く。」
と杵築大社(出雲大社)の由来が記され、1666年(寛文6年)毛利綱広が寄進した銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記された。
さらには、鰐淵寺の僧侶が経所で大般若経転読を行い、社殿では読経もした。
また、江戸時代初期には社僧が寺社奉行と杵築大社(出雲大社)の運営管理に関する交渉を実施していた。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、
寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。
これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神に復した。
孫の大国主神と祖父の素戔嗚尊が時代時代で、主神の立場を交代している神社ということだね。
でも、ほとんど、素戔嗚尊神社だね。
祀られてる合祀されてる神々見てると、素戔嗚尊の子孫の神々で大国主神は、その一神に過ぎない。