11/03/08 01:42:45.57 .net
文明が不幸をよぶ、というとアフリカ回帰主義やヒッピーなどを連想する人間は多い。
文明をすてて土人の生活が出来るのか、と言われれば、もちろん俺には出来ない。
やるつもりも憧れも無い。俺はそのどちらでもないからだ。
ただ、こういう事実もある事は確かだ。
縄文時代の人骨はこれまで数千体出土している。
野蛮な時代であるから、さぞかし酷い状態であろうと「文明人」の我々は考える。
しかし、その骨のほとんどは綺麗に埋葬され、殺害された遺体はほんの僅かしか無い。
特筆すべきは「武器」が見つかっていない事だ。
人を殺すための専門道具が必要なかったからだよ。
これは、この時代には戦争と言う概念も事実も無かった事を示している。
個体数が少なく、密度が小さいために社会構造的な大規模抗争が殆ど無かったからだ。
ところが、「文明的」な時代の幕開けともいえる弥生時代に入ると状況は一変する。
くる病で変形した遺体や膨大な殺害遺体、大量の武具、高い塀、
埋葬もされずに堀や貝塚に棄てられた遺体が大量に見つかり始める。
個体密度が狭まり、獲得資源の格差が生まれて罹病者が増え
戦争が文明とともにこの国にやってきたからだ。
人間の生が尊厳を失った瞬間だよ。
戦争があって便利な世界と、戦争が無く不便な世界、
そのどちらが幸せかと言われれば、俺は後者だと思うのだがね。