思念の根源とは何かat MIN
思念の根源とは何か - 暇つぶし2ch71:天之御名無主
10/11/25 20:15:07 .net
>>63
>科学が一神教の世界で発展した事は無縁じゃない。
>かつては科学は自然哲学と言われていた。
>神のつくった世界を理解し、その謎を探求する事が、神の意志を理解する最良の方法だと信じていたからだ。
あまりに浅薄すぎて吹いた。
中世ヨーロッパでは、「神は二つの書物をお書きになった。聖書と自然だ」という言葉がある。
そして自然を読み解くことが、神の意図を読み解くことだ、と言われた。
一見すると、まさに君の言うとおりの話に思えるだろう。

だが、事はそう単純じゃない。
そもそもキリスト教において「自然という書物を読み解く」というのは「自然哲学」とはイコールではなかったのだ。
日蝕からキリストの死と再生を読み解き、火山から地獄の火を読み解く、といった具合に自然現象にキリスト教的メタファーを読み込むことを意味していた。
多神教のギリシア世界で生まれた自然哲学は邪魔、とはいわないまでも、深入りする必要のない物と見なされていた。
ガリレオが「自然という書物は数学で書かれている」と言ったのは、伝統の転倒を意味しているのであって、
自然哲学が「神の意志を理解する最良の方法だと信じ」られて、キリスト教世界で強く推進されてきたことを意味するのではない。
そんなことが広く信じられていたのは啓蒙主義時代の自然神学の頃くらいのものだろう。

>どちらも、基礎になっているのは「最終的な回答は誰にも出せない」ことだ。
どっちもそんなものは「基礎」になっていない。
あと「絶対確実な回答」と「最終的な回答」は別物だ。

>しかしそれは方法が違うと言うだけで目指している場所が真理であると言う事、
神学=宗教なのww?
宗教という現象は多様、というより、宗教というカテゴリ自体が我々の主観によって恣意的に構築されたものじゃないかっていう意見は普通に根強いよね。
「宗教」という概念を持って、様々な人間の活動を観察するから、「宗教」という統一体が見えてくるのであって、客観的に宗教というものがあるわけではない、と。
物理学を主観主観いう君が、宗教学で普通に言われてる議論を無視するの?

>そしてその提示された方法や結論が正しいのか誰にも解らない事は同じ。
そうでないものがあるのかい?




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