11/05/17 02:08:58.65 .net
>>342
絶対的な論理の合理性は常に客観的な前提を必要とする。
電子回路の合理性の仕組みはその極限に位置するために
たった1つの誤動作やら前提条件が合わなくても意味を成さなくなる。
つまり極限を極めるコンパクトな優秀さとは無駄をすべて取り除き
絶対に起こりえないという危機管理に対する余裕をすべて排除した
存在になりえる。
状況をあらわ意味が1つでも揺らげばそれに対応できない、それこそ
完璧な仕組みである。それとは対極にある自然、神が創造した比喩される
生命の有り様は無駄の塊である、コンパクトとは逆に肥大化し無意味で
まったく利用されない部分が全体のほとんどすべてを覆っている。
これは世界が常に変化を繰り返しそこに完璧な仕組みで適合したものが
世界が変わることによって適合できなくなくなった場合に生き残ったという
自然の摂理そのものである。自然淘汰や自己組織化には理論などない
全体と個の関係によって無駄を積み上げることの中に合理性が生まれた
為に多くのコンパクトで優秀という意味に反する部分を持つ存在として
世界に君臨している。
神の仕組みとは人が作る仕組みと違いそこに完全さなどない、
それは不完全の塊であり、不完全こそが世界の仕組みであるということ。