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【妹に入れますねん】芋田治虫【定期オフ板出会い厨】
- 暇つぶし2ch791: 今日こんな物語?を書いた。 これが現実で起こらないと誰が言えるだろうか。 ↓↓ おおみやくこうのすしさいたまけんかんとうちほう ある書を書いた人物がいた。 その書の作者は、顔のみえない人とおおみやを発見するまでの顛末が語られる。おおみやは、存在しない偽の百科事典か、偽の古文書に仕込まれたいたずらであるとされており、この世に存在しない生き物や存在しない民族や人物、あるいは古代にのみ存在した文明の記述を織り交ぜながら、捏造された架空の土地であることが明確に示されている。「おおみや」という言葉はこうのすしの古代文学の舞台となる場所の名として挙げられており、この時点ではこうのすしという存在をそれらしく見せるためのギミックでしかない(この書の作者が、ではなく、この書の主張では存在するはずのおおみやの創案者が、である)。 この書の「こうのすし」とは、アジアかもしれない、日本かどうかわからない、埼玉県ではありえない場所に存在した文明の一つ。滅ぼされる寸前には、現在のさいたま市の市町村及び鴻巣市の周辺の市町村に勢力を置いた。奈良以降、平安以前に興り、14世紀に終わりを迎えたと言われる。おおみやの経済基礎は主として半放浪の畜産であり、指導者は事実上5人いて、合議制の集団指導体制で、村々に対して間接的な支配を敷いた。指導者や各村の長は、叙事詩的な歌を後援することに力を注ぐ伝統があった。 第二部は現実世界での『さいたま』の発見と、その内容についての詳細に終始する。『さいたま』とは現在は話す人がいない、絶滅言語、さいたま族語で、日本語で言えば『仮想現実』であり、英語で言えば「バーチャル」程度に相当する。これは『私』が先祖代々住んでいた、家の物置の片隅から発見したと主張する『おおみや第一百科事典 第13巻』なるさいたま族語の書物に押されていた印鑑らしきもので押されていた文字である。この書物を巡ってインターネットの某掲示板の片隅では、論戦が交わされ、「私」やさいたま族を含むネットの住民が様々な可能性を提起している。彼らの間で一致した結論は、多数のバカどもや、変身、奇人、怪人、宇宙人、未来人などが集まる、何らかのおかしなグループが存在しており、 馬鹿げた妄想とあり得るかもしれないifを交えた百科全書的空想世界を作り出そうとしている、ということである。第13巻は前後巻との関連の可能性が指摘されているが、この時点では見つかっているのは第13巻のみである。 第二部の後半部はおおみやの文化や宇宙観について、第13巻の記述から得られた情報が解説されている。この解説によるとおおみやは完全な空想原理主義論の世界で、名詞は全てが形容の連鎖によって捉えられる。それは(おおみやの)現実世界にも及んでおり、認識することが存在を規定するまでになっている、とされる。第二部以降にはこうのすに関する記述は一つも登場しない。 ここまでの二部は1940年の署名となっており、『私』が発見したと主張する風変わりな架空世界に付いての報告の体裁をとっている。実在の人物や団体が登場することでまことしやかに語ってはいるが、こういった仮想世界の挿入自体は(冒頭の百科事典が既にそうであるように)創作一般で普通に行われることである。しかしこの後に続く「1943年の追記」とされる第三部で事態は一変する。 第三部冒頭の記述によると、ここまでの二部は『かんとうちほうの民話選集』からの再録で一部訂正を行った物とされている。ここからは語り口が変わり、おおみやはもはや架空の存在ではなく、ある種の実体を伴って現実に干渉を始めている。まず1941年に先祖代々住んでいた家の片隅の物置から新たな古文書が発見され、15世紀初頭から続くおおみや創造の歴史が明らかになったという。時を同じくしておおみやの品物や物質、遺跡が現実世界で発見されるようになる。こうしておおみやは徐々に現実を浸食し始め、『私』の記述では既に偽りか否か確かめる術のない情報で世界は作り替えられているという。そしていずれ世界は「かんとうちほう」と置き換わるという記述を残して書は終わる。
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